薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

文字の大きさ
上 下
62 / 64
過去編 フェリシアとカミル

#17

しおりを挟む
 週末、カミルは先輩と、なりゆきで一緒に来ることになったウィルと共に山に登っていた。

 何度目かのため息が出る。

 誘ってもらって失礼なことだとはわかっていても、フェリシアのことばかり頭の中をぐるぐると回っていく。
 あの笑顔も、一緒にご飯を食べて本当に嬉しそうに綻ばせた顔も、一緒に劇を見に行って泣いてしまった顔も、恥ずかしそうにしていた顔も、すべて浮かんでは消える。

 (全部が嘘…だったんだろうか)

 マーサの親友だから、だから無意識に全幅の信頼を置いてもいいと。

 (そんな風に思ってはいなかっただろうか…)

 でも、あの表情の一つ一つが嘘だとは到底思えず、思考が堂々巡りする。
 山に登っても思ったより体力があったのか、息が切れるほど苦しくないせいなのか、脳内で彼女のことを考えなくて済むほどは空っぽになっていなかった。

 「先輩、頂上はまだですか?」

 そう尋ねると、先輩が怪訝そうに振り返った。

 「…登り始めて10分くらいしか経過していないのに音を上げたのか?」

 呆れ顔の先輩にカミルは首を横に振った。

 「そうではありませんが…」

 「それならいい。…それより、ウィル。お前は情けないぞ。もう息切れを起こして…」

 「はひ…」

 そう言いつつもゼーゼーと肩で息をしているウィルはかなり辛そうだった。

 「大丈夫なのか?」

 「…すみません。遅れそうになって全力疾走してきたものですから」

 カミルは眉尻を下げて先輩を振り返る。

 「とりあえず、一度休憩しませんか? ウィルも落ち着いてからの方がいいでしょうし」

 「仕方がないな。まあ、今回はカミルの慰安登山だからな。お前がそう言うならそれでいいか」

 「…はい」

 ウィルが登山道の端にある大きな石に腰を下ろすと、深く息を吐き出して額の汗をハンカチで拭った。

 「…ありがとうございます、カミルさん」

 「いや、構わないが…、大丈夫なのか?」

 「はい、何とか」

 カミルはため息を漏らすと、ウィルの横にある少し低めの石に腰を下ろした。

 「無理についてくる必要はなかったんだぞ。山登りなんて俺と先輩が勝手に行くだけなんだから」

 「先輩もカミルさんも、お世話になっていますから」

 ウィルはそう言うと、立ち上がってズボンについた土埃をぱっぱと払って元気そうに先輩の元へ駆け寄っていった。

 「お待たせしました!」

 「今度は無駄に元気だな」

 カミルも立ち上がって土埃を払い、二人に今度は遅れないようにと歩み寄った。

 「行きましょうか」

 「おうよ」

 3人の男たちは山を登っていく。

 とはいえ、一般市民でも普段から出入りできるように整備されている登山道。
 それゆえに、整備されていない道を歩くよりははるかに楽な道のりだったが、これは訓練ではなく気分転換なのでのほほんと他愛のない会話をしながら歩き続けていた。


 そんな彼らはあっという間に登り切り、眼下に広がる皇宮と、その城下町を見おろしながら、その風景を楽しめるように設置されている展望台の少し後ろのベンチに並んで腰かける。
 そして、取り出したのは登山前に買い込んでおいた弁当。

