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序章 捨てられた令嬢とスイーツの邂逅
ep2
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林の奥から現れた老婆は不機嫌そうに尻尾を揺らしているドラゴンを仰ぎ見て優しく笑った。
「おや、リッカード。お嬢さんに尻尾を踏まれちゃったの?」
リッカードと呼ばれたドラゴンはフシューッと煙の混じった息を吐き出し、バシッと地面を鞭のような長い尾で打ち付けた。土煙が舞い上がり、その煙でシャルロットはむせかえる。
「正確にはこのチビと一緒にいたクソガキだがな」
「あらあら、お友達に置いて行かれちゃったの?」
老婆がそう言った時、先ほどまで一緒にいた姉のことを思い出して鼻の奥がつんとした。
「…ッ」
老婆がやってきてそっと傍に膝をつき、背中に触れた。そのぬくもりを感じた時、シャルロットの目にじわりと涙が浮かんだ。
「…んな…みんな、私…のこと、嫌、い…なの」
涙がとめどなく零れ落ちていく。
「私、…いなく、ても、いても…かわ、ら、なく…て……」
「うんうん」
優しく相槌を打って話を聞いてくれる。そんな経験が初めてでシャルロットはとうとう声を上げて泣き出した。
リッカードはさすがに気の毒そうな目でシャルロットを見ており、老婆は相変わらず穏やかな表情で背中をさすってくれた。
家族にさえそんなことをしてもらったことがなく、彼女は泣いていた。
シャルロットが泣き疲れて眠ってしまうと、リッカードが軽々とシャルロットをつまみ上げ、背中に乗せた。
「婆さん、このガキ…どうする?」
目の前に手をかざして透き通ったスクリーンのようなものがブゥンと音を立て老婆の前に現れた。そのスクリーンに映し出されたのはシャルロットの姉であるアリエッタ。そして、リッカードの尻尾を踏みつけた張本人でもある。
アリエッタが明らかにわざとらしすぎる泣き方で両親に訴えていた。
「薄情なものね…。姉の方は妹がドラゴンに食べられて助からなかったって言い張って、母親は化けて出ると大変だからってお祓いの支度をしようって提案しているわ」
「自分の産んだ娘でも愛せない母親っているのはいるもんだな」
「どの世界のどの時代にだって、そういう母親はいるものよ。泣ける系の小説だと、それでもやっぱり我が子を見れば愛おしくて仕方がないって話になるんでしょうけれど、そんな母親ばかりじゃない。本気で我が子を憎んでいる母親だっているし、我が子を手に掛けようとする母親もいる。母親だけでなく、父親だってそう」
「人間は所詮、獣ってことか?」
「知性ある動物よ。でも、知性があるからこそ複雑に入り組んでいるように見えて実は単純だったりするの」
「? 難しい話は苦手だ。…それより、便利なもんだな。空間探知魔法か、それ?」
「ええ、そうよ。でも、もっと複雑な魔導、だけど」
「魔導か。人間は魔法を魔法とか魔術とか呼び分けるけど、所詮は魔法の一言で済むだろうに」
「人は皆、厨二病なところがあるのよ」
「ちゅ、ちゅうに? なんだ、それ? 食べ物か?」
「おほほ、こっちの話よ。ただ、どこかかしこにイタいところがあるって話」
老婆はそう言うと、リッカードに微笑んだ。
「それじゃあ、とりあえずは小屋にその子を運んでくれる? 休ませてあげなくちゃね」
リッカードは頷くと老婆と一緒にずんずんと歩き出した。
☆
シャルロットが目を覚ますと堅いベッドの上にいた。いつの間にか泥まみれのピンクのドレスではなくシンプルなワンピースに着替えさせられており、生地は上質でないにせよ寝心地は思ったより悪くなかった。
そして、何よりも余分なフリルが付いているより着ぶくれもない。
