薬師の旦那様は記憶喪失らしいです(旧題:旦那が記憶喪失になりまして)

夜風 りん

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 カミルはフェリシアに歩み寄ると、フェリシアがセオからおろしてもらうとゆっくりと後ずさった。

 「どういう…つもり、です?」

 だが、体重さえこらえきれなかったのかへたり込んだフェリシアの手を取り、引き起こしてやってから抱き上げたカミルは愛おしそうに目を細めた。

 「どうもなにも、君を迎えに来ただけだ」

 「お迎えなら先約がいますので大丈夫です」

 フェリシアは意地になってそう言うと、むせかえって口の端から零れた血のあぶくを手の甲で拭う。
 そんなフェリシアを抱えたままミストの方に歩み寄っていった彼は、柔らかい表情のまま微かにはにかんでいた。

 「まだ元気そうですよ」

 ミストは呆れつつ肩をすくめる。

 「それは一時的な空元気。健気なんだか、単なる意地っ張りなんだか」

 そう言うと、カミルにフェリシアを祭壇の上に下ろさせたミストはすっと真面目な顔をした。
 何が始まるのか理解できていなかったフェリシアはキョトンと二人を見比べていたのだが、ミストがカミルの胸元に触れた時、何をしようとしているのか気が付いて立ち上がろうともがく。
 しかし、力が入らずに尻もちをつく羽目となった。


 「ダメです、カミルさん! 黒も止めてください!」


 力の限り叫んでむせかえり、地面に血を吐き出したフェリシアの前でカミルの胸元から青白い光の揺らぎのようなものを引っ張り出したミストは手刀で青白い光をスパッと切り離す。
 カミルががくんと糸が切れたように倒れこんだが、セオが滑り込んでクッションとなったことで頭を打ち付けるのは回避できた。

 その青く燃える揺らぎを手にしたミストがゆっくりと歩み寄り、かがみこんでその揺らぎをフェリシアの胸の前にかざした。

 (これは…カミルさんの寿命。そんなもの、受け取れるわけがない!)

 フェリシアはブンブンと頭を横に振った。

 「絶対ダメです…。こんなもの、いらない。…ゲホッゲホッ…それは、カミルさん、が…次に進むのに、必要な、命の時間…です」

 彼女は必死にそういうが、ミストはカミルが気が付いて起き上がったのをちらりと見て、そしてフェリシアを静かに見据えた。

 「薔薇、受け取ったんでしょ? 最初は999本の薔薇を買おうか迷ったんだそうよ? でも、今のあなたにはその花言葉だと『何度生まれ変わってもあなたを愛している』だけど、酷だってカミルが言い始めて、相談しに来たくせにケチをつけるとか、意味が分からないわよね?」

 「…え?」

 「でね、一番よさそうな愛情表現の薔薇は何本かって聞かれて、ちょっと初心すぎる気もしたけど、101本。その花言葉は『これ以上ないほどあなたを愛しています』…よ?」

 虚を突かれたフェリシアの胸にその魂の灯を押し込んだミストはその光が吸い込まれていき、フェリシアの中に消えていくと満足そうな顔で立ち上がる。


 「さて、私の仕事はこれでお終い。納得できないなら、カミルを説得してもう一回私の前に二人で来ることね」


 悪戯っぽく笑ったミストはニヤニヤしながら見ていたセオの襟首をつかんだ。

 「ちょ、姐さん。いいところなのに!」

 「ゴシップ好きの主婦じゃあるまいし、久しぶりに二人きりの時間を堪能させてあげなさいな。こういうことは時間をかけてやらないとダメなのよ」

 「い、いてててっ! あ、歩けるって!」

 「いいえ、ちゃーんと送ってあげるわ」

 ミストたちが祭壇のあるこの部屋を後にすると、久しぶりに二人きりになっていた。
 フェリシアは今にも泣いてしまいそうな悲しそうな顔でカミルを見ていたが、カミルはその顔を見てクスッと笑いながらフェリシアの隣に腰を下ろす。

 「ずっと前…」

 「え?」

 フェリシアを抱き寄せ、凭れかからせてやったカミルは甘いトーンで囁くようにつづけた。

 「ずっと前に君と初めてデートした時のこと、思い出した」

 「…カミルさん、記憶…」

 「まだ、取り留めのない記憶の束って感じだけど、時系列はともかくとして、色々と…な。もっと乱れたフェリの顔とか、酔いつぶれてうんうん唸っていた可愛い顔とか」

 フェリシアはそれを聞いて顔を真っ赤にして視線を揺らした。

 「それは、痴態じゃないですか…」

 「可愛いからいいんだよ」

 カミルはフェリシアに凭れ返し、フェリシアの地面に置いた手のひらに自らの手のひらを重ねた。

 「さて、フェリシアが元気を取り戻したところで俺はちょっと疲れたかな。なぁ、フェリ。抱き枕にしてもいいかな? 眠くなってきた」

 「やっぱりあなたに寿命を返しますよ」

 「却下だ。死ぬときまではずっと一緒にいてもらうんだからな」

 そう言うと、フェリシアの顎を持ち上げ、体を起こして向き合ったカミルは緩慢な動作で唇を重ねた。フェリシアはそのキスに遠慮がちに応えると、次第にキスは激しくなっていき、フェリシアは息苦しさに慌てて身を引こうとするとようやく彼は離れた。

