薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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 フェリシアが荷物を持って自宅に向かって歩いていると、隣からそっと手を差し出され、顔を上げるとカミルがいつの間にか並んで歩いていた。

 「!?」

 驚いて目を見開いたフェリシアにカミルは微かに息を切らせながら告げた。

 「…荷物、持つから」

 フェリシアが躊躇っていると、カミルは少し強引にフェリシアの両手に抱えた荷物を引き取って持った。

 「こんなに買ったのか?」

 「つい、お野菜が安かったものですから。それに、今日は大特価でステーキのお肉が手に入ったんです! お値段の割にいいお肉だったので買っちゃいました」

 ホクホク顔でそう言ったフェリシアの握り合わせた手がまだ震えていることに気が付いて、カミルは目を細め、前を向いた。

 「あんたは…隙だらけだな」

 「へ?」

 不思議そうな顔をして振り返ったフェリシアにカミルは前を向きながら、横目でちらりと彼女を見た。

 「もう少し前をよく見て歩いたほうがいい」

 フェリシアはむぅっと頬を膨らませるが、カミルはどこ吹く風という顔で受け流す。

 「ちゃんと歩いています!」

 「そうか」

 だが、フェリシアが馬車が向かってきている道路に飛び出そうとしたので、カミルがグイッと腰に手を回して引き戻した。

 「…ありがとうございます…」

 「死なれたら困る」

 フェリシアはカミルの表情を見上げながら、不思議そうに小首を傾げた。

 「…あの、やけに早かったですけれど、デートじゃなかったのですか?」

 「あっちの仕事が急に入ったから、待ち合わせた場所に戻って解散した。帰ったらシャワーを浴びてもいいか?」

 「はい、もちろんです。お風呂でしたら待ってもらわないといけませんけど」

 「いや、すぐにでも浴びたい」

 二人は並んで歩いていたが、フェリシアには不思議な気分だった。

 (カミルさん、どうしたのでしょう? 私に記憶を失ってから無関心だったのに…どうして?)

 彼女が話を切り出そうとするが、家の前にたどり着いてしまい、カミルに思考を遮られるように声を掛けられてしまった。

 「両手がふさがっているから、鍵を開けてくれないか?」

 「あ、はい!」

 カミルは肩に自分の肩掛け鞄をひっかけているだけでなく、両手にも荷物を持っているので、フェリシアは急いでポケットから取り出した鍵でドアを開けた。

 「カミルさん、ありがとうございます」

 フェリシアがニッコリと笑うと、カミルはさっさと頷いて中に入って行ってしまったが、荷物をリビングに置くと素早く脱衣所の方へと歩いていってしまった。
 久しぶりにもう少しだけ話せる雰囲気になっていてフェリシアは思わず嬉しくなっていたが、ふと冷や水のように別の思いが駆け抜けて喜びは消える。

 (もし、離婚を切り出されたら、私は今のままだったら喜んで送ってあげられませんね…)

 ずきずきと痛む胸に手をやって何度か深呼吸をし、何も考えなくていいようにフェリシアはさっさとカミルのためにハチミツ入りのアイスミントティーを用意する。
 ハチミツ入りのハーブティーの中でも特に風呂上りに出すと喜ばれたので、そっちの方を用意することが割と多かったのだが、最近は少し夜になると寒かったということもあって、温かいお茶を用意していたのだった。

 (もう少しだけ、もう少しだけって甘え続けるのをやめようって思ったのに、このザマとは情けない)

 フェリシアは手早く夕食の調理に取り掛かっていると、カミルがしばらくしてあがってきた。そして、グラスを見て瞬く。

 「それ、アイスミントティーか?」

 「はい。はちみつをたっぷり入れてありますから、甘くて爽やかで美味しいと思います」

 「…あ、ありがとう…」

 消え入りそうな声でカミルがそう言うと、ソファに腰を下ろしてかなり美味しそうにゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。

 だが、その日はそれ以上会話することができず、カミルが何か言いたさそうに口を開いては、視線に気が付いて彼女が顔を上げると、視線を料理に落として視線を揺らすだけの時間が続いた。
 辛うじて食後に「ごちそうさま」とだけ告げて、彼は部屋に戻ってしまった。

 二人分の食器を片付け、シャワーを浴びていたフェリシアは昼間、肩を抱かれた嫌な感触と、顎を持ち上げられ、熱い煙草臭い息を吹きかけられ、胸を触られた屈辱を思い出して我が身をギュッと抱きしめた。
 震えながら、自虐的な笑みを浮かべた。

 「私をあんな風にしていいのはカミルさんだけなんですよ? なのに、何で…なんであの二人を振り払えなかったのですかね…? そんなに私が弱っているんですかね…?」

 どんなに頑張っても振り払うことができなかった腕の力を思い出して視界が滲み、フェリシアは顔を上げてシャワーのノズルを見つめて目を閉じ、もう、涙なのかお湯なのかわからない濡れた顔をあげたまましばらくじっとしていた。

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