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ron

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例のドレス

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「パーティー、楽しみにされていたのではないのですか」
「いえ、楽しみよ。すっごくね」

 「すっごく」に不自然な力が入ってしまったのは不可抗力だとエリサは思った。こんな状況、どうして納得ができようか。
 残念ながらエリサのこの返答に、兄に選ばれし勇者も納得がいかなかったらしい。ランスロットは相変わらずの無表情で対面に座るエリサへ淡々と問いかける。

「その割にはあまり楽しそうには見えませんが気のせいでしょうか?」
「それは失礼。元の顔が怖いからだわ」
「いえ、そういうことではなく、」
「では緊張しているからでしょう、ええ、そうね、他国に行くのだから緊張して当然よね」
「昨日はそうではありませんでしたが」

 ランスロットの的確な指摘にエリサは思わず胡乱げな表情になった。
 ロードウェル王国まではレイフォード王国から馬車で2日ほどかかる。途中セイア王国を通過するため、昨日はセイア王国の王宮へ挨拶がてら立ち寄りそのまま泊まらせてもらった。もちろんその時は彼の指摘通り、いつも通りのエリサであった。
 つまり原因は他にある。

「元気がないというより……無理やり怒りを抑え込んでいるように見えます」

 図星である。
 エリサは思わず言葉を喉に詰まらせ、右の眉が不自然に動くのを感じた。

「怒っていません。これが私のいつも通りです」
「そうでしょうか」
「……実はこの馬車に酔ったのです。少し静かにしていただけますか?」
「……それは失礼」

 少し休憩しましょう、と言いながら腰を上げたランスロットは前に身を乗り出し御者に休憩するよう告げた。
 彼の背を見ながらエリサとその隣に座るローズは無言で、しかし心は通じ合っていた。
 だからこそ、馬車が止まってランスロットが水を取りにいなくなった瞬間、二人同時にため息をついたのである。

「もう、いつまで怒ってるんですかエリサ様。ランスロット様にもバレてるじゃないですか」
「いえローズ、これでも抑えているのよこれでも……」
「気持ちは分かりますけどね。でもそもそもこのドレスにするって決めたのはご自身でしょうに」

 ローズが胡乱げな黒い瞳をこちらに向けてきたことで、エリサも自身のドレスに視線を落とす。
 エリサが今身に纏っているのは、先日出来上がったばかりの、例の高級生地から作成したとっておきのドレスであった。

「ああ、何度見ても最高の手触り、最高の光沢だわ。このピンクの色合いも素敵。ドレスのデザインもタイト過ぎずラフ過ぎず、なかなかいい出来だと思わない?」

 思わず自画自賛しながら、束の間怒りを忘れエリサはドレスを撫でる。
 柔らかな光沢を放つサーモンピンクのドレスは、エリサの金色の髪と白い肌によく馴染み、ドレスのデザインも彼女のキツイ顔立ちを和らげるような柔らかさがある。とはいえカジュアルになり過ぎず、きちんとしたフォーマルドレスであることを印象付ける、なかなかに計算されたドレスだった。

「なのに……なのにどうしてこれを今日着なきゃいけないの……」

 恍惚の世界に浸れたのは一瞬だった。
 無事に現実世界へ戻ったエリサは王女らしからぬ声音で恨みごとをこぼす。そんなエリサを見てメイドは「こんな姿を例の騎士様に見られたらどう言い訳するのだ」とぶつくさこぼしていた。
 どちらも同じようなものである。

「ほらエリサ様、しゃんとしてください。ロードウェル王国を刺激しないよう柔らかい印象のドレスを選んだのはご自身でしょう」
「……そう。且つ、向こうにはないような高級感のある素材でこちらの優位性をアピールするもの」
「それがこれ」
「そうよ、それがこれなのよ、このドレスがぴったりなのよ!でも!」

 でもね!と思わず語尾に力が入る。

「汚したくない!乱闘騒ぎになって血が付いたら!どうしたらいいの!」
「落ち着いてください。腕のいい洗濯要員を確保しましょう」

 残念なことに「いやそうじゃない」と指摘する人間はここにいなかった。

「……熟練の洗濯工を見つけてきてね……ローズ……」

 がくりと肩を落とし、ローズの手に更に自分の手を重ねた。如何とも頼む、の意である。
 本来ならローズが「乱闘騒ぎになんてなりませんよ」程度の慰めを口にするべきなのであろうが、このメイドも主人同様今回のことが穏便に収束するなどとはみじんも思っていなかった。それゆえの洗濯である。

「そろそろ出発してもよろしいでしょうか?」

 二人それぞれに意気消沈していると、水の入ったボトルを手にランスロットが再び馬車へ乗り込んできた。嘆いたことで多少落ち着いたエリサは、いつも通りのすまし顔を作りこくりと一つ頷く。
 ランスロットの合図でゆっくりと馬車が動き出した。

「ところでエリサ様」
「はい」
「一つ、教えていただきたいことがあるのです」 

 そう言いながらランスロットは手にしてたボトルをメイドへ渡す。気分が悪いと申し出たエリサのため、積み荷から持ち出してきたものだろう。なるほど、顔は不愛想だが気遣いはできるらしい。
 受け取ったローズはそれをグラスに注いでエリサに手渡した。

「私で教えられることがあるのでしたら」
「エリサ様はなぜロードウェル王国でパーティーが開かれることをご存知だったのですか?」

 エリサはローズからグラスを受け取