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「…覚悟、か」
ルルーディアを施設に戻すことになって連れて行き、心配そうな顔でこちらを見ていた幼い少女の顔を思い出しながら、彼は小さくため息を漏らした。
フェリシアに書いてもらったレシピノートを見ながら料理を作っていたが、最低ラインのレベルまで作れるようになったとはいえ、何も味気なく、食欲も失せるばかり。
『待って、います』
カミルはルルーディアが別れ際に言ったその言葉を、とても重い言葉のように感じながら目をギュッと閉じた。
(…フェリシア…俺は、どうすればいいんだ?)
膝を抱えたカミルはフェリシアの冷たい手の感触を思い返しながらギュッと握り拳を固めた。
『幻の龍でも追っていなさい』
ミストの叱咤を思い返し、カミルはふと、瞬いた。
(幻の龍? なぜ、そのことを姐さんが?)
天龍ならばどうにかできるかもしれないということは資料室で見かけられたかもしれないが、フェリシアにしか考えを話していない。
(…ということは、最後の砦が天龍とわかった上であんなことを…?)
カミルは徒労感を感じて目を閉じた。
「…聖龍なら、…何か知っているんだろうか?」
呟いたカミルが真っ先に頭に浮かんだのは先輩であるセオの顔。
「…明日…聞いて、みるか」
そう呟くと、大きく欠伸をして目をこすり、立ち上がった。寝ぼけ眼で寝る支度をし、そして久しぶりに一人きりのベッドに横たわる。
自然と寝返りを打ち、フェリシアの眠っていた空間に手を伸ばして何もない空間を抱きしめるように腕を伸ばし、我が身を抱えた。
「…フェリ…」
泣きそうな顔をしたカミルはきつく目を閉じて不安な夜を過ごしたのだった。
そして翌日、フェリシアの病室を訪れたカミルは眠ったままのフェリシアの額にキスを落とした。
「いってきます、フェリ」
そうして仕事に向かう前、フェリシアの様子を見に来たカミルは彼女の頬を撫でてから病室を後にした。あまり長居をするとミストに睨まれるので、そそくさと病院を離れることにはなる。
だが、カミルの会社の持ち物である病院ゆえ、同じ敷地内に会社のビルと病院が併設している。
なので、休憩時間にもう一度会いに来られるのである。
気持ちを切り替えるために来たのだが、いつも笑顔で見送ってくれていたフェリシアのことを思い出して胸の奥がギュッと痛む。
「…絶対に俺が助けるからな」
後ろ髪をひかれるように病室を振り返ったカミルは決意を新たにそう告げて、痛みを一度腹の奥にしまい込み出社した。
ただ、仕事が始まる前に一度、別のオフィスに足を運んでセオの元を尋ねると、セオがギョッとした顔をして小さく呟いた。
「…本当に来たよ」
「え?」
「…いや、何でもない。こっちの話だ。――で、用件は?」
カミルはまっすぐにセオを見据えた。
「天龍って我が社にいたりしますか?」
セオがかなり渋い顔をした。
「…我が社にいたら、名簿を見ればわかるだろうに」
「…それもそうですね」
カミルが俯くと、セオは小首を傾げた。
「でも、命をかける覚悟があるというのなら、伴侶に天龍の龍人がいる人なら知っているから、教えてもいいが、どうする?」
「命を懸ける?」
キョトンとしたカミルに、セオは顔を引きつらせる。
「その人は物凄く嫁さんを溺愛している。その嫁さんに勝手に声を掛けたら覚悟した方がいい。…というわけだから、引き返すなら今のうちだぞ」
「俺は一ミリでも可能性があるのなら…その可能性に賭けてみたいです」
セオは大げさにため息を漏らした。
「わかった。――薄緑色の髪の毛にアップルグリーンの目をした綺麗な女性だ。その人を探して声をかけてみるといい」
「薄緑色の髪…ですか。龍人らしい特徴ですね」
「悪かったな。俺が龍人のくせにクソわかりづらい見た目をしていてさ」
「それは、その…」
セオは肩をすくめた。
「まあ、聖龍だから、龍の血を持っていようが、どうだっていいんだがな」
茶髪に茶色の目。セオは聖龍の姿をとらない限り見た目から龍人だとわからないのだが、聖龍の姿だけでなく、普通にドラゴンらしい姿も持っている。
普通の龍に変身する時と聖龍に変身する時は色々と違うらしい。
