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プロローグ 悪役令嬢の目覚め
ep5
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翌日、アナスターシャは自室で食事を済ませていると、ウォルターがやってきた。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか?」
「? 何か問題でも?」
小首を傾げた彼女に、ウォルターが少しだけ困ったように眉尻を下げた。
「…いえ、それが…アール様が予定よりも随分と早く到着されましたので、是非ともお嬢様に会いたいとおっしゃっておりますゆえ、お食事の途中で申し訳ございませんが、ご同行をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「おじい様が?」
アナスターシャは一瞬、食べ終わってからではダメかと考えたのだが、現世の記憶を探り当てて思い出す。
(そうでした。ウォルターは公爵家の執事たちを教育するためにおじい様のお家から派遣されている教育係の一人でしたわね。期限付きの、ですけれど)
現世の記憶ではまだ幼いがゆえに、細かいところや小難しいところはわかっていなかったようだが、ウォルター含めた数人の執事や侍女が貸し出されていたということはわかっていた。
そして、貸し出された側の彼らはお節介と言うほどに彼女を甲斐甲斐しく世話をしていたことも。
「すぐに伺いますわ」
フォークをそっと置くと、立ち上がったアナスターシャはウォルターと共に玄関へと向かった。
だが、玄関へ続くホールの階段に差し掛かった時、ピリッと引き締まった空気を感じ、と同時に声がした。
「困ります、父上。あなたには常識というものがないのですか?」
険しい父親の声が聞こえ、そっと階段の端の方から身を乗り出すと、玄関ホールでアナスターシャの父親である長身の男と、それと同じくらいの長身の紳士風な老齢の男が向かい合っていた。
老齢の男の方は背筋がピンと伸びており、まさに老紳士という表現が似合う男性である。
老紳士はニコニコとしているが、威圧感のある笑顔であり、両者一歩も譲らない空気が漂っている。
「何を今更」
鼻で笑った老紳士の口調に父親の眉間のシワが深くなる。
「…そーでしたね。父上はそう言う人でしたね」
嫌味を込めてそう告げた父親に老紳士もとい祖父はにこやかに告げた。
「アナスターシャの食事が終わって身支度が終わったなら連れて行くよ。この不愉快な家にいつまでもいさせるわけにはいかないからね」
「父上!」
噛みつかんばかりにそう吠えた父親に祖父がふと、冷徹な目を向けた。
「弱い犬ほどよく吠える」
「っ!?」
緊張ムードがさらに深まってきたのを見て、アナスターシャはウォルターと視線を交わし、老執事の表情が曇ってしまったのを見てふわりと笑いかけた。
そして、わき目も振らずに階段を駆け下りたアナスターシャは明るく声を響かせる。
「おじい様!」
振り返った祖父が先ほどまで息子に向けていたのとは正反対の、慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべながら彼女をみとめ、両腕を広げる。
「アナスターシャ!!」
勢いよくその腕の中に飛び込んだアナスターシャを受け止めた祖父が抱きしめる。そして、勢い余ってその場でくるりと回った。
「ああ、アナスターシャ。元気にしていたかい? 継母に嫌がらせを受けなかったかい? バカ息子に冷たくされなかったかい?」
幸せそうに頬ずりをしながらそう言った祖父の髭が触れ、くすぐったくて思わず笑ってしまったアナスターシャが目を輝かせて首を横に振る。
「おじい様ってば、心配しすぎですわよ?」
それから祖父から一度離れて、仕事の関係上や様々な要因から顔を久しぶりに合わせた父親に向かって微笑み、父親の傍に歩み寄ってそっと耳元に囁いた。
「お父様も、おじい様に文句を言われるのは今更なのですから、噛みついたり傷ついた表情を浮かべてはダメですわよ? 余計に意地悪をされてしまいますわ」
父親が驚きと戸惑いの混じったような顔を浮かべた様を見て、顔を離してクスッと笑ったアナスターシャが軽やかに祖父の元に舞い戻る。
「おじい様、お食事が終わるまでお待たせしてしまいますゆえ、どうか弟と遊んできてくださいな」
「レオンハルトと?」
「ええ」
レオンハルトと言うのはアナスターシャの腹違いの弟である。
が、継母が過保護であるがゆえにアナスターシャは弟が『いる』というのは知っているだけで、遠目から継母と共に歩いている姿を見ただけなのだが。
(前世の記憶が戻る前は愛されていて羨ましいなんて思ったけれど、あの継母と父親から”だけ”愛されるなんて寂しいですものね。次期当主なのですから、おじい様にもきちんと愛してもらわないと)
ほとんどレオンハルトと顔を合わせている様は見たことがなく、祖父はほとんどアナスターシャに会って、アナスターシャと遊んで帰ってしまう。
