薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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過去編 フェリシアとカミル

#5

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 観劇のために待ち合わせ場所に3時間も前からやってきていたカミルはベンチに腰掛けてぼんやりとしていた。
 その手にはピンクのバラが12本束ねられた花束。

 「まだ気持ちを伝えるなんて早い、かな…? でも、…会えば会うほど好きになる俺はどうかしているんだろうな…」

 カミルはそんなことを呟いた。ふと、その時、声を掛けられた。


 「…何やってんのよ、カミル! 電報を打ったでしょうが!」


 上司の声がして振り返ると、つかつかと歩み寄ってきたのは黒髪に黒い目をした美人な女性。その美貌を損なうように鼻筋を斜めに抜ける古傷がある。

 「ミスト姐さん、どうしたんですか?」

 「どうしたもこうしたも、緊急幹部会の招集がかかったって、昨日電報を打ったんだけど?!」

 「いや、俺はまだ昇級試験に受かって…?」

 「何言ってんの!? あんたのところの上司が殉職したのに、色ボケしてんじゃないわよ! 同じ班員たちはみんな殺気立っているのに、これからデートだなんてお笑い種ね」

 ミストはやれやれと首を横に振る。そして、カミルが手にした薔薇を一瞥した。


 「愛しています、結婚してください…ね。あんたも夢中になれる人を見つけられたのはいいけれど、火急の事態なんだから諦めなさい」


 「そ、そんな…」

 カミルが無理やり引っ張られて連れていかれた。



     ☆



 その3時間後、待ち合わせ場所を訪れていたフェリシアはまだカミルが来ていないということを知り、少し考えた後に小さく笑った。

 「マーサ、ベン君と二人で一緒に先に行っていてください。チケット、まだ期限があるんですよね? なら、カミルさんをちょっとだけ待ってみますから」

 「フェリ、カミルと二人きりなんて耐えきれるの?」

 「…男の人が怖いのは事実ですけど、カミルさん、観劇をあんなにも楽しみにしていたんですから、チケットももったいないですし、もう少しだけ待ってみようかなって。ペアチケットなのに一人で入るのも寂しいですし、マーサたちのお邪魔さんはしないのです」

 にっこりとそう言ったフェリシアにマーサは呆れ顔を向けた。

 「…カミルは別に観劇したくて喜んだわけじゃないと思うけど?」

 「とりあえず、事情を話せば距離も考えてくれるかもしれませんし、ちょっとだけ待ってみます」

 「…無理しちゃだめよ、フェリ。体を冷やさないように気を付けて、それと、言い寄ってくる男がいたら、紳士の風上にも置けないなら泣いちゃいなさい」

 「わかっていますよ、マーサ」

 何度も頷いたフェリシアを心配そうに見やったマーサは戸惑っているベンを肘で小突いた。

 「一回劇を見てきて、もう一回戻ってきましょう? ね?」

 「…わ、わかった」

 二人が去った後、フェリシアはベンチに腰掛けると、空を見上げてじっとしていた。
 そして、昼を回った頃、ポツリポツリと雨が降り出し、フェリシアはようやく我に返ると寒くてくしゃみをした。

 鼻を啜ったフェリシアは近くの店で傘を買うと、ベンチには座らなかったものの、待ち合わせの場所で傘を差して佇んでいた。

 「…やっぱり、私みたいな地味な女の子が一緒だと嫌だったかな…」

 もう一度くしゃみをしてそう呟くと、小さく身震いをした。

 「…でも、私じゃなくてもチケットをチケットを使う相手くらい、いますよね。じゃあ、もう少しだけ待って、渡してあげた方が…いいのかな…」

 独り言をこぼし、彼女はチケットを手に取ったとき、息遣いが聞こえ、グイッと腕を引っ張られた。


 「きゃあ!?」


 思わず大きな声で悲鳴を上げ、傘を放り投げてしまった彼女はずぶ濡れになっているカミルに腕を引っ張られたことに気が付いた。
 男性に触れられているという恐怖から目を見開いたフェリシアだったが、そのまま腕を引かれ、カミルの背中に隠されるようにして背中側に引き寄せられてしまった。
 何が起こっているのかわからずに目を白黒させていると、カミルはフェリシアの手を離し、くるっと回って前方に向かって裏拳を放つ。

 すると、前方が揺らいで一人の男がはじけ飛ぶように地面を転がった。

 カミルは今まで見たことがないほど冷酷な表情を浮かべてその男を見おろし、そして、上に向かって手を掲げ、その指をパチンと打ち鳴らした。

 どこからともなくスーツ姿の男女が現れ、その男へ殺意をむき出しにしながら集まっていく。
 だが、フェリシアがその結末を見届ける前にカミルに手を引かれ、その場を何がどうなっているのかわからないままずぶ濡れの状態でブティックに足を踏み入れていた。

 「ずっと待っていてくれたのか?」

 カミルの弾んだ声を聞いて振り返ったフェリシアは、カミルが昨日と同じように優しい笑みを浮かべていることに気が付いてホッとしつつ、頷いた。
 寒いのは濡れているからなのか、近いからなのか、もうよくわからなかったが、とりあえずカミルに手を離してもらって距離を置く。

 「ごめんなさい、男の人は…その、苦手で…」

 「あ、ごめん」

 カミルが慌ててそう言うと、フェリシアと自分を魔法で乾かし、息を吐き出す。

 「あの、さっきのは…?」

 「…知りたい?」

 カミルの声のトーンがワントーン下がったので、フェリシアはブンブンと首を横に振った。
 彼は苦笑して遠い目をする。

 「…さっきのやつは最低のやつだったんだ。でも、雨が降ってくれたおかげで雨をはじいていたから、透明になっても識別できた。…そして、間に合ったからよかった」

 「間に合ったって…私、狙われて…!?」

 ギョッとしたフェリシアを手招きして入り口から避けると、カミルは頷いた。

 「そうだ」

 フェリシアはケホッケホッと咳をすると、力が入らなくなり、その場にへたり込んだ。

 「大丈夫か?」

 心配そうな顔をした彼がしゃがみ込んだ。ラフなシャツの上から着ているスーツの上着の襟元に飾られているのは金バッジ。
 よろよろと何とか立ち上がったフェリシアはカミルに尋ねる。

 「カミルさんはお仕事だったんですか?」

 カミルは立ち上がって頷いた。

 「仕事と言っても、まだ仮加盟…まあ、バイトみたいなものだから、大したものじゃないけど、緊急招集を掛けられちゃって。でも、これ。…君に渡そうと思って」

 バラの花束を魔法で召喚し、彼女へと差し出すと、フェリシアは嬉しそうに笑った。

 「綺麗なお花ですね! バラの花、この香りは結構好きですよ」

 そう言うと、カミルは戸惑ったように視線を泳がせた。

 「…あ、えっと…もしかして知らない?」

 「花言葉があるらしいですけど、私は詳しくないのです」

 だが、そう言った直後、フェリシアの瞳が揺れ、その場に崩れるように倒れこんだ。


 「フェリシアさん!?」


 カミルが傍に膝をつくと、フェリシアが首を横に振った。


 「…あの、…お薬…鞄…に」


 絞り出すようにそう呟いたが、カミルに聞こえたのかどうか確かめる余裕もなく、彼女の意識が闇に溶けて消えた。

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