 「…カミルさん、がっつきすぎですよ」

 フェリシアが唇の前に握り拳を軽く当て、顔を背けながら頬を朱に染めつつそう告げる。
 すると、カミルは楽し気に笑いながら重ねていた手を離し、その片腕で彼女を抱き寄せた。

 「惚れこんでいるんだから仕方がないだろう? …というか、フェリを傷つけておいて…図々しいかな」

 「でも、ちゃんと戻ってきてくれたじゃないですか。こうなったら、私…カミルさんにとことん付き合ってもらいますからね? これで浮気をしたら許せないかもしれません」

 「もうしないし、する気もない」

 カミルはそう言うと、フェリシアから手を離して彼女の肩に凭れかかった。

 「…ここで一眠りしてもいいかな?」

 「ダメですよ。魔物たちが入ってきてしまいます」

 フェリシアはそう言ったが、カミルは眠たさそうだった。
 反動だということはわかっているのだが、フェリシアもクタクタで、動く気力もなかった。それゆえに、カミルのことを支えて魔物がうろつく森を歩く気力さえなかったのだが。


 「そろそろいいかしら?」


 ミストが龍の状態で戻ってきたのでフェリシアはかなり驚いてしゃっくりが出そうになった。

 「く、黒ッ!?」

 「セオだったら蹴り飛ばして返したわよ。女に生まれ変わった経験がないのか、本当にデリカシーの欠片も感じないんだから」

 やれやれと呆れ顔で首を横に振ったミストはデレッと幸せそうな顔で眠ってしまっているカミルを咥えてポイッと放り投げ、背中に乗せてやると屈みこんだ。

 「ほら、乗って。魔物たちもお迎えの光が失せると同時に元に戻りつつあるわよ。さっさと乗りなさい。さすがにここへは入って来ないでしょうけれど、表を固められると厄介だから」

 フェリシアは少し苦労しながら這い上がるようにミストの背中を登り、濡れタオルのように引っかけられる形で乗せられたカミルの後ろに乗り込んだ。
 フェリシアはカミルを抑えてやる形で身を伏せると、ミストがふんわりと舞い上がった。

 「それにしてもさっきは間に合ってよかったわ。不思議と体が軽かったのよね♪」

 「不思議と…?」

 フェリシアが小首を傾げているうちに回廊を通り過ぎた。後ろの方で大きな音がして、祭壇のある部屋のドアが勢いよく閉まった。
 そして、回廊を抜けるとその回廊へ続くドアも勢いよく閉まり、封印が浮かぶ。

 「まだ防衛機構が残っているんですね」

 「どの社も同じよ。始祖龍の社も、ね」

 ミストは遺跡の外に飛び出すと、進路を街の方へととった。

 「さて、あんたの治療も済んだし、あんたを送り届けたら首都に帰るとしましょうかね。うるさい旦那様も待っていることだし」

 「結婚していたんですか!?」

 大げさともいえるレベルで驚いているフェリシアに顔を引きつらせて目を向けたミストは首を横に振った。

 「あんた、あたしが何歳だと思っているのよ? 35なんだけど?」

 「三十路を過ぎても結婚していない人はしていないですよ。…というか、黒。あなたは白い羽なんて生えていましたっけ?」

 「は?」

 ミストが怪訝そうに振り返ったので、首筋にあった白い一枚の羽根を手に取ってかざすと、ミストは首を横に振った。

 「それはあたしの羽根じゃないわよ。…でも、不思議。持ち主の手を離れても力を失わないなんて」

 その羽根に顔を近づけたミストは匂いを嗅いで目を細めた。

 「いい匂い。これは天龍の羽根ね。…普通の龍の中では戦闘能力こそないけど別格。というだけはある…かな。でも、幸運の羽根だから、あなたたちが持っていた方がいいわよ」

 「…いいんです?」

 「いいも何も、カミルがもらった羽根だし」

 ミストは前を向き直って空気を蹴り、大きく羽ばたいた。

 「そのうち力を失うでしょうけれど、希少な羽根だから羽ペンにしてもいいんじゃないかしらね?」

 フェリシアはふにゃりと力なく笑った。

 「じゃあ、そうします」

 フェリシアはカミルの気の抜けた寝顔を見ながら、瞼を伏せて小さな声で呟くように告げた。


 「ありがとう、カミルさん」

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