薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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閑話 眼鏡のおじさん

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 タリークの街、その街はずれに一軒の教会があった。


 「ルルー、書庫から赤い表紙が付いた紙の束を持ってきてくれる?」


 ルルーと呼ばれた少女は教会の掃除をしていたのだが、シスターから声を掛けられて少女は返事をする。

 「はい、シスター・ミルダ。赤い表紙のついた紙束、ですね?」

 「うん、お願い。お客様がいらっしゃるから」

 少女はトテトテと走っていくと、書庫に入って机の上に駆け寄り、積んであった赤い表紙の紙束をよいしょという掛け声とともに何とか紙束を持ち上げた。
 その拍子に少女の滑らかな金髪がさらりと垂れてきて彼女の視界を塞ぐ。

 「あわわっ」

 彼女が慌てていると、ふわりとどこからともなく風が吹いて彼女の髪の毛は払いのけられる。

 「ありがとー、精霊さん!」

 彼女は周りに浮かんでいる透き通った緑の可愛らしいフワフワの兎みたいな生き物に向かってそう告げると、それは嬉しそうにクルクルと回りながら閉まったままの窓をすり抜けて見えなくなっていった。

 先ほどのような存在を彼女は『精霊さん』と呼んでいた。

 だが、不思議なことにその精霊さんは彼女にしか見えず、この教会で暮らす誰も、そしてこの町はずれの村の人間が誰一人としてみることが出来ないものだということも物心ついた時からわかっていた。
 おかげで不気味な存在として不気味な未知の生命体扱い。教会の外に出ると村の子たちに意地悪され、教会で一緒に暮らす子供たちからも敬遠されている存在となっていた。
 シスターや司祭たちは教会の子たちが彼女に意地悪をしていると叱ってくれて守ってくれるが、心のどこかでは腫れ物扱いしていることも薄々感づいていた。

 とはいえ、シスター・ミルダという老齢のシスターだけは見えないけれどなんとなく存在を感じられるらしく、いつも彼女に優しかったし、他の大人たちのように密かに腫れ物扱いもしないでいてくれた。

 だからこそ、彼女はシスター・ミルダのためならお手伝いを進んでなんでもしたものだった。

 だが、いくら一人でも味方がいるとはいえ、人前で精霊さんたちとお喋りをしていると変な目で見られてしまうので控えているのだが。
 今は一人なので特別というやつだ。


 「シスター・ミルダ、持ってきました」


 彼女はそう言って書類を差し出すと、シスター・ミルダが嬉しそうに顔を綻ばせて懐からいつもの美味しいキャンディーを取り出した。

 「ごくろうさま、ルルー」

 シスター・ミルダは応接用のテーブルに誰かと向かい合って座っていた。
 さりげなく観察すると、向かいに座っているのは眼鏡をかけた男の人。皺ひとつないアイロンがけが行き届いたパリッとしたスーツを纏い、襟元には綺麗な金バッジ。
 靴もピカピカに磨かれており、多少は砂ぼこりが付いていても、ほぼ汚れはないと言えるくらいだった。そして、ネクタイもおしゃれで上品そうな人である。


 「ルルー、ごめんね。お客様と大事なお話があるの。ちょっと席を外してくれるかい?」


 彼女はこくんと頷いてトテトテと部屋を出ようとしたが、部屋のドアに手を掛ける前に振り返った。

 すると、ソファに腰掛けていた男の人と視線がかち合う。
 少女から見てもかなり整った面立ちであり、この村では見かけないほどのハンサムなその人が目を細めて小さく微笑んだ。
 その笑みを見てビクッと震えた少女は慌てて逃げるように退室すると、後ろ手にドアを閉めた後でふぅと息を吐き出した。

 (あの人、前に来ていた人だ。…でも、しばらく来ていなかったのにどうして…?)

