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フェリシアはある日、カミルが珍しく自分よりも早く起きていることに気が付いて驚きながらキッチンに向かった。
すると、昨晩、フェリシアが寝る前から彼がチマチマと何か用意していたそれをサンドイッチに挟み込んでいるのが見えてフェリシアは瞬く。
「カミルさん…?」
すると、カミルが文字通りに飛び上がった。
「ぬぉっ!?」
そして、ぎこちないしぐさで振り返ったカミルがずれ落ちかけた眼鏡のブリッジを押し上げる。
「驚かせないでくれよ…」
そう言った彼に、フェリシアは不思議そうな顔をした。
「私たち以外に誰もいないのに、驚かせるも何もないじゃないです? 強盗さんだったら容赦なく襲い掛かる、そんな感じだと思うのですが…」
「…それもそうだな…」
フェリシアは小さく欠伸をした。
「まだちょっと早い時間ですよ? 今日はカミルさん、お休みなのにどこかにお出かけするんです?」
大きなバスケットに色とりどりのサンドイッチを詰め込んでいる彼にそう尋ねると、彼は拗ねたように口を尖らせた。
「一人で虚しくバスケットを抱えて散歩なんてするわけがないだろう?」
「じゃあ、どなたかと出かけるのです?」
フェリシアが小首を傾げると、彼はギョッとした顔をした。
「まさか、覚えていないのか?」
「はい…?」
考え込んで頭をフル回転させようとしたが、眠くなってきてフェリシアは目をこすり、大きく欠伸を漏らす。
「…ええと、なにをです?」
カミルはすると、ちょっと頬を膨らませた。
「明日、一緒に出掛けようって、誘ったじゃないか。そしたら、何度も頷いてくれていたからてっきり、喜んでくれているものだと思っていたんだが」
「…はて? えーと…ごめんなさい。それはたぶん、眠くて舟をこいでいただけです…」
フェリシアは素直にそういうと、カミルが落ち込んだように背を向けた。
「…そう、なのか」
「? 私でいいんですか?」
すっ呆けた顔をしている彼女にカミルはわずかに眉間へ皺を寄せ、彼女の頬を挟み込むようにして両手で触れた。
カミルの両手に包まれるようにしてフェリシアはキョトンとしながら彼を見上げ、彼は照れたように顔を背けながら告げる。
「この前、キチンと最後までお出かけコースを終えてやれなかったし、どうにか償おうってそう思っただけだ。だから、サンドイッチに使えそうな具材をテイクアウトしてきて、こうしてサンドしているんだ」
「お弁当まで用意してくださったんですか!?」
目を見開いた彼女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「嬉しい…。カミルさん、ありがとうございます!」
カミルはそんな満面の笑みを見ながら大きく頷いた。
「じゃあ、今日、一緒に歩こう」
フェリシアはカミルが離れて作業に戻ると、嬉しそうに脱衣所に向かっていった。楽しそうにステップを踏んで鼻歌を口ずさんでいる彼女の様子に、カミルも自然と頬が緩む。
「…そういうところが本当に可愛いよな」
その呟きはシャワーを浴びている彼女に聞こえていなかった。
☆
公園の並木道を二人で並んで歩きながら歩いていた。
少し眠くなるほどのうららかな陽気であり、フェリシアだけでなくカミルもひと眠りしたくなるくらいの穏やかな天気。
そんな空の下を歩いていた二人は芝生の上にシートを敷き、そこに並んで座った。
紅茶はカミルが大失敗して出しすぎたお茶をどうにかブレンドし、美味しく飲める程度にブレンドし直したものであるが、完璧ではないにしろカミルが失敗したせいでこうなってしまったので、彼も仕方がなく飲んでいるようだった。
「お惣菜を挟んだサンドイッチも斬新で美味しいですね」
ソースをたっぷりとかけたカボチャコロッケを挟み込んだサンドイッチを頬張っていたフェリシアがニッコリと笑うと、彼も口元を綻ばせ、だが、それを彼女に見られないようにサンドイッチで隠す。
「ああ、そうだな」
だが、彼がモグッと一口サンドイッチを頬張ったカミルがゴクンと飲み込むようにその一口を食べきった後、フェリシアが彼の口元についていたパンくずをつまみ、そしてパクッと彼女は食べてしまった。
「あっ」
「ついてましたよ?」
悪戯っぽく笑ったフェリシアは美味しそうにサンドイッチを頬張ると、カミルはちょっと拗ねて彼女の頬についたコロッケの衣の欠片に手を伸ばした。
だが、それを取る前に衣の欠片は落ちてしまい、太腿の上に。
(ちょ、レベルあがりすぎだろ!?)
