薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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過去編 フェリシアとカミル

#2

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 (…やっぱり商業学部にはいないのか…)

 カミルは顎に手を当てて考え込んでいると、後ろからバシッと背中を叩かれ、息が詰まりそうになった。
 振り返ると幼馴染のマーサが不気味な笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

 「カミル」

 「ま、マーサ…? 今日はベンと一緒じゃなかったのか?」

 「毎日ずっと一緒にいなきゃいけないって法律はないでしょ?」

 呆れ顔をしたマーサにカミルは怪訝そうな顔をした。

 「俺に何か用なのか? 忙しいんだが…」

 「はぁ、冷たい。モテても振られる理由はそこだと思うのよね。――とはいえ、あんたといつも通りの長いお喋りをしに来たんじゃないけどね。…まあ、一つ聞きたいことがあるんだけどさ」

 「聞きたいこと?」

 眉間に皺を寄せたカミルにマーサはやれやれと首を横に振った。

 「あんたさ、傘を持ってウロウロしているみたいだけど、どうしたの? 今日は持ってきていないみたいだけど、昨日と一昨日は晴れていたでしょ?」

 「…それは、ええと…」

 視線を泳がせたカミルは幼馴染に、まさか傘の持ち主を探していたなどとは口が裂けても言えないので適当に理由をでっち上げて告げる。


 「…け、決闘を手紙で申し込んできたやつがいたから、返り討ちにしてやろうと思ってだな…」


 マーサがげんなりとした顔をした。

 「あんたに決闘を申し込むような奴がいるわけないでしょ。インテリモヤシ眼鏡に喧嘩を売って何になるのよ? 女の取り合いっていうならわかるけど、あんたは噂だと別れたばっかりでしょ? しかも、捨てられた方でしょ?」

 「うっ…」

 視線を揺らしてしまったが後の祭り。
 幼馴染のにやけ顔を見る羽目となった。

 「はー、残念ねぇ。ま、女を見る目がないあんたもあんただけど。落ち込みようを見ていたら捨てたか捨てられたかわかるけど、今回は結構長く続いていたから? まだもう少し続くかなって、そう思ったんだけどねぇ」

 「うっさい…」

 「ま、散々浮名を流したのが運の尽きって奴よね」

 カミルはマーサをうろんな表情で見据えた。

 「何をしに来たんだよ? 学部も棟も違うだろうが…」

 「あんたをからかいに来たっていうのもあるけど、大親友と待ち合わせをしているの」

 忙しいからまた今度ね、とあっち行けと言うように追い払う仕草をされたカミルは不満そうに立ち去ろうとした時、明るく弾むような声が聞こえた。


 「マーサ!」


 二人が何気なくそちらに視線を向けると、長いココア色の髪の毛をツインテールに結んだ女生徒が手を振って小走りでやってくるのが見えた。

 「あ、ようやく来た。遅いわよ、フェリシア」

 「マーサが待ち合わせ場所を急に変えるから探し出すのに苦労したんですよ?」

 拗ねたようにそう言った彼女へマーサは不敵な笑みを浮かべる。

 「でも、ちゃんと来られたでしょ?」

 「それはそうですけど…」

 そんな会話をしている二人を見ていたカミルだが、茫然とした顔をしていた。

 (この子、傘を貸してくれた子じゃないか…!?)

 雷に打たれたような衝撃が彼を襲ったが、そんなことに気が付かないのか、フェリシアはのんびりとカミルの方を振り返ってぺこりと挨拶をした。


 「初めまして、フェリシアと言います。マーサがお世話になっています」


 「え、あ、ハジメマシテ…」

 思考がすべて吹っ飛び、片言で返事をしてしまったカミルにマーサがものすごく吹き出しそうな顔をして笑いをこらえているような顔で見ていたが、それに気が付かないのかフェリシアはニコッと笑った。
 マーサがニヤニヤと笑いながらカミルに声をかける。

 「どう? 可愛いでしょ?」

 「…マーサに悪ガキの頃からのつるみ以外の友達がいるなんて、な」

 カミルは辛うじてそう言い返すと、マーサは不敵な笑みを浮かべた。

 「当然でしょ? こう見えて交友関係は結構広いんだから」

 胸を張ったマーサに、カミルはやれやれと言うように眼鏡のブリッジを押し上げた。
 ふと、クスクスッと笑い声がして、フェリシアが小さく笑っているのを見てカミルは息をのむ。

 (どうしたんだ、俺は…?)