ゆえに、同じ孫として、そして次期当主としても認められる程度の子になってほしいと思った。
(まあ、継母からすればお節介でしょうけれど)
大人な目線も手に入れた彼女はそう呟いたが、全く後悔はなかった。
しばらく考え込んでいた祖父だったが、やがて困ったように眉尻を下げる。
「…レオンハルトと会いたいのは山々なんだけどね。――…あの新しい女はどうも馬が合わない。なのに、おべっかを使って来るから余計に気持ち悪い」
声のトーンを落としてそうアナスターシャの耳元に呟いた祖父は、しばし黙考の後、小さく頷いた。
「でも、せっかくだから会いに行こうかな。アナスターシャの推薦ももらったし」
「あら、おじい様。私の推薦では弱すぎるのではなくて?」
アナスターシャは悪戯っぽく笑いながらそう尋ねると、祖父は優しく彼女の頭を撫でて微笑んだのだった。
「私にとっては最高の推薦状だ」
「あら、それは願ってもないことですわね」
空気がだいぶ和らいだことを感じながら、アナスターシャはホッと胸を撫で下ろしていた。
(よかった。…おじい様はお義母さまが嫌いだから、お父様と喧嘩ばかりですし、ウォルターたち使用人も気を遣わせてばかりで申し訳ないですもの)
いつもアナスターシャが顔を見せれば、再婚当初から続く親子喧嘩の空気が緩む。
現世の記憶の経験則上、よくわかっていた。
「お父様もお仕事、頑張ってくださいね」
笑顔でそう言うと、父親の瞳が微かに揺れ、苦しそうに唇が結ばれた。
まるで泣いてしまいそうな表情のようだが、これ以上優しくしてしまうと祖父が今度は妬いてしまって食事に戻るどころではなくなる。
それゆえにすれ違う際、優しく手の甲に触れて微笑むだけにしておいた。
階段のところで待っているウォルターに目配せし、そのまま部屋に戻ろうと歩き出す。
その途中、ウォルターがホッとしたような声で告げた。
「さすがです、お嬢様」
アナスターシャは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、振り返った。
「さて、なんのことですの?」
ウォルターは一瞬、虚を突かれた表情をしたようだが、やがて二人はクスクスと笑いあい、空気が緩んだことで体の緊張も解けたのか、せっかく格好をつけた空気をぶち破るように情けない音が漏れた。
きゅるるるっ…
息をのんだ彼女に対し、ウォルターが穏やかに返す。
「お嬢様、いつの間にリスでも飼いはじめたのですか?」
「さあ、いつだったかしら?」
顔を真っ赤にしながらそう返した彼女はウォルターがそれ以上追及してこないことにホッとしつつ、部屋に戻って席につき、ようやく食事にありついたのだった。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか?」
「? 何か問題でも?」
小首を傾げた彼女に、ウォルターが少しだけ困ったように眉尻を下げた。
「…いえ、それが…アール様が予定よりも随分と早く到着されましたので、是非ともお嬢様に会いたいとおっしゃっておりますゆえ、お食事の途中で申し訳ございませんが、ご同行をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「おじい様が?」
アナスターシャは一瞬、食べ終わってからではダメかと考えたのだが、現世の記憶を探り当てて思い出す。
(そうでした。ウォルターは公爵家の執事たちを教育するためにおじい様のお家から派遣されている教育係の一人でしたわね。期限付きの、ですけれど)
現世の記憶ではまだ幼いがゆえに、細かいところや小難しいところはわかっていなかったようだが、ウォルター含めた数人の執事や侍女が貸し出されていたということはわかっていた。
そして、貸し出された側の彼らはお節介と言うほどに彼女を甲斐甲斐しく世話をしていたことも。
「すぐに伺いますわ」
フォークをそっと置くと、立ち上がったアナスターシャはウォルターと共に玄関へと向かった。
だが、玄関へ続くホールの階段に差し掛かった時、ピリッと引き締まった空気を感じ、と同時に声がした。
「困ります、父上。あなたには常識というものがないのですか?」
険しい父親の声が聞こえ、そっと階段の端の方から身を乗り出すと、玄関ホールでアナスターシャの父親である長身の男と、それと同じくらいの長身の紳士風な老齢の男が向かい合っていた。
老齢の男の方は背筋がピンと伸びており、まさに老紳士という表現が似合う男性である。
老紳士はニコニコとしているが、威圧感のある笑顔であり、両者一歩も譲らない空気が漂っている。
「何を今更」
鼻で笑った老紳士の口調に父親の眉間のシワが深くなる。
「…そーでしたね。父上はそう言う人でしたね」
嫌味を込めてそう告げた父親に老紳士もとい祖父はにこやかに告げた。
「アナスターシャの食事が終わって身支度が終わったなら連れて行くよ。この不愉快な家にいつまでもいさせるわけにはいかないからね」
「父上!」
噛みつかんばかりにそう吠えた父親に祖父がふと、冷徹な目を向けた。