 「これがカノジョの手作り弁当だったら嬉しいんだがなぁ」

 カミルが遠い目になった。

 「傷口に塩を塗り込まないでください」

 「おっと、悪い悪い」

 「でも、確かにフェリシアの作ってくれた弁当は美味しかったですよ…。もう食べられないですけどね」

 ウィルが鞄から先ほど使っていたのとは別のハンカチを取り出してカミルに差し出した。

 「カミルさん、泣いてもいいですよ?」

 「…その心遣いが今はどうしようもなく痛いんだが…?」

 「す、すみません!」

 ぺこぺことウィルが謝るが、カミルは顔をひきつらせた。

 「…いや、そういうことじゃなくてだな…。…いや、もういいから。放っておいてくれ」

 ため息交じりのカミルに、ウィルが少し申し訳なさそうな顔をしながら顔を上げて頷いた。先輩は話題を変えようとカミルに弁当の話題を振る。

 「そういやぁ、うまそうな弁当だな」

 「から揚げ定食弁当ですよ。先輩は確か…のり弁当って名前の弁当でしたか。…ウィルはクラブサンドか?」

 「こういうランチセットを考えたやつは偉いよな。栄養とか、量とか、腹いっぱいになって栄養価もよくて、それを持ち運べるように工夫するなんてすげー奴だよな」

 「そうですね」

 先輩は楽しそうに笑い、カミルは小さく同意を示した。
 一方のウィルは言葉に出さずに頷くに留めざるを得なかったが、それはクラブサンドにかぶりついている最中だったというのもあるのだが。

 「こういう場所で何も考えずに弁当を食べるっていいですね…」

 しみじみとカミルがそう言うと、先輩はニヤッと笑った。

 「だろ?」

 「はい。今日はありがとうございます」

 「まあ、この調子で明日から頑張れよ」

 先輩にバシッと背中を叩かれ、弁当をひっくり返しそうになりながらカミルは先輩につられて笑い、ウィルは不思議そうに小首を傾げた。


 フーッフーッ…


 そして、荒い鼻息のような声が聞こえ、なんとなくそちらに目を向けてウィルが凍り付いたように身動きを留めた。
 顔をそちらに向けたまま必死にカミルの袖口を引っ張る。

 「か、カミルさん、カミルさん」

 「うるさい」

 弁当を食べて顔を綻ばせたカミルはその手を払った。
 だが、ウィルは必死にカミルの袖を引く。

 「か、カミルさん、アレ」

 ゆっくりと獲物を定めるように距離を詰めてくるその巨大な生き物を指さしてそう言ったウィルに、しつこさに負けたカミルが振り返って息をのむ。

 「ッ!?」

 先輩も振り返り、目を見開いた。

 「なんで魔物がここに…」


 そう、そこにいたのは巨大な大猪とも呼べる魔物。
 この世界では基本的に動物は魔物として分類されるのだが、その中でも凶暴で人を襲う魔物に分類される方の危険な生き物だった。

 「まずいな…武器なんて置いてきちまった」

 先輩が苦い顔をした時、ふと、懐から連絡石を取り出した。
 特殊な魔法が掛けられたその石は通信に使うことができ、魔力をかなり消耗するが、石にあらかじめ魔力を入れておけば何とかなるようだ。

 「会社からだ。応援要請を頼んでみる。魔法で時間を稼いでくれ」

 「はい」

 ウィルはおっかなびっくりと言う顔をしているが、カミルは小さく頷いただけだった。

 向かってきた大猪を壁魔法で防ぎ、カミルが時間を稼いでいる間に先輩が繋ぎを付けた。

 『レックス、そっちは無事だった!?』

 「無事って…魔物のことか?」

 『ええ! 密売組織を追跡中に部下がヘマをしてね。猪が山に逃げたって聞いて…あんたらがそっちの山に登るって聞いたから気が気でなかったんだけど…』

 「残念ながら、もう目の前にいる」

 『ええっ!?』

 ウィルが火の玉の魔法をぶつけると、猪がぎろりとウィルを睨んだ。そして、カミルの防護壁の魔法を避けてウィルに向かって猛突進した。


 「ウィル!」


 カミルがウィルを突き飛ばすと、猪がカミルに衝突した。
 そして、その勢いのまま、カミルごと猪は真っ逆さまに展望台から落ちていき、見えなくなった。


 「カミル!!」


 先輩の叫び声が虚しくこだまし、先輩は顔をしかめてクソッと罵りながらベンチを蹴り、ウィルが茫然とカミルと魔物が消えた方を見ていた。

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

処理中です...