 フェリシアの単なる微笑みであるはずだが、どこか惹きつけられてしまうような、そんな気がした。

 「あなたのお名前は?」

 「か、カミルと言います」

 「カミルさん、ですね。ということは、マーサの幼馴染の! 噂には聞いていましたけれど、お会いできて光栄です!」

 マーサがのんびりと余計なことを言った。

 「光栄に思わなくていいのよ。ま、あんたにも紹介しようと思っていたからこっちに呼んだっていうのもあるんだけど、タイミングよかったわねぇ」

 フェリシアが嬉しそうな顔をして声を弾ませる。

 「仲良くしてくださると嬉しいです。男の人で友達と呼べる人は少ないので」

 カミルは停止しかけていた思考が再び戻ってくるのを感じていた。


 (さすがに恋人の斡旋…ということをする奴じゃなかったよな、マーサは。…それにしても、傘のこと、覚えていないのか?)


 だが、傘のことよりも、もっと聞きたいことも色々と湧いてくるわけで。

 「あ、あのさ…フェリシア、さんは…マーサと同じ学部…?」

 「はい、そうです。同じ薬学部でゼミナールも同じなんです。カミルさんは…経済学部ですか? それとも商業学部? この棟ですと、金融学部もありますね」

 フェリシアに問いかけられたことで心の奥がじわっと熱くなり、カミルは自分に内心で呆れていた。

 (振られたからって乗り換えようだなんて…そんな下心じゃないよな?)

 そして、慌てて我に返り、彼女を振り返って笑顔を浮かべる。

 「俺は商業学部で、マーサと俺の幼馴染のベンは経済学部なんだ」

 マーサにものすごく嫌そうな顔を向けられた。

 「カミル、フェリシアに手ェ出したら容赦しないからね? あんたは股かけるようなタイプじゃないけど、フェリは間違いなくあたしの親友だし、飽きっぽいあんたがフェリのことを幸せにできるわけがないでしょ?」

 「飽きっぽいって…そんなことはないと思うが…」

 カミルが逡巡すると、マーサは畳みかけようとしたが、その前にフェリシアが言葉を遮るようにのほほんと言った。


 「まあまあ、落ち着いてくださいよ、マーサ」


 「フェリ?」

 小首を傾げたマーサに、フェリシアはのんびりと笑う。

 「そもそも、カミルさんの好みに当てはまるような女の子じゃないですよ、私は。男の子と付き合ったこともないですし、それに、美人じゃないですもん。地味で平凡ですし、楽しませられるような話術もない。好きになる要素が何一つないと思います!」

 自信満々にそう言い切った彼女にマーサがものすごく呆れ顔。

 「…フェリは十分に可愛いよ?」

 「どこがです?」

 怪訝そうに小首を傾げたフェリシアの様子をぼんやりとみていたカミルが目を細めていると、マーサに睨まれてしまった。

 「な、なんだよ?」

 「下心禁止。フェリは小動物なの。素敵紳士なイケメンだったらフェリに喜んで紹介するけど、ヘビメガネモヤシ野郎のモテ野郎なあんたには、そういう意味での紹介は無理。お友達にどうかなって紹介しただけ」

 「わかっているって、ンなこと」

 カミルは呆れ顔をしたが、マーサは本当かというようにじろりと睨んできた。
 そんな二人を余所に理解できていないのかキョトンとしていたフェリシアが時計を何気なく確認し、慌てふためいたようにマーサの袖を掴んでクイクイッと引っ張る。


 「マーサ、今日はプリンの特売日なのです! 早くいかなくちゃ売り切れちゃいます!」


 「…プリンってなんだっけ?」

 「もうっ、約束したじゃないですか! プリンを一緒に買いに行って食べて帰ろうねって!」

 フェリシアがむぅっと頬を膨らませ、その様子を見てマーサがクスクスとようやく笑った。

 「あ、そうだったわね」

 「そうですよ!」

 カミルはフェリシアに尋ねた。

 「…甘い物、好きなのか?」

 振り返ったフェリシアがふにゃりと笑う。

 「大好きですよ、甘い物。プリンにケーキ、ドーナツにアイスクリーム。ジュースにアイスフロート。キャンディも美味しいのです」

 幸せそうに笑ったフェリシアの顔を見て息をのみ、ごくりと生唾を飲みこんだカミルにフェリシアが思い出したように鞄から小さなポーチを取り出した。
 そこから取り出したのはキャンディ。包み紙は可愛らしいピンクメインのポップな包み紙。

 「おすそ分け、です!」

 そうして、ポーチをしまい込み、マーサの手を引きながら歩き出したフェリシアは振り返って大きく手を振った。
 カミルが手を振り返すと離れた場所からでもわかるくらいに満面の笑みを浮かべて嬉しそうに手を振り返してくれたフェリシアの姿を見ながら、柔らかく目を細める。
 その頬が少しだけ紅潮していたが、フェリシアにはたぶん、見えていないだろうくらいに距離がだいぶ離れていた。


 (…やっぱり、どうかしているかもしれない)


 マーサに正面切って喧嘩を挑みに行くことなど、子供の時、さらにいうと最初の一回くらいしかなかったが、カミルは小さく意を決した。

 (マーサに喧嘩を売ってでも距離を縮めて見せる)

 と。

 だが、その道は限りなく険しいと、この時はまだ知らなかった。

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