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私の太陽【2】 ヒースside

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永遠にも感じられた押し問答は、すざましい怒気とともに終わりを告げた。

「何をしているんだ、テオ・・・?」

昨日私たちを買った主人。何の気まぐれか、私たち親子を一緒に買ってくれた人。
早速もめ事を起こした私に腹を立てるだろうか。恩知らずめ、と殴られるだろうか。

恐る恐る表情をうかがったその時、私は息をのんだ。

新しい私たちの主人は、妻にひどく似ていた。
他人の空似などと片付けられぬほどに、よく似ている。
青味がかった銀の瞳を緑の瞳に、夜空を思わせる黒の髪を亜麻色の髪に置き換えてみれば、私の太陽がそこにいた。

気がつかなかった。
昨日は夜遅かったから顔が見えなかった。
ロベルトと離れないことばかり考えていたからというのもあるだろう。

気が付いてしまえば一瞬だった。
見惚れてしまった。
もう、自分ではどうしようもないほどに魅入られてしまった。

心臓が高鳴る。
あの日、私の前からいなくなってしまった太陽が、私の主人として、目の前にいる。
頭がどうにかなってしまいそうだ。
妻によく似た顔立ちの存在を見つけた、というだけで胸に込み上げてくるものがあるのに。
私の主人として、目の前にいる。

どうしようもなく心が震える。

「おとうさん・・・・・・。」

ロベルトが呼ぶ声で我に返った。

そうだ。いくら妻に似ていても、この人は妻じゃない。
主人だ。
そして、私にとっては妻のようでも、ロベルトにとってはどんなことをしてくるか分からない人間に違いない。

「大丈夫、大丈夫だよ。」

ロベルトを抱きしめ、背をさする。
まだ小さいその肩は震えていて、主人の顔に妻を見て浮かれていた自分に嫌悪する。
この子を守れるのは自分だけなのに、何をしているのだろう。しっかりしなくては。妻が亡くなった時に、この子は私が守るのだと、決めたじゃないか。

気合を入れ、主人に向き直る。

「わ、我らのご主人さまに、ご挨拶を申し上げます。」
「ご、ご挨拶、申し、上げます。」

緊張からか、声が上ずってしまった。

「っあ、ああ。ゆっくりと、休めたか?」

膝を折り、私たちと目線を合わせてくださる。
より近くで見るとまた、落ち着けたはずの心臓が高鳴る。

「っは、はい!私共にこのような寝床を用意していただき、恐悦至極にございます!」

ひどく緊張し、声が上ずってしまう。
目線を合わせていられず、俯く。

しまった。
勝手に目線を外したことを叱られるかもしれない。
少なくとも前の主人は、勝手に目線を外したり、姿勢を変えたりすると私を殴った。
この主人が寛大であることを祈りながらも、私に刻まれた奴隷の記憶が体を強張らせた。

「朝早くから騒がしくしてすまなかった。」

頭上から聞こえてきたのは謝罪。
何故かその声はとても悲しそうで。
思わず顔を上げたが、主人はもうすでに立ち上がり、何やら使用人に指示を出している。

どうして、そんな声をしていたのですか。
あなたは、どんな表情を浮かべていたのですか。

指示を出している横顔からは、何の感情も読み取ることが出来ない。
妻によく似た横顔。
妻に比べて無愛想な横顔。
・・・どうしてこうも、胸が締め付けられるのだろう。

指示は出し終わったのか、主人はこちらを向く。
ビクッと、ロベルトの肩が跳ねたのがわかる。
それに対してなのか、主人はなにかに耐えるようなそんな感情を見せた。

私たちの前にもう一度、ゆっくりと膝をつく。

「お前たちの名を、聞かせておくれ。
俺の名は、イアン。
イアン・シュトゥルム・アイゼンシュトン。」

イアン様・・・。
これから何度も口にすることになるであろうその名前を何度も脳内で反芻する。
今までの主人の名前など、憶えさせられるたび、口にするたびに反吐が出そうな心地だった。
なのに、どうしてだろう。
この主人の名前は、きちんと覚えたいと、そう思った。

「わ、私は、ヒースと申します。・・・息子の方は、ロベルトと、いいます。」

自分たちの名を名乗る。息子は怯えてしゃべることができないだろうから、息子の名も。
今までの主人には名前を呼ばれたことなどなかった。
久しぶりに名乗ったからか、この人だからか、少し声が震えてしまった。

「さあ、そこの者についていき、身なりを整えてこい。その後は、ほかの使用人の邪魔にならぬよう、屋敷を散策するといい。
ここは、お前たちの住処なのだから。」

穏やかに、主人は言う。
指示さししめされた先には、先ほど顔を洗う場所ではち合わせた使用人がいる。
苦笑しながら、その人は手を軽く振った。

その少し後ろには、ロベルトに絡んできた男が気絶していた。

「愚弟には俺からきつく言っておく。」

まだ、わからない。
分からないけれど。
妻によく似た顔をしているからかもしれないけれど。
少なくとも、私たちに膝を折り、名乗らせてくれ、謝ってくれた。

なんとなく、この人を・・・イアン様を信じてみてもいいのかもしれない。
そう思った。
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