などと悶々としているカミルを余所に、フェリシアはのんびりと公園を見回した。
「それにしてもいいお天気ですね。子連れのお母さんたちも結構いらっしゃいますよ。それに、夫婦連れも、親子連れの方も…」
そして、なんとなく寂しそうに笑った。
「可愛いですよね、子供って」
カミルは我に返ると考え込む仕草をする。
「そ、そうだな。あんまりヤンチャなガキは苦手だが、大人しい子なら…まあ。それに、人に気遣いできるいい子だと特に」
フェリシアはクスクスと笑った。
「私はヤンチャなところも含めて可愛いと思いますけどね。なんて言うか…子供らしいっていうのか、明るくて元気いっぱいで、こっちまで元気になるんです。――親じゃないからこそ、無邪気でも普通に可愛いって、そう思えるのかもしれません。でも、いいですよね」
遠い目をしたフェリシアがギュッと握り拳を固めて寂しそうな顔をした。
カミルはその握り拳に手のひらを重ねると、彼女は驚いたように振り返る。
「カミルさん…?」
「養子でもとるか?」
カミルのそんな言葉に、フェリシアは驚いた顔をしていたがやがて、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。でも、カミルさんが子供、苦手だっていうなら無理になんてわがままは言いませんよ。お気遣い、ありがとうございます」
フェリシアが微笑んだ。
その時、冷ややかな声が投げかけられた。
「なんでくたばってないのかしら?」
フェリシアは傷ついたような顔をし、カミルが明確な殺意を持って振り返ると、そこには険しい表情をしたミリアが仁王立ちをして佇んでいた。
「なんでいるの? なんでカミルの隣にあんたがいるのよ!?」
フェリシアが後ずさろうとしたが、カミルはそっとフェリシアを抱き寄せた。
「俺が連れ戻した。それだけの話だ。――何か問題でもあるのか?」
ミリアが目を見開く。
「大ありだわ! あんなに高いお金を支払ったのに、なんで、…」
カミルは冷ややかに返す。
「930万程度でフェリシアを魔物に食わせようとしたことか?」
ミリアが顔を歪めた。
「…なんで、知っているの?」
「何でって、俺の仕事仲間だからな、その爺さん。オフィスは違えど、俺の嫁に関する依頼の情報だ。むしろ、流れてこないほうがおかしいってハナシだろ?」
「な、なによ。あんたは嫁のこと、何一つ覚えていないんでしょ?! じゃあ…!」
ミリアが嬉々としたトーンでそう言うと、カミルは逆に声のトーンを落とす。
「覚えていなくても、また好きになったらダメなのか?」
その直後、フェリシアの目が見開かれた。
「カミル、さん…?」
「俺の嫁さんはただ一人だ。ちょっと臆病で逃げ腰なところもあるが、穏やかで優しくて、それに気づかいも上手くて、料理も美味しくて、おっちょこちょいで可愛い。――もっと褒めようか?」
カミルがフェリシアにそう尋ねると、彼女は耳まで赤くなって要領オーバーを起こし、思考停止状態に陥っているようだった。
「こんなに可愛い嫁の記憶をぶっ飛ばすなんて俺もたいがい、バカなんだろうけどさ。けど、…命を懸けて守ってやりたい、俺にとっては極上の…いや、最高の女なんだ」
ミリアは何かを言い返そうとしたが、彼は露骨に無視をしてフェリシアの口元にサンドイッチを差し出した。
「ほら、あーん」
「へ!?」
我に返ったフェリシアが顔を真っ赤にしてあたふたしているのをカミルは愛おしそうに見つめていた。
「あーん、は?」
「あ、あーん…?」
疑問符を付ける彼女の口に一口サイズに千切ったサンドイッチを食べさせたカミルは悔しそうに歯噛みしているミリアを一瞥し、フェリシアに視線を戻した。
「なぜ別れたか、全然思い出せないが、…ミリア。その野心は尊敬にも値するものがあるが、玉の輿を狙って男を変えまくっても、そこに本当にお前にとっての幸せがあるのか。――それをよく考えた方がいい」