 この教会では孤児を引き取って育てる孤児院も行っていた。
 それゆえに、この教会に来るごく一部――シスターや司祭たちに書面を用いて何かを話し合っているときは子供の誰かを引き取りに来た大人なのである。
 ただ、性格の不一致や環境の変化に耐えられなかった子はこの教会に戻ってきてしまうということもあるため、教会の大人たちはかなり慎重になっているようで、審査にかなり時間をかけるようになったことで子供たちの引き渡せる数は減ってしまっていた。

 赤ちゃんの頃ならばすぐに引き取ってもらえるし、引き取りても割と早く決まる。
 が、歳を重ねるごとにその確率が減少してしまうのだ。

 先ほどの男の人は数か月前に何度か足を運んでいた人であり、少女も遠くから見たことはあったが、彼女の人に見えないものが見える体質を知って引き取ることをやめてしまう人ばかりで、幼いながらに教会が自分の居場所なのだと思うようになっていた。

 (やめたかと思ったのに、変な人。――まあ、でも、私は関係ない…よね)

 教会の子供たちは親の顔を知っていれば教会を離れたくないと言ったり、ここで親を待つという子も多い。が、たいていは親の顔さえ知らない子ばかりであった。(少女調べ)
 そういう子たちは引き取られたいがために嘘に嘘を重ね、引き取られてからもしばらくいい子のふりをするが、化けの皮が剥がれて教会の方に戻されてしまうということもないとは言えない状況にある子も残念ながらいるのだ。

 偽ってなどいないが、少女も引き取られて戻された側の人間であり、戻されても何度も挑戦しようとする子もいるが、彼女は完全に諦めきっていた。


 (眼鏡のおじさん、どんな子を引き取るのかな?)


 結婚指輪をつけていたので奥さんがいる。

 …ということはわかっている。だが、奥さんと一緒に来たところは一度も見たことがなかった。

 (あの人、奥さんと仲が悪いのかな? だとしたら、あの眼鏡のおじさんは審査に落ちちゃうかも)


 教会の掃除を済ませ、他の子に交じって遊んでもらえないことがわかっているので、出来そうな仕事を探していると入り口のところでふと穏やかなシスター・ミルダの声が聞こえたので彼女は驚いた。


 「では、カミルさん。支度をさせておきますから、明日の夜、お待ちしておりますね?」


 カミルと呼ばれたその男が優雅にお辞儀をした。

 「では、フェリシアによろしく伝えておきます」

 そして、少女の視線に気が付いたのか、その人がちらりと彼女の方に目をやって目を細めるように微笑んだ。
 その人が小さく手を振ったので少女は身を強張らせ、慌てて会釈する。



 その夜、シスター・ミルダが消灯のために部屋を訪れた際、彼女に優しく話しかけた。

 「ねえ、ルルー」

 「はい、シスター」

 「一週間、お試しでいいのだけど、あなたを引き取りたいって人がいるの。その人の家に泊りに行ってみない?」

 少女は不思議そうに小首を傾げた。

 「…その人って、シスターに会いに来ていた眼鏡のおじさんですか?」

 すると、シスター・ミルダはプフッと吹いた。

 「おじさん、…そ、そうね。あなたから見ればおじさんって歳かも。けれど、彼はまだ20代よ? お兄さんって呼んであげた方が親切よ…きっと」

 そう言いながらも笑いをこらえているシスター・ミルダの様子に少女は口を尖らせる。

 「…お試しでいいんですか?」

 「気に入ったら、その人の家の子になってくれるといいけれど、…でも、無理をして行かなくていいのよ。あなたの体質のことはきちんと言葉で説明しているけれど、実際に見るのと言葉で聞くのは違うから」

 少女の頭を撫でたシスター・ミルダは穏やかに微笑んだ。

 「それに、あなたがその家で暮らしたくないって思ったら、その家に引き取られたら苦しいでしょ? じゃあ、やめた方がいいってことになるから、お試し。書類審査は通ったから、第二段階」

 「書類審査?」

 「そうよ。あなたを育てるだけのお金があるのか、とか、夫婦関係や周囲の評価はどうなのか、とか、もちろん、反社会的な要素があれば託すことに不安があるからご遠慮いただく、とか。できれば新しい親たちの居場所が子供たちにとって最良の居場所になってほしいから、そんなまどろっこしいことをするのだけどね」

 まだ、わからないかもね。とそう言ったシスターはもう一度少女の頭を撫でた。

 「おやすみなさい、ルルーディア。よい夜を」

 「おやすみなさい、シスター・ミルダ」

 少女は明かりが消されてシスターが部屋を出て行ったあと、寝返りを打って目を閉じた。


 (私のこと、子供に欲しい…なんて変わった人)


 そんなことを考えながら眠りへといざなわれていった。

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