「弱い犬ほどよく吠える」
「っ!?」
緊張ムードがさらに深まってきたのを見て、アナスターシャはウォルターと視線を交わし、老執事の表情が曇ってしまったのを見てふわりと笑いかけた。
そして、わき目も振らずに階段を駆け下りたアナスターシャは明るく声を響かせる。
「おじい様!」
振り返った祖父が先ほどまで息子に向けていたのとは正反対の、慈愛に満ちた満面の笑みを浮かべながら彼女をみとめ、両腕を広げる。
「アナスターシャ!!」
勢いよくその腕の中に飛び込んだアナスターシャを受け止めた祖父が抱きしめる。そして、勢い余ってその場でくるりと回った。
「ああ、アナスターシャ。元気にしていたかい? 継母に嫌がらせを受けなかったかい? バカ息子に冷たくされなかったかい?」
幸せそうに頬ずりをしながらそう言った祖父の髭が触れ、くすぐったくて思わず笑ってしまったアナスターシャが目を輝かせて首を横に振る。
「おじい様ってば、心配しすぎですわよ?」
それから祖父から一度離れて、仕事の関係上や様々な要因から顔を久しぶりに合わせた父親に向かって微笑み、父親の傍に歩み寄ってそっと耳元に囁いた。
「お父様も、おじい様に文句を言われるのは今更なのですから、噛みついたり傷ついた表情を浮かべてはダメですわよ? 余計に意地悪をされてしまいますわ」
父親が驚きと戸惑いの混じったような顔を浮かべた様を見て、顔を離してクスッと笑ったアナスターシャが軽やかに祖父の元に舞い戻る。
「おじい様、お食事が終わるまでお待たせしてしまいますゆえ、どうか弟と遊んできてくださいな」
「レオンハルトと?」
「ええ」
レオンハルトと言うのはアナスターシャの腹違いの弟である。
が、継母が過保護であるがゆえにアナスターシャは弟が『いる』というのは知っているだけで、遠目から継母と共に歩いている姿を見ただけなのだが。
(前世の記憶が戻る前は愛されていて羨ましいなんて思ったけれど、あの継母と父親から”だけ”愛されるなんて寂しいですものね。次期当主なのですから、おじい様にもきちんと愛してもらわないと)
ほとんどレオンハルトと顔を合わせている様は見たことがなく、祖父はほとんどアナスターシャに会って、アナスターシャと遊んで帰ってしまう。
ゆえに、同じ孫として、そして次期当主としても認められる程度の子になってほしいと思った。
(まあ、継母からすればお節介でしょうけれど)
大人な目線も手に入れた彼女はそう呟いたが、全く後悔はなかった。
しばらく考え込んでいた祖父だったが、やがて困ったように眉尻を下げる。
「…レオンハルトと会いたいのは山々なんだけどね。――…あの新しい女はどうも馬が合わない。なのに、おべっかを使って来るから余計に気持ち悪い」
声のトーンを落としてそうアナスターシャの耳元に呟いた祖父は、しばし黙考の後、小さく頷いた。
「でも、せっかくだから会いに行こうかな。アナスターシャの推薦ももらったし」
「あら、おじい様。私の推薦では弱すぎるのではなくて?」
アナスターシャは悪戯っぽく笑いながらそう尋ねると、祖父は優しく彼女の頭を撫でて微笑んだのだった。
「私にとっては最高の推薦状だ」
「あら、それは願ってもないことですわね」
空気がだいぶ和らいだことを感じながら、アナスターシャはホッと胸を撫で下ろしていた。
(よかった。…おじい様はお義母さまが嫌いだから、お父様と喧嘩ばかりですし、ウォルターたち使用人も気を遣わせてばかりで申し訳ないですもの)
いつもアナスターシャが顔を見せれば、再婚当初から続く親子喧嘩の空気が緩む。
現世の記憶の経験則上、よくわかっていた。
「お父様もお仕事、頑張ってくださいね」
笑顔でそう言うと、父親の瞳が微かに揺れ、苦しそうに唇が結ばれた。
まるで泣いてしまいそうな表情のようだが、これ以上優しくしてしまうと祖父が今度は妬いてしまって食事に戻るどころではなくなる。
それゆえにすれ違う際、優しく手の甲に触れて微笑むだけにしておいた。
階段のところで待っているウォルターに目配せし、そのまま部屋に戻ろうと歩き出す。
その途中、ウォルターがホッとしたような声で告げた。
「さすがです、お嬢様」
アナスターシャは少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、振り返った。
「さて、なんのことですの?」
ウォルターは一瞬、虚を突かれた表情をしたようだが、やがて二人はクスクスと笑いあい、空気が緩んだことで体の緊張も解けたのか、せっかく格好をつけた空気をぶち破るように情けない音が漏れた。
きゅるるるっ…
息をのんだ彼女に対し、ウォルターが穏やかに返す。
「お嬢様、いつの間にリスでも飼いはじめたのですか?」
「さあ、いつだったかしら?」
顔を真っ赤にしながらそう返した彼女はウォルターがそれ以上追及してこないことにホッとしつつ、部屋に戻って席につき、ようやく食事にありついたのだった。
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