フェリシアの不安そうな顔を見ながら微笑んだカミルは首を横に振った。
「心配しなくたって、もう逃げない」
「…でも、長くはいられないんですよ? いつ、死ぬのかわからないんですよ? それでも本当に私でいいんですか?」
ミリアが去り際に何か汚い言葉で罵ったが、カミルがフェリシアの耳を塞いで顔を近づけ、そして優しく口づけをした。
「わー、キスしてるー」とか、「見ちゃいけません!」などと声が聞こえたが、カミルにはもう、どうでもいいことだった。
フェリシアから離れたカミルは紅茶を啜る。
「待たせて悪かったな。その、不安な気持ちのせいで当たったり、逃げたりして申し訳ないし、償いを求められてしまっては、どうすればいいかわからない…が、何かオーダーはあるか?」
フェリシアは涙で潤んだ瞳で彼を見上げた。
「本当にいいんですか? あとどれくらい生きられるのかわからないですし、いつ死んでもおかしくないって、そう言われているんですよ? あなたには本当に幸せに――」
そこから先を言わせまいと、カミルが人さし指でフェリシアの唇に触れ、首を横に振った。
「それでも俺は、君といたい」
「えっ…?」
「フェリシアには俺の女として最後までいてほしい」
そして、少年のような無邪気な笑みを浮かべたカミルは愛おしそうに目を細めた。
「ずっとずっと、君の男として生きたいんだ。この人生だけでも、な?」
フェリシアの瞳が潤んだ。そんな彼女を優しく抱きしめたカミルは、彼女が嗚咽するのをただ受け止めていた。
結局、彼女は泣き疲れて眠ってしまったが、その寝顔は本当に幸せそうで穏やかな寝顔をしていた。
すると、昨晩、フェリシアが寝る前から彼がチマチマと何か用意していたそれをサンドイッチに挟み込んでいるのが見えてフェリシアは瞬く。
「カミルさん…?」
すると、カミルが文字通りに飛び上がった。
「ぬぉっ!?」
そして、ぎこちないしぐさで振り返ったカミルがずれ落ちかけた眼鏡のブリッジを押し上げる。
「驚かせないでくれよ…」
そう言った彼に、フェリシアは不思議そうな顔をした。
「私たち以外に誰もいないのに、驚かせるも何もないじゃないです? 強盗さんだったら容赦なく襲い掛かる、そんな感じだと思うのですが…」
「…それもそうだな…」
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「まだちょっと早い時間ですよ? 今日はカミルさん、お休みなのにどこかにお出かけするんです?」
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「一人で虚しくバスケットを抱えて散歩なんてするわけがないだろう?」
「じゃあ、どなたかと出かけるのです?」
フェリシアが小首を傾げると、彼はギョッとした顔をした。
「まさか、覚えていないのか?」
「はい…?」
考え込んで頭をフル回転させようとしたが、眠くなってきてフェリシアは目をこすり、大きく欠伸を漏らす。
「…ええと、なにをです?」
カミルはすると、ちょっと頬を膨らませた。
「明日、一緒に出掛けようって、誘ったじゃないか。そしたら、何度も頷いてくれていたからてっきり、喜んでくれているものだと思っていたんだが」
「…はて? えーと…ごめんなさい。それはたぶん、眠くて舟をこいでいただけです…」
フェリシアは素直にそういうと、カミルが落ち込んだように背を向けた。
「…そう、なのか」
「? 私でいいんですか?」
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カミルの両手に包まれるようにしてフェリシアはキョトンとしながら彼を見上げ、彼は照れたように顔を背けながら告げる。
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「お弁当まで用意してくださったんですか!?」