シャルロットはそれ以外に着るものも見当たらないので、仕方がなくそのままの格好でそっとドアを開け、外の様子を窺うと、先ほどの老婆が一人でお茶を飲んでいた。
視線に気が付いたのか振り返った老婆が優しく微笑む。
「おや、おはよう」
「…お、おはようござい、ます?」
シャルロットはそう言うと、老婆に手招きされて寝間着のような恰好で恥ずかしいものの、いそいそと老婆の傍に向かい、示された席に座った。
「疲れたでしょう? 少しお茶でもどう?」
「あ、ありがとう…ございます」
言いなれない感謝の言葉をぎこちなく言うと、老婆はにっこりと笑った。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。あたしはマリ。マリばあさんとでも呼んでおくれ」
マリばあさんがそう言うと、シャルロットは慌てて背筋を正した。
「えっと、私はシャルロットです…」
そう言うと、マリばあさんはにこりと笑った。
「シャルロット。じゃあ、ロッティだね」
「ろ…?」
「ロッティ。愛称ってヤツだよ」
そう言ってマリばあさんは滑らかな動作でポットからティーカップに紅茶を注ぎ、ふわりとさわやかなハーブの香りがそのお茶から漂ってきた。
「うちの庭で採れたハーブで作ったハーブティ。ケーキと一緒に飲むなら、こっちの方があたしは好きだよ」
「ケーキ!?」
シャルロットはあの甘いケーキの味を思い出して身を乗り出した。
「あのジャムをたっぷりと塗ったケーキ!?」
「ジャムロールのこと? あんなのはケーキじゃないよ」
「え、ケーキだよ」
シャルロットがムッとするのも致し方のないことで、この時代、菓子類というものは砂糖を使えば使うほど高価であり、本当に美味しいかどうか別として、貴族の菓子として献上されるのにふさわしいとされていた。
ゆえに、ジャムロールは砂糖をたっぷりと使ったジャムを中にこれでもかというほど入れ、表面にもジャムでコーティングを施し、さらに表面に砂糖をまぶしたそれこそ、貴族に献上される菓子ナンバー1の代物だったのだ。
マリばあさんは悪戯っぽく笑った。
「もっといいものを食べさせてあげよう」
そう言って立ち上がり、持ってきたのは白いクリームが使われた、イチゴののっているケーキ。
「クリームがのっているケーキ? なにこれ」
「まあ、食べてみて」
マリばあさんにそう促され、渋々とケーキをフォークで小さく切り、口に運んだシャルロットはそのスポンジケーキの柔らかさはさることながら、クリームの思わぬ甘さと、そしてイチゴの絶妙な甘酸っぱさに目を見開いた。
「なにこれ、美味しい!!」
断面にもクリームとイチゴがはさめられ、それでもスポンジケーキの柔らかさを阻害しない食感、そしてフルーツとクリームのバランスの良さ。
ジャムロールのジャリジャリとしたくどいほどの砂糖ではなく、程よい砂糖加減が口当たりも良くしてくれて、いくらでも食べられそうな軽さがあった。
そして、何よりも生クリームの新鮮さもシャルロットにとっては驚きだった。
「生クリームってこんなに濃厚なの?」
「そうだよ。美味しいだろう?」
「うん!」
目を見開いて何度も頷いたシャルロットはパクパクとそのケーキを平らげてマリばあさんを振り返った。
「こんなに美味しいケーキ、食べたことがないわ」
「だろう? ショートケーキっていうんだよ。どうだい? 自分で作ってみないかい?」
「作れるの!?」
驚いたシャルロットにマリばあさんはにっこりと笑った。
「もちろんだとも。ちょっと時間はかかるけど、自分で作ったら、もっと美味しいよ」
マリばあさんは本当に嬉しそうに笑うと、シャルロットも初めて食べ物を食べた以外に満面の笑みを浮かべ、そして初めて誰かに食べ物を持たないで笑いかけた。
