薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

文字の大きさ
上 下
57 / 64
過去編 フェリシアとカミル

#12

しおりを挟む
 フェリシアはじっと時計を見つめながら公園のベンチに座っていた。
 時刻は午前の10時。約束の時間まであと一時間もあるが、落ち着かなくてフェリシアはかなり早い時間に待ち合わせ場所に来ていた。

 (どうしよう。デートなんて…したこともないですよ)

 実はすでに30分以上もここで待っているのだが、やる気の塊のように思われないか心配で、フェリシアは時間まで家に戻るかどうか悶々と考えているうちに30分経過していた。
 でも、遅刻してルーズなように思われたくなくて、じっと待っているのだが。

 「フェリシアさん…?」

 しばらくして、ぼんやりしているとカミルがやってきた。
 まだ時間にして30分ほど早い時刻でまだゆとりはたっぷりある。

 だが、30分より前にここにきているということで彼は焦った表情を浮かべた。

 「ごめん。30分前に到着するようにしたんだけど、待たせちゃったかな?」

 「え? あ、いえ! その、緊張しすぎていたっていうのもあるんですけれど、家の時計が壊れちゃっていて…」

 咄嗟にそんな嘘をついてしまったのは、重たくないかなとか、嫌われたくないとか、そういうことを考えないわけもないというわけである。
 カミルは眉尻を下げた。

 「もしよければ、直そうか? ある程度のことならそれなりに出来ると思うけど…?」

 「い、いえ、結構です!」

 フェリシアは勢いよくそう言うと、カミルは少しだけ残念そうに笑った。

 「それはそれは。…さて、まだ早いけど、行こうか?」

 「はい」

 フェリシアが大きく頷くと、カミルはニコッと少年のような笑みを浮かべた。

 「それにしても、今日は天気がいいよね」

 「ええ。日焼けしちゃいそうです」

 さすがに木陰で待っていたとはいえ、うっすらと汗ばむほどの陽気だった。

 「どこに行きますか?」

 「オルフェウス広場だ」

 「オルフェウス広場って…デートスポットの名所じゃないですか」

 フェリシアが呆れるのも無理はなく、常に人がいっぱいいるその広場はカップルの聖地でもあり、夫婦デートとしても有名なラブラブカップル用の場所のようなものだった。
 そもそもは、軍神と呼ばれ、この国の英雄となったオルフェウス将軍を記念して作られたのだが、いつの間にか噴水に願いを込めてコインを投げ込むと願いが叶うと評判となり、気が付けばデートスポットになっていたのだった。

 そう言う場所には無縁だと思っていたが、マーサにお勧めされる恋愛小説でもよく出てくる名所中の名所であり、憧れないわけでもなかった。
 が、今はカミルと友達同然。恋人には振ってしまったのになれるなんて思わないわけで、フェリシアは恋人ではない自分を誘うのかよくわかっていなかった。

 「オルフェウス広場は恋人たちのためじゃないからね」

 カミルはフェリシアと並んで歩きながらそう言うと、悪戯っぽく笑った。


 「それに、俺はまだ、君のことが好きだから」


 「…え?」

 フェリシアがキョトンとして足を止めると、カミルは立ち止まってニッコリと笑いながら振り返った。

 「本気。まあ、一度振られたくらいで折れているようじゃ、君にふさわしいと思ってもらえないだろうし、君が嫌がっていないんだから、砕けさえしなければ次々ぶつかるのも悪くないと思ったまでのことで」

 「…え?」

 「それくらい好きってこと…かな」

 カミルは柔らかく笑うと、フェリシアが困惑した顔になった。
 戸惑っている彼女を余所にカミルは楽しそうに弾んだ笑みを浮かべる。

 「狩りの基本は焦らないことってね」

 「からかっています!?」

 「どうだと思う?」

 ここ数日、フェリシアは悶々と悩んでいたことがばかばかしくなり、ムスッと唇を尖らせる。

 「むうぅ…」

 拗ねてしまったフェリシアはオルフェウス広場に着いても機嫌を損ねたままだったが、一緒に噴水の傍までやってくるとあまりの人の多さに不機嫌さはどこへやら。
 周囲の人に出来る限り触れないようにビクビクと挙動不審になっていた。

