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序章 深淵の底で
ep1
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「結婚の申し込みがあったぞ、ドブネズミ」
そう声を掛けられた彼女が深々と頭を下げた。
「光栄でございます」
ドブネズミ。それは家族共通の呼び名。
正妻が呼び始めた名前ではあるが、いつの間にか家族からそう呼ばれるようになっていた。愛着こそないが、悲しいかな。
彼女はこう呼ばれるだけで反応してしまうようにしつけられてしまった。
「ドブネズミにふさわしい平民の家だ」
ヘラリと笑う主と、嘲笑うように声をあげて笑う家族たち。その様子を見ながら彼女は静かに頭を下げ直し、部屋を辞することにした。
「仕事に戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかけると、主はなれなれしく彼女の肩を抱いて楽しそうに笑った。
「もうメイドの真似事はいいぞ。明後日には挙式だからな。化粧方法の手ほどきやらドレスの着方やら、そういうことを勉強しておけよ」
「はい、かしこまりました」
淡々と返した彼女は踵を返して自室に戻ると嬉しそうなリアラを見て尋ねた。
「何かリアラがしてくれたの?」
「そんなことはしていませんよ、スー様」
満面の笑みを浮かべたリアラはそう言うと、ベッドに腰掛けた彼女の傍に膝立ちになって器用に髪の毛を結い、ふにゃりと笑った。
「でも、私もご一緒することになりました。この家ともおさらばです」
「そう…。でも、実家に帰った方がいいんじゃあ…?」
「いいえ、スー様。私めはスー様の敬遠なる徒です、――なんて」
スーことスーヴィエラという名を持つ彼女はリアラにだけ見せる笑顔をふにゃりと力なく浮かべ、リアラの頭を撫でた。
「ありがとう」
「えへへ♪」
☆
スーヴィエラの結婚の相手は最近、一山あてたらしく地主としても有名になってきたというお家イシュカ家。そのイシュカ家の次男坊であり龍騎士をしているという同い年の青年ヴィンセント。
なかなかのハンサムな青年で、ロマンスグレーの髪の毛にヨモギ色の瞳を持っていた。そして、リアラにはわからなかったらしいが、なんとなく別の龍(っぽい)匂いがして龍騎士なのだなと彼女も実感していた。
龍にも一応、特有のにおいのようなものがあり、個体(種族)は判別できないものの何となく存在を龍人も感じることはできるのだった。
龍が龍人を判別できるのか、それは彼女にもわからないのだが、龍と触れ合った人間には必ず匂いが残る。
龍人は人間なので龍の気配はしないため、龍人同士の判別方法と言うと、派手な髪色や瞳の色だったりするのだが。
そして、龍人でもないのに匂いがするのは龍と触れ合うことの多い龍騎士ということになる。
最低限の人数しかいない略式のこじんまりとした挙式だったが、それでもスーヴィエラにとってはようやく家から逃げ出せることに感謝していた。それも、もはや親友であるリアラと一緒に、だ。
ただ、向かい合ったヴィンセントは終始不機嫌な顔をしており、苛立ちも伝わってくる。
(政略結婚、だものね)
結婚を申し込まれたと伝え聞いていたが、実際は政略結婚以外の何物でもないことを知っている。
スーヴィエラの過ごしてきたルクフォード家は結納金目当てで、そして嫁ぎ先のイシュカ家はパルでの経営基盤を欲していた。
スーヴィエラにとっても渡りに船という状態であり、半ばすべての思惑に心を無視して利用されるだけのヴィンセントは犠牲者ともいえる。
(不機嫌になっても仕方ないよね)
スーヴィエラはヴィンセントの理由はどうあれ、協力してくれたことに感謝をしようと思っていたが、その瞳の奥にある暗い色を見た時、背筋が凍るような悪寒が走った。
スーヴィエラにだけではなくルクフォード家全員に向ける殺意にも似た冷ややかな視線を見ながら、彼女はヴィンセントにも一時、抱いてしまったその光をそっとかき消した。