龍人は髪色が鱗に反映され、瞳も様々な色を持って生まれるのでかなり派手な見た目をしていることが多い。それゆえ、地味な見た目をしているとかなり驚かれるのもしばしば、らしい。
ちなみに、聖龍の場合は正確に言うと龍人ではない。なので、呪文によって変身している人間というのが正しいらしいのだが、カミルからすればどちらも似たようなものに思えてしまうものだった。
「薄緑の髪にアップルグリーンの目をした美女ですね。探してみます」
「休み時間に表で張っていろ。弁当を届けたその嫁殿に会えると思う。ただ、今週いっぱいに会えなかったらゲームオーバーだろうな」
「…それは…」
フェリシアの体が限界だということなのかと考え、カミルが青ざめた。
「…覚悟の上です」
カミルが絞り出すようにそう言うと、セオは呆れ顔。
「え? あ、いや、そういうことじゃなくてだな。白は簡単に死ぬようなタマじゃないが、今、視察団が来ているだろう? あの視察団のうちの連れ合いなんだよ。だから、本部まで追いかけなくちゃいけなくなるってハナシだ」
カミルは顔をひきつらせた。
「だ、誰の嫁さんなのか聞いても?」
「聞きたいのか?」
セオに見据えられてカミルは視線をそらす。
「いえ、後のお楽しみということで…」
そう言いつつも若干、ビビっている様子のカミルにセオは肩をすくめてみせた。
「大丈夫だ。きちんと筋を通せば力を貸してくれる。必要なのは証と意志の力。――幹部も聖龍も、そういう方が好きだからな」
カミルはごくりと生唾を飲みこんだ。
「探してみます」
☆
「…とは言ったが、本当にいるのか? 幻の龍の龍人なんて…」
カミルがぼやくのも無理はなく、彼はここ数日バタバタしていたとはいえ、視察団が来てからも連れ合いの女性にそういう人がいるのは見かけなかったのだ。
(いるなら、一目でわかりそうなものだが…)
カミルは遠い目をしながら周囲を見渡していると、ふと、誰かとぶつかった。
「ああ、すみません。お怪我はありませんか?」
振り返ると、薄緑色のストレートヘアにアップルグリーンの瞳をした美しい女性がランチバスケットを抱えて驚いた顔をしていた。
「え、あ、はい。あの、申し訳ございません。私、旦那様と待ち合わせをしていたのですけれど、前を見ていなくて…」
「気にしないでください」
その女性がその言葉でホッと胸を撫で下ろした時、その女性が後ろから抱き寄せられ、「きゃっ!」と短く悲鳴を上げたが、彼女を抱き寄せた人物を見て彼女はホッとした顔をした。
「もうっ、驚かせないでくださいよ、シリウス」
「スー、お待たせ」
シリウスという男を見た瞬間、カミルは凍り付いていた。
(…やばいやばい。よりによって、上級幹部の中でもこの会社の三強で、会長(この会社のトップ)の懐刀であり右腕の…実質ナンバー2の嫁さんなのかよ!!)
カミルはセオに対してツッコミたい気持ちでいっぱいになったが、フェリシアのことを考えるとここで引き下がるつもりもないので、彼は顔を上げた。
「あの!」
シリウスがその女性と幸せそうにイチャイチャしているところに声をかけると、シリウスが振り返った。
「何かな?」
「お願いがあるのですが」
「…お願い?」
シリウスの声色がワントーン低くなった。その威圧に負けないようにカミルは精いっぱいの虚勢を張る。
「はい。どうか、どうかあなたの奥様のお力を…天龍のお力をお貸しいただけませんか?」
シリウスが目を細め、その女性が不安そうにシリウスを見上げる。
「シリウス様?」
「ほぅ…」
シリウスは低い声でそう呟き、カミルと向き合った。
「自分が何を言っているのかよくわかっているのか?」
返ってきたのはそんな言葉だった。
ルルーディアを施設に戻すことになって連れて行き、心配そうな顔でこちらを見ていた幼い少女の顔を思い出しながら、彼は小さくため息を漏らした。
フェリシアに書いてもらったレシピノートを見ながら料理を作っていたが、最低ラインのレベルまで作れるようになったとはいえ、何も味気なく、食欲も失せるばかり。
『待って、います』
カミルはルルーディアが別れ際に言ったその言葉を、とても重い言葉のように感じながら目をギュッと閉じた。
(…フェリシア…俺は、どうすればいいんだ?)