 そんなフェリシアに何か冷たいものが飛んできて、彼女は素っ頓狂な声を上げる。

 「ひゃん! 冷たっ!」

 身を強張らせた彼女にカミルが悪戯っぽい笑みを向けていた。

 「他の人ばかり気にしていないで、お願い事をしなくてもいいのか?」

 余裕しゃくしゃくのカミルを見ていると、先日までの慌てふためきっぷりがなくなっていて、フェリシアが逆に慌てさせられる羽目となっていた。
 カミルが魔法を使って噴水の水を跳ねさせたことに気が付いたが、それをやり返そうと魔法を練り始めた時、後ろの方で咳ばらいをされてしまった。

 ハッと我に返って後ろを見やるとかなりの長蛇の列となっており、フェリシアが耳まで赤くなりながら慌てたように噴水へコインを投げ込み、手を握り合わせる。

 (短い人生でも愛し抜いてくれる素敵な人と…夢でもいいから出会えますように)

 カミルもコインを投げ入れ、祈るように手を握り合わせて願いごとをしていたようだが、それを聞く前に行こうと促されて彼と共に何とか人ごみを抜けた。
 ふと、気が付くと彼に手を握りしめられており、その手を引かれていたのだが、いつもは怖いはずなのにどうしてなのか何一つ怖いと感じなかった。

 ただ、今はただ嬉しくてそっと握り返す。

 (カミルさんの手…温かい)

 フェリシアの緊張感が和らぎ、ふわりと笑う。
 カミルが不意に振り返って慌てたように手を離そうとしたので、咄嗟に握り直してしまったフェリシアは彼と視線がかち合い、そっと解いた。

 「あ、ごめんなさい…」

 「いや、こちらこそ。怖くないのなら、もうちょっと繋いでいてもいいかな?」

 我に返ると思い出してしまった緊張感から手汗がとんでもないことになっていて、慌てて手を拭う。
 だが、彼に優しく微笑まれてしまっては断ることもしたくなく、遠慮がちにつないだ。

 (恋人みたい…に、見えるのですかね?)

 ちらりとカミルを見やると、彼は頬を少し朱に染めて嬉しそうに顔を綻ばせていた。

 「…カミルさんは緊張していないみたいでずるいです」

 そんな彼にぽつりと呟くように告げると、振り返ったカミルが眉尻を下げた。

 「上司に相談したら、もう、恋人だと思ってデートした方がいいってアドバイスをもらった。『君は俺のもの』くらいのレベルで、ね?」

 「へ!?」

 驚いて目を丸くしたフェリシアにクスクスと笑いかけたカミルは微笑んだ。


 「デートに誘っても正直、断られると思っていた。けど、早く来てくれていたってことは脈がなくもないのかなって。…なんてね」


 二人は続いて公園を歩いていたのだが、彼がふと足を止めたのでフェリシアも足を止める。

 「今日のカミルさんはからかってばかりでずるいです」

 頬を膨らませたフェリシアの前でカミルがそっと跪いた。
 フェリシアが目を点にして周囲を見回し、顔を真っ赤にして慌てふためく。

 「か、カミルさん!?」

 「結婚してくれとは言わない。それは君を困らせるんだろう? でも、どうだろう? お付き合いからでいい。無理強いなんてする気もないし、ただ、もっと近くで君のことが知りたいんだ」

 フェリシアの手をそっと握りながらそう言ったカミルは優しく大人びた笑みを浮かべた。


 「どうか、恋人になっていただけませんか?」


 フェリシアは目を見開いたまま固まってしまったが、心臓の音がバクバクと激しく耳の奥でこだましていた。
 ただ、じっと答えを待っているカミルは逃がしてくれなさそうな雰囲気を感じ、そして、その答えを今、自分が持っていることもわかっている。

 「――私でいいというのなら」

 か細い声でそう答えたフェリシアがそう言うと、カミルはホッと胸を撫で下ろした後、その場に倒れてしまった。


 「カミルさん!?」


 慌ててフェリシアが彼の傍に膝をつき、その頬に触れた。
 完全に失神している彼の表情は幸せそうだった。


 「お、お医者様はいませんかあああぁぁぁ!?」


 周囲の人たちが騒ぎに気が付き近づいてきた、そんなガヤガヤした中、フェリシアの大絶叫が響き渡った。

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

処理中です...