目を見開いた彼女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべていた。
「嬉しい…。カミルさん、ありがとうございます!」
カミルはそんな満面の笑みを見ながら大きく頷いた。
「じゃあ、今日、一緒に歩こう」
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「…そういうところが本当に可愛いよな」
その呟きはシャワーを浴びている彼女に聞こえていなかった。
☆
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少し眠くなるほどのうららかな陽気であり、フェリシアだけでなくカミルもひと眠りしたくなるくらいの穏やかな天気。
そんな空の下を歩いていた二人は芝生の上にシートを敷き、そこに並んで座った。
紅茶はカミルが大失敗して出しすぎたお茶をどうにかブレンドし、美味しく飲める程度にブレンドし直したものであるが、完璧ではないにしろカミルが失敗したせいでこうなってしまったので、彼も仕方がなく飲んでいるようだった。
「お惣菜を挟んだサンドイッチも斬新で美味しいですね」
ソースをたっぷりとかけたカボチャコロッケを挟み込んだサンドイッチを頬張っていたフェリシアがニッコリと笑うと、彼も口元を綻ばせ、だが、それを彼女に見られないようにサンドイッチで隠す。
「ああ、そうだな」
だが、彼がモグッと一口サンドイッチを頬張ったカミルがゴクンと飲み込むようにその一口を食べきった後、フェリシアが彼の口元についていたパンくずをつまみ、そしてパクッと彼女は食べてしまった。
「あっ」
「ついてましたよ?」
悪戯っぽく笑ったフェリシアは美味しそうにサンドイッチを頬張ると、カミルはちょっと拗ねて彼女の頬についたコロッケの衣の欠片に手を伸ばした。
だが、それを取る前に衣の欠片は落ちてしまい、太腿の上に。
(ちょ、レベルあがりすぎだろ!?)
などと悶々としているカミルを余所に、フェリシアはのんびりと公園を見回した。
「それにしてもいいお天気ですね。子連れのお母さんたちも結構いらっしゃいますよ。それに、夫婦連れも、親子連れの方も…」
そして、なんとなく寂しそうに笑った。
「可愛いですよね、子供って」
カミルは我に返ると考え込む仕草をする。
「そ、そうだな。あんまりヤンチャなガキは苦手だが、大人しい子なら…まあ。それに、人に気遣いできるいい子だと特に」
フェリシアはクスクスと笑った。
「私はヤンチャなところも含めて可愛いと思いますけどね。なんて言うか…子供らしいっていうのか、明るくて元気いっぱいで、こっちまで元気になるんです。――親じゃないからこそ、無邪気でも普通に可愛いって、そう思えるのかもしれません。でも、いいですよね」
遠い目をしたフェリシアがギュッと握り拳を固めて寂しそうな顔をした。
カミルはその握り拳に手のひらを重ねると、彼女は驚いたように振り返る。
「カミルさん…?」
「養子でもとるか?」
カミルのそんな言葉に、フェリシアは驚いた顔をしていたがやがて、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。でも、カミルさんが子供、苦手だっていうなら無理になんてわがままは言いませんよ。お気遣い、ありがとうございます」
フェリシアが微笑んだ。
その時、冷ややかな声が投げかけられた。
「なんでくたばってないのかしら?」
フェリシアは傷ついたような顔をし、カミルが明確な殺意を持って振り返ると、そこには険しい表情をしたミリアが仁王立ちをして佇んでいた。
「なんでいるの? なんでカミルの隣にあんたがいるのよ!?」
フェリシアが後ずさろうとしたが、カミルはそっとフェリシアを抱き寄せた。