膝を抱えたカミルはフェリシアの冷たい手の感触を思い返しながらギュッと握り拳を固めた。
『幻の龍でも追っていなさい』
ミストの叱咤を思い返し、カミルはふと、瞬いた。
(幻の龍? なぜ、そのことを姐さんが?)
天龍ならばどうにかできるかもしれないということは資料室で見かけられたかもしれないが、フェリシアにしか考えを話していない。
(…ということは、最後の砦が天龍とわかった上であんなことを…?)
カミルは徒労感を感じて目を閉じた。
「…聖龍なら、…何か知っているんだろうか?」
呟いたカミルが真っ先に頭に浮かんだのは先輩であるセオの顔。
「…明日…聞いて、みるか」
そう呟くと、大きく欠伸をして目をこすり、立ち上がった。寝ぼけ眼で寝る支度をし、そして久しぶりに一人きりのベッドに横たわる。
自然と寝返りを打ち、フェリシアの眠っていた空間に手を伸ばして何もない空間を抱きしめるように腕を伸ばし、我が身を抱えた。
「…フェリ…」
泣きそうな顔をしたカミルはきつく目を閉じて不安な夜を過ごしたのだった。
そして翌日、フェリシアの病室を訪れたカミルは眠ったままのフェリシアの額にキスを落とした。
「いってきます、フェリ」
そうして仕事に向かう前、フェリシアの様子を見に来たカミルは彼女の頬を撫でてから病室を後にした。あまり長居をするとミストに睨まれるので、そそくさと病院を離れることにはなる。
だが、カミルの会社の持ち物である病院ゆえ、同じ敷地内に会社のビルと病院が併設している。
なので、休憩時間にもう一度会いに来られるのである。
気持ちを切り替えるために来たのだが、いつも笑顔で見送ってくれていたフェリシアのことを思い出して胸の奥がギュッと痛む。
「…絶対に俺が助けるからな」
後ろ髪をひかれるように病室を振り返ったカミルは決意を新たにそう告げて、痛みを一度腹の奥にしまい込み出社した。
ただ、仕事が始まる前に一度、別のオフィスに足を運んでセオの元を尋ねると、セオがギョッとした顔をして小さく呟いた。
「…本当に来たよ」
「え?」
「…いや、何でもない。こっちの話だ。――で、用件は?」
カミルはまっすぐにセオを見据えた。
「天龍って我が社にいたりしますか?」
セオがかなり渋い顔をした。
「…我が社にいたら、名簿を見ればわかるだろうに」
「…それもそうですね」
カミルが俯くと、セオは小首を傾げた。
「でも、命をかける覚悟があるというのなら、伴侶に天龍の龍人がいる人なら知っているから、教えてもいいが、どうする?」
「命を懸ける?」
キョトンとしたカミルに、セオは顔を引きつらせる。
「その人は物凄く嫁さんを溺愛している。その嫁さんに勝手に声を掛けたら覚悟した方がいい。…というわけだから、引き返すなら今のうちだぞ」
「俺は一ミリでも可能性があるのなら…その可能性に賭けてみたいです」
セオは大げさにため息を漏らした。
「わかった。――薄緑色の髪の毛にアップルグリーンの目をした綺麗な女性だ。その人を探して声をかけてみるといい」
「薄緑色の髪…ですか。龍人らしい特徴ですね」
「悪かったな。俺が龍人のくせにクソわかりづらい見た目をしていてさ」
「それは、その…」
セオは肩をすくめた。
「まあ、聖龍だから、龍の血を持っていようが、どうだっていいんだがな」
茶髪に茶色の目。セオは聖龍の姿をとらない限り見た目から龍人だとわからないのだが、聖龍の姿だけでなく、普通にドラゴンらしい姿も持っている。
普通の龍に変身する時と聖龍に変身する時は色々と違うらしい。
龍人は髪色が鱗に反映され、瞳も様々な色を持って生まれるのでかなり派手な見た目をしていることが多い。それゆえ、地味な見た目をしているとかなり驚かれるのもしばしば、らしい。
