薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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 フェリシアは翌朝、目を覚ますと布団を掛けられてソファの上にいた。

 「…あれ? 私…」

 目元をこすった彼女は小さく欠伸をして昨日のことを思い出し、慌てて脱衣所に駆け込んで顔に布のシワが付いていることに気が付き、羞恥で真っ赤になりながらシャワーを浴びるために脱衣所で着衣を脱いだ。
 そして時計を確認し、いつもより早い時間に目を覚ましたことに気が付いてホッとした。

 涙の痕を残らず流し、体をきれいに洗って髪を洗い、湯気で曇った鏡を手で拭って鏡を見やったフェリシアはそこで笑顔の練習をした。
 ぎこちない笑顔がようやく何とか形になると、彼女は髪を軽く絞って水を切ると、魔法を使って全身を乾かし、タオルを体に巻いて保湿用のクリームを塗った。

 服を着替えていると、カミルが書いたと思しき『明日やります』というメモが視界に入った。

 「…あ」

 カミルはだが、朝は弱い。フェリシアはそのことをよく知っていた。

 (特に、定例会議の次の日はお寝坊さんですからね)

 フェリシアはクスッと笑うと、慣れた手つきで洗濯を始めた。そして、さっさと下着は部屋干しだが、それ以外の者は天気がいいので外に干す。
 それから一応、申し訳程度にかけられたスーツに『明日アイロンを掛けます』と書かれたメモがあることに気が付いてそのメモを取り、丁寧にアイロンをかける。
 そして朝食の用意をしてしまうと、水回りの掃除から始め、次々に掃除を済ませながら階段を上がり、カミルの起床時間ぐらいに念のためドアをノックした。

 「カミルさん、起きていますか?」

 だが、案の定、返事はない。


 「入りますよ、カミルさん」


 フェリシアがドアを開けると、カミルがぐっすりと寝息を立てていた。フェリシアはそっとカミルの傍に膝をついて体を揺さぶると、彼がうーんと呻いて寝返りを打った。

 「う~ん…」

 顔をしかめたカミルは顔を背けるようにそっぽを向き、そして深く息を吐き出して幸せそうに息を吐き出した。

 「仕方がないですかね…」

 フェリシアはそっとカミルの鼻をつまむと、「ふごっ」という声と共にカミルがカッと目を見開いた。そして、フェリシアが手を退けると眼鏡を掛けた彼が上に覆いかぶさるように身を乗り出している彼女を見て彼は怪訝そうな顔をした。

 「…何をしている?」

 「朝ですよ、カミルさん。また遅刻だなんてシャレになりません」

 「…ああ、もうそんな時間か…」

 そう言った後、彼がガバッと勢いよく起き上がった。フェリシアが慌てて身を引いてぶつからずに済んだ。


 「ちょっと待った。もうそんな時間なのか!?」


 「はい? ええ、そうですが…」

 「嘘だろ…洗濯…!」

 そんな彼にフェリシアは優しく微笑んだ。

 「大丈夫ですよ、カミルさん。私がやっておきましたから」

 「!? それじゃあ意味がない! っていうか、マーサに殺される!」

 「意味、ですか? 私の日常のお仕事なので特に問題ないですよ? でも、気を遣っていただいて嬉しいです。私は普通に日常のお仕事をしただけなのですけどね」

 フェリシアはちょっとホクホク顔でそう言うと、何かを言おうとしてバランスを崩したカミルは膝をついているフェリシアにまともにぶつかってもつれるように倒れこんだ。

 「ぬぉわっ!?」

 「きゃあ!?」

 驚いた顔をしている彼女は何が何だかわからないうちに押し倒され、カミルに組み敷かれる形で倒れていた。カミルはフェリシアの腹に顔を埋める形で倒れていたが、慌てて顔を上げた。

 「すまない」

 「ちょっとビックリしました。でも、大丈夫ですか?」

 「あ、あぁ…」

 カミルはフェリシアが起き上がるのを手伝い、その刹那、久しぶりに二人の視線がかち合った。

 カミルの瞳の奥を覗く形になったフェリシアが戸惑ったように視線を揺らすと、彼は噛みしめるように尋ねた。


 「なあ、今度、暇か?」


 「暇? ええと、暇を作ろうと思えば作れますけど、やることがないわけでもないですよ? というか、今度というのはいつでしょうか?」

 フェリシアが不思議そうに尋ねたので、カミルは慌てたように距離を取った。

 「えっと、だな。そう、出かけたいところがあってついてきてほしいというか、一緒に出かけたいというかだな、その、夫婦なのに一緒に出掛けていないから…そう、散歩だ。…いや、ちょっと違うか? と、とにかく、その散歩に行きたいんだ」

 「散歩ですか? ええと、どうぞ行ってらっしゃいませ…?」

 カミルがゴニョゴニョと何かを言っているのでフェリシアは不思議そうな顔をしてそんなことを告げると、カミルが慌てたように言った。


 「そうじゃなくて、日曜日に一緒に散歩でも行かないか?」



 「…はい?」

 「だ、だから…一緒に散歩でもどうかと思って。ちょっと行きたい場所があるんだ」

 フェリシアはさらに不思議そうな顔をして小首を傾げた。

 「行きたい場所、ですか? ぜひともお供しますけど、どういうお店ですか? あ、もしかしてランジェリーショップでしょうか? 女性に贈るために買うなら、一人では入りにくいですよね」

 カミルはちょっと不機嫌そうな顔をした。

 「違う。夫婦の思い出の場所に行ってみたい。何か思い出せるかもしれないからな」

 彼女はあいまいに微笑んだ。

 「やめた方がいいですよ、カミルさん。大した場所ではありませんし、誰も得しないですし」

 「それでも、知りたいと思うのは傲慢なのか?」

 カミルの言葉にフェリシアはハッとした。


 (そう、ですよね。カミルさんはずっと記憶がなかったのに、それを一部でもいいから知りたいと思うのは当然のことですよね)


 フェリシアは上ずった声で「はい!」と元気に返事をすると、彼は怪訝そうな顔をしたが、やがて時計を確認して慌てたように胸元のボタンをはずし始めたので、フェリシアも慌てて背を向けて靴を履き、ドアの方へ駆け出した。

 「ご、ごめんなさい…!」

 カミルは戸惑ったような表情をしたが、やがて苦笑した。

 「夫婦なら生着替えくらい見たことがあるだろう…? 別に見てほしいわけじゃないが」

 フェリシアはドアを完全に閉め切らない状態で手を止め、そしてドア越しに言った。


 「恥ずかしいので黙秘します!」


 そして、フェリシアがドアを閉め、急いで下の方に逃げるような形で降りて行ったのだが、その後、玄関先のカレンダーの日付の部分に赤い丸が付けられ、その下に遠慮がちにお出かけと書きこまれたのだった。

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