「お願いします、マリ先生!」
シャルロットの明るい声が小屋に響いた。そんなに明るい声を出したのもとても久しぶりだった。
「おや、リッカード。お嬢さんに尻尾を踏まれちゃったの?」
リッカードと呼ばれたドラゴンはフシューッと煙の混じった息を吐き出し、バシッと地面を鞭のような長い尾で打ち付けた。土煙が舞い上がり、その煙でシャルロットはむせかえる。
「正確にはこのチビと一緒にいたクソガキだがな」
「あらあら、お友達に置いて行かれちゃったの?」
老婆がそう言った時、先ほどまで一緒にいた姉のことを思い出して鼻の奥がつんとした。
「…ッ」
老婆がやってきてそっと傍に膝をつき、背中に触れた。そのぬくもりを感じた時、シャルロットの目にじわりと涙が浮かんだ。
「…んな…みんな、私…のこと、嫌、い…なの」
涙がとめどなく零れ落ちていく。
「私、…いなく、ても、いても…かわ、ら、なく…て……」
「うんうん」
優しく相槌を打って話を聞いてくれる。そんな経験が初めてでシャルロットはとうとう声を上げて泣き出した。
リッカードはさすがに気の毒そうな目でシャルロットを見ており、老婆は相変わらず穏やかな表情で背中をさすってくれた。
家族にさえそんなことをしてもらったことがなく、彼女は泣いていた。
シャルロットが泣き疲れて眠ってしまうと、リッカードが軽々とシャルロットをつまみ上げ、背中に乗せた。
「婆さん、このガキ…どうする?」
目の前に手をかざして透き通ったスクリーンのようなものがブゥンと音を立て老婆の前に現れた。そのスクリーンに映し出されたのはシャルロットの姉であるアリエッタ。そして、リッカードの尻尾を踏みつけた張本人でもある。
アリエッタが明らかにわざとらしすぎる泣き方で両親に訴えていた。
「薄情なものね…。姉の方は妹がドラゴンに食べられて助からなかったって言い張って、母親は化けて出ると大変だからってお祓いの支度をしようって提案しているわ」
「自分の産んだ娘でも愛せない母親っているのはいるもんだな」
「どの世界のどの時代にだって、そういう母親はいるものよ。泣ける系の小説だと、それでもやっぱり我が子を見れば愛おしくて仕方がないって話になるんでしょうけれど、そんな母親ばかりじゃない。本気で我が子を憎んでいる母親だっているし、我が子を手に掛けようとする母親もいる。母親だけでなく、父親だってそう」
「人間は所詮、獣ってことか?」
「知性ある動物よ。でも、知性があるからこそ複雑に入り組んでいるように見えて実は単純だったりするの」
「? 難しい話は苦手だ。…それより、便利なもんだな。空間探知魔法か、それ?」
「ええ、そうよ。でも、もっと複雑な魔導、だけど」
「魔導か。人間は魔法を魔法とか魔術とか呼び分けるけど、所詮は魔法の一言で済むだろうに」
「人は皆、厨二病なところがあるのよ」
「ちゅ、ちゅうに? なんだ、それ? 食べ物か?」
「おほほ、こっちの話よ。ただ、どこかかしこにイタいところがあるって話」
老婆はそう言うと、リッカードに微笑んだ。
「それじゃあ、とりあえずは小屋にその子を運んでくれる? 休ませてあげなくちゃね」
リッカードは頷くと老婆と一緒にずんずんと歩き出した。
☆
シャルロットが目を覚ますと堅いベッドの上にいた。いつの間にか泥まみれのピンクのドレスではなくシンプルなワンピースに着替えさせられており、生地は上質でないにせよ寝心地は思ったより悪くなかった。
そして、何よりも余分なフリルが付いているより着ぶくれもない。
シャルロットはそれ以外に着るものも見当たらないので、仕方がなくそのままの格好でそっとドアを開け、外の様子を窺うと、先ほどの老婆が一人でお茶を飲んでいた。
視線に気が付いたのか振り返った老婆が優しく微笑む。
「おや、おはよう」