ちなみに、聖龍の場合は正確に言うと龍人ではない。なので、呪文によって変身している人間というのが正しいらしいのだが、カミルからすればどちらも似たようなものに思えてしまうものだった。
「薄緑の髪にアップルグリーンの目をした美女ですね。探してみます」
「休み時間に表で張っていろ。弁当を届けたその嫁殿に会えると思う。ただ、今週いっぱいに会えなかったらゲームオーバーだろうな」
「…それは…」
フェリシアの体が限界だということなのかと考え、カミルが青ざめた。
「…覚悟の上です」
カミルが絞り出すようにそう言うと、セオは呆れ顔。
「え? あ、いや、そういうことじゃなくてだな。白は簡単に死ぬようなタマじゃないが、今、視察団が来ているだろう? あの視察団のうちの連れ合いなんだよ。だから、本部まで追いかけなくちゃいけなくなるってハナシだ」
カミルは顔をひきつらせた。
「だ、誰の嫁さんなのか聞いても?」
「聞きたいのか?」
セオに見据えられてカミルは視線をそらす。
「いえ、後のお楽しみということで…」
そう言いつつも若干、ビビっている様子のカミルにセオは肩をすくめてみせた。
「大丈夫だ。きちんと筋を通せば力を貸してくれる。必要なのは証と意志の力。――幹部も聖龍も、そういう方が好きだからな」
カミルはごくりと生唾を飲みこんだ。
「探してみます」
☆
「…とは言ったが、本当にいるのか? 幻の龍の龍人なんて…」
カミルがぼやくのも無理はなく、彼はここ数日バタバタしていたとはいえ、視察団が来てからも連れ合いの女性にそういう人がいるのは見かけなかったのだ。
(いるなら、一目でわかりそうなものだが…)
カミルは遠い目をしながら周囲を見渡していると、ふと、誰かとぶつかった。
「ああ、すみません。お怪我はありませんか?」
振り返ると、薄緑色のストレートヘアにアップルグリーンの瞳をした美しい女性がランチバスケットを抱えて驚いた顔をしていた。
「え、あ、はい。あの、申し訳ございません。私、旦那様と待ち合わせをしていたのですけれど、前を見ていなくて…」
「気にしないでください」
その女性がその言葉でホッと胸を撫で下ろした時、その女性が後ろから抱き寄せられ、「きゃっ!」と短く悲鳴を上げたが、彼女を抱き寄せた人物を見て彼女はホッとした顔をした。
「もうっ、驚かせないでくださいよ、シリウス」
「スー、お待たせ」
シリウスという男を見た瞬間、カミルは凍り付いていた。
(…やばいやばい。よりによって、上級幹部の中でもこの会社の三強で、会長(この会社のトップ)の懐刀であり右腕の…実質ナンバー2の嫁さんなのかよ!!)
カミルはセオに対してツッコミたい気持ちでいっぱいになったが、フェリシアのことを考えるとここで引き下がるつもりもないので、彼は顔を上げた。
「あの!」
シリウスがその女性と幸せそうにイチャイチャしているところに声をかけると、シリウスが振り返った。
「何かな?」
「お願いがあるのですが」
「…お願い?」
シリウスの声色がワントーン低くなった。その威圧に負けないようにカミルは精いっぱいの虚勢を張る。
「はい。どうか、どうかあなたの奥様のお力を…天龍のお力をお貸しいただけませんか?」
シリウスが目を細め、その女性が不安そうにシリウスを見上げる。
「シリウス様?」
「ほぅ…」
シリウスは低い声でそう呟き、カミルと向き合った。
「自分が何を言っているのかよくわかっているのか?」
返ってきたのはそんな言葉だった。
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