「俺が連れ戻した。それだけの話だ。――何か問題でもあるのか?」
ミリアが目を見開く。
「大ありだわ! あんなに高いお金を支払ったのに、なんで、…」
カミルは冷ややかに返す。
「930万程度でフェリシアを魔物に食わせようとしたことか?」
ミリアが顔を歪めた。
「…なんで、知っているの?」
「何でって、俺の仕事仲間だからな、その爺さん。オフィスは違えど、俺の嫁に関する依頼の情報だ。むしろ、流れてこないほうがおかしいってハナシだろ?」
「な、なによ。あんたは嫁のこと、何一つ覚えていないんでしょ?! じゃあ…!」
ミリアが嬉々としたトーンでそう言うと、カミルは逆に声のトーンを落とす。
「覚えていなくても、また好きになったらダメなのか?」
その直後、フェリシアの目が見開かれた。
「カミル、さん…?」
「俺の嫁さんはただ一人だ。ちょっと臆病で逃げ腰なところもあるが、穏やかで優しくて、それに気づかいも上手くて、料理も美味しくて、おっちょこちょいで可愛い。――もっと褒めようか?」
カミルがフェリシアにそう尋ねると、彼女は耳まで赤くなって要領オーバーを起こし、思考停止状態に陥っているようだった。
「こんなに可愛い嫁の記憶をぶっ飛ばすなんて俺もたいがい、バカなんだろうけどさ。けど、…命を懸けて守ってやりたい、俺にとっては極上の…いや、最高の女なんだ」
ミリアは何かを言い返そうとしたが、彼は露骨に無視をしてフェリシアの口元にサンドイッチを差し出した。
「ほら、あーん」
「へ!?」
我に返ったフェリシアが顔を真っ赤にしてあたふたしているのをカミルは愛おしそうに見つめていた。
「あーん、は?」
「あ、あーん…?」
疑問符を付ける彼女の口に一口サイズに千切ったサンドイッチを食べさせたカミルは悔しそうに歯噛みしているミリアを一瞥し、フェリシアに視線を戻した。
「なぜ別れたか、全然思い出せないが、…ミリア。その野心は尊敬にも値するものがあるが、玉の輿を狙って男を変えまくっても、そこに本当にお前にとっての幸せがあるのか。――それをよく考えた方がいい」
フェリシアの不安そうな顔を見ながら微笑んだカミルは首を横に振った。
「心配しなくたって、もう逃げない」
「…でも、長くはいられないんですよ? いつ、死ぬのかわからないんですよ? それでも本当に私でいいんですか?」
ミリアが去り際に何か汚い言葉で罵ったが、カミルがフェリシアの耳を塞いで顔を近づけ、そして優しく口づけをした。
「わー、キスしてるー」とか、「見ちゃいけません!」などと声が聞こえたが、カミルにはもう、どうでもいいことだった。
フェリシアから離れたカミルは紅茶を啜る。
「待たせて悪かったな。その、不安な気持ちのせいで当たったり、逃げたりして申し訳ないし、償いを求められてしまっては、どうすればいいかわからない…が、何かオーダーはあるか?」
フェリシアは涙で潤んだ瞳で彼を見上げた。
「本当にいいんですか? あとどれくらい生きられるのかわからないですし、いつ死んでもおかしくないって、そう言われているんですよ? あなたには本当に幸せに――」
そこから先を言わせまいと、カミルが人さし指でフェリシアの唇に触れ、首を横に振った。
「それでも俺は、君といたい」
「えっ…?」
「フェリシアには俺の女として最後までいてほしい」
そして、少年のような無邪気な笑みを浮かべたカミルは愛おしそうに目を細めた。
「ずっとずっと、君の男として生きたいんだ。この人生だけでも、な?」
フェリシアの瞳が潤んだ。そんな彼女を優しく抱きしめたカミルは、彼女が嗚咽するのをただ受け止めていた。
結局、彼女は泣き疲れて眠ってしまったが、その寝顔は本当に幸せそうで穏やかな寝顔をしていた。
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