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しおりを挟むカミルとフェリシアが暮らし直して数日、弁当の用意を断ってから食堂を利用していたのだが、ヒソヒソ声と共に何となく冷たい視線を感じて居心地が悪くなっていた。
話の内容はあまり聞こえなかったが、奥さんがいるのに、とか、仲が良くないのか、とか、そんな言葉が聞こえて眉根を顰める。
(うまくいくわけがないだろう? こっちは別に好きでも何でもないんだから)
フェリシアとの会話もほとんどなく、家の中はとても静かで、一人で暮らしていた頃に比べると妙に落ち着かない。
仕事場も知らない人ばかりなのに、一方的に話しかけられるようになってイライラが募っていたせいもあるのか、食堂で食べることもいっそ、やめようと決めた。
少し会社から離れた場所にある一軒のカフェ。そこに何となく足を踏み入れてカウンター席に腰掛けた彼は、コーヒーとシュガートーストという砂糖たっぷりの卵液にひたした食パンをふんわりと焼き上げたものを注文する。
口数少ないマスターが一つ返事で用意を始めるその様子を眺めていると、
「あれ? もしかして、カミル?」
そう声を掛けられた。
振り返ると、一人の女性が佇んでいた。
フェリシアとは正反対の化粧が濃く、目がぱっちりとした美人という感じで、服装も派手な印象を受ける。
だが、この女性はカミルもよく知っていた。
「ミリアじゃないか」
上級学校時代、想いを寄せていた後輩にフラれてヤケになっていた頃に付き合うことになった女性だった。
「うふふ、久しぶりね」
そう言いながら隣に腰掛けたミリアにカミルは、旧知の存在の登場で久しぶりに顔を綻ばせた。
「ああ、久しぶりだな」
嬉しそうに声を弾ませるカミルに、ミリアは妖艶な笑みを向けた。
カミルは優しく微笑んだ。
「元気そうだな」
「そっちもね。それにしても、しばらく見ない間にもっと格好良くなったわね」
「ありがとう。そっちもさらに綺麗になったよ」
「まーね。学生時代に比べたら手に入るコスメも全然違うし、自分に使ってあげられるお金も違うし。それに、お仕事も楽しいのよ?」
「仕事が楽しいのは何よりだ」
カミルは出されたコーヒーを受け取ると、その香りを楽しんでいた。ミリアも同じものを注文してからカミルを振り返る。
「いつもね、仕事のお昼休みにこのカフェに来るのよ。よかったら、またこのカフェで一緒にお食事をしておしゃべりしない? このカフェ、お気に入りなの」
「もちろん」
カミルは即答すると、ミリアは頬杖をつきながら彼を見やった。
「結婚、しているんだ?」
つけたままの結婚指輪を見ながらそんなことを呟いた彼女に、カミルは返した。
「ああ。でもさ、この前に大怪我をしたみたいで、その時に記憶喪失になった」
ミリアがギョッとした。
「記憶喪失!? ちょっと、大丈夫なの?」
「ああ。普段、働く分には何ら問題もない。けど、妻がいる実感もないし、どうして結婚したのかよくわからないんだ」
カミルがそんなことを告げると、ミリアが目を細めた。その口元にニヤリと不気味な笑みが浮かんでいたが、コーヒーの水面に視線を落としていた彼には気がつけなかった。
「そう…」
ミリアは頬杖を解いてパンッと軽く手のひらを打ちあわせた。
「じゃあ、お昼くらいは相手をしてくれる? ほら、いろいろ悩み事もあるだろうし、聞くから」
楽しそうに笑うミリアに、カミルはコーヒーを啜ってから応えた。
「まあ、構わないが」
「よかった。あたしね、最近、彼氏とわかれたばかりで寂しくて。話し相手が欲しかったところなの」
嬉しそうに彼女はそう言った後、ふと、カミルの腕に触れてミリアが顔を寄せた。
「ね、もしよかったら、今度一緒に出掛けてくれない? 演劇のチケットを友達からもらったんだけど、彼と別れちゃったから使いようがないのよ。その友達も忙しいみたいだし、…ね、お願い!」
「演劇か…」
カミルは考え込んだが、頷いた。
「わかった。一緒に行こう」
「ホント!? ありがと!」
カミルの腕につかまってギュッと抱き着いてきたミリアの喜び具合に呆れながら、カミルは仕方がないという風に肩をすくめた。
ミリアとそのままのんびりと話をしながら彼は久しぶりに気の緩んだ表情で食事をしていたのだった。
☆
カミルがいつも通りの時間に帰宅し、無言で夕食を食べて部屋に戻ってしまった後、フェリシアは彼のワイシャツの洗濯をしようと手に取って動きを止めた。
ふわりと漂う女性ものの香水の匂いがして、嗅ぎ慣れないその匂いに瞼を伏せて息を吐き出した。
(いつかこうなるとはわかっていても、直面するとやはり寂しいものですね…)
心の中でそう呟いたフェリシアは、穏やかな笑みをそのシャツに向けた。
「辛いのは一瞬。でも、彼のためを思うなら、それを受け入れるのもまた、私の役目」
言い聞かせるようにそう話しかけ、手洗いで洗濯を始める。
(きちんと笑顔で送り出してあげられるように、笑顔の練習を始めなくては)
彼女は彼女なりに決意を固めたようだが、その笑顔はぎこちなかった。
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