ここでも幸せにはなれないのだ、と。
そんなことを考えて。
そう声を掛けられた彼女が深々と頭を下げた。
「光栄でございます」
ドブネズミ。それは家族共通の呼び名。
正妻が呼び始めた名前ではあるが、いつの間にか家族からそう呼ばれるようになっていた。愛着こそないが、悲しいかな。
彼女はこう呼ばれるだけで反応してしまうようにしつけられてしまった。
「ドブネズミにふさわしい平民の家だ」
ヘラリと笑う主と、嘲笑うように声をあげて笑う家族たち。その様子を見ながら彼女は静かに頭を下げ直し、部屋を辞することにした。
「仕事に戻らせていただいてもよろしいでしょうか?」
そう問いかけると、主はなれなれしく彼女の肩を抱いて楽しそうに笑った。
「もうメイドの真似事はいいぞ。明後日には挙式だからな。化粧方法の手ほどきやらドレスの着方やら、そういうことを勉強しておけよ」
「はい、かしこまりました」
淡々と返した彼女は踵を返して自室に戻ると嬉しそうなリアラを見て尋ねた。
「何かリアラがしてくれたの?」
「そんなことはしていませんよ、スー様」
満面の笑みを浮かべたリアラはそう言うと、ベッドに腰掛けた彼女の傍に膝立ちになって器用に髪の毛を結い、ふにゃりと笑った。
「でも、私もご一緒することになりました。この家ともおさらばです」
「そう…。でも、実家に帰った方がいいんじゃあ…?」
「いいえ、スー様。私めはスー様の敬遠なる徒です、――なんて」
スーことスーヴィエラという名を持つ彼女はリアラにだけ見せる笑顔をふにゃりと力なく浮かべ、リアラの頭を撫でた。
「ありがとう」
「えへへ♪」
☆
スーヴィエラの結婚の相手は最近、一山あてたらしく地主としても有名になってきたというお家イシュカ家。そのイシュカ家の次男坊であり龍騎士をしているという同い年の青年ヴィンセント。
なかなかのハンサムな青年で、ロマンスグレーの髪の毛にヨモギ色の瞳を持っていた。そして、リアラにはわからなかったらしいが、なんとなく別の龍(っぽい)匂いがして龍騎士なのだなと彼女も実感していた。
龍にも一応、特有のにおいのようなものがあり、個体(種族)は判別できないものの何となく存在を龍人も感じることはできるのだった。
龍が龍人を判別できるのか、それは彼女にもわからないのだが、龍と触れ合った人間には必ず匂いが残る。
龍人は人間なので龍の気配はしないため、龍人同士の判別方法と言うと、派手な髪色や瞳の色だったりするのだが。
そして、龍人でもないのに匂いがするのは龍と触れ合うことの多い龍騎士ということになる。
最低限の人数しかいない略式のこじんまりとした挙式だったが、それでもスーヴィエラにとってはようやく家から逃げ出せることに感謝していた。それも、もはや親友であるリアラと一緒に、だ。
ただ、向かい合ったヴィンセントは終始不機嫌な顔をしており、苛立ちも伝わってくる。
(政略結婚、だものね)
結婚を申し込まれたと伝え聞いていたが、実際は政略結婚以外の何物でもないことを知っている。
スーヴィエラの過ごしてきたルクフォード家は結納金目当てで、そして嫁ぎ先のイシュカ家はパルでの経営基盤を欲していた。
スーヴィエラにとっても渡りに船という状態であり、半ばすべての思惑に心を無視して利用されるだけのヴィンセントは犠牲者ともいえる。
(不機嫌になっても仕方ないよね)
スーヴィエラはヴィンセントの理由はどうあれ、協力してくれたことに感謝をしようと思っていたが、その瞳の奥にある暗い色を見た時、背筋が凍るような悪寒が走った。
スーヴィエラにだけではなくルクフォード家全員に向ける殺意にも似た冷ややかな視線を見ながら、彼女はヴィンセントにも一時、抱いてしまったその光をそっとかき消した。
ここでも幸せにはなれないのだ、と。
そんなことを考えて。
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