「…お、おはようござい、ます?」
シャルロットはそう言うと、老婆に手招きされて寝間着のような恰好で恥ずかしいものの、いそいそと老婆の傍に向かい、示された席に座った。
「疲れたでしょう? 少しお茶でもどう?」
「あ、ありがとう…ございます」
言いなれない感謝の言葉をぎこちなく言うと、老婆はにっこりと笑った。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。あたしはマリ。マリばあさんとでも呼んでおくれ」
マリばあさんがそう言うと、シャルロットは慌てて背筋を正した。
「えっと、私はシャルロットです…」
そう言うと、マリばあさんはにこりと笑った。
「シャルロット。じゃあ、ロッティだね」
「ろ…?」
「ロッティ。愛称ってヤツだよ」
そう言ってマリばあさんは滑らかな動作でポットからティーカップに紅茶を注ぎ、ふわりとさわやかなハーブの香りがそのお茶から漂ってきた。
「うちの庭で採れたハーブで作ったハーブティ。ケーキと一緒に飲むなら、こっちの方があたしは好きだよ」
「ケーキ!?」
シャルロットはあの甘いケーキの味を思い出して身を乗り出した。
「あのジャムをたっぷりと塗ったケーキ!?」
「ジャムロールのこと? あんなのはケーキじゃないよ」
「え、ケーキだよ」
シャルロットがムッとするのも致し方のないことで、この時代、菓子類というものは砂糖を使えば使うほど高価であり、本当に美味しいかどうか別として、貴族の菓子として献上されるのにふさわしいとされていた。
ゆえに、ジャムロールは砂糖をたっぷりと使ったジャムを中にこれでもかというほど入れ、表面にもジャムでコーティングを施し、さらに表面に砂糖をまぶしたそれこそ、貴族に献上される菓子ナンバー1の代物だったのだ。
マリばあさんは悪戯っぽく笑った。
「もっといいものを食べさせてあげよう」
そう言って立ち上がり、持ってきたのは白いクリームが使われた、イチゴののっているケーキ。
「クリームがのっているケーキ? なにこれ」
「まあ、食べてみて」
マリばあさんにそう促され、渋々とケーキをフォークで小さく切り、口に運んだシャルロットはそのスポンジケーキの柔らかさはさることながら、クリームの思わぬ甘さと、そしてイチゴの絶妙な甘酸っぱさに目を見開いた。
「なにこれ、美味しい!!」
断面にもクリームとイチゴがはさめられ、それでもスポンジケーキの柔らかさを阻害しない食感、そしてフルーツとクリームのバランスの良さ。
ジャムロールのジャリジャリとしたくどいほどの砂糖ではなく、程よい砂糖加減が口当たりも良くしてくれて、いくらでも食べられそうな軽さがあった。
そして、何よりも生クリームの新鮮さもシャルロットにとっては驚きだった。
「生クリームってこんなに濃厚なの?」
「そうだよ。美味しいだろう?」
「うん!」
目を見開いて何度も頷いたシャルロットはパクパクとそのケーキを平らげてマリばあさんを振り返った。
「こんなに美味しいケーキ、食べたことがないわ」
「だろう? ショートケーキっていうんだよ。どうだい? 自分で作ってみないかい?」
「作れるの!?」
驚いたシャルロットにマリばあさんはにっこりと笑った。
「もちろんだとも。ちょっと時間はかかるけど、自分で作ったら、もっと美味しいよ」
マリばあさんは本当に嬉しそうに笑うと、シャルロットも初めて食べ物を食べた以外に満面の笑みを浮かべ、そして初めて誰かに食べ物を持たないで笑いかけた。
「お願いします、マリ先生!」
シャルロットの明るい声が小屋に響いた。そんなに明るい声を出したのもとても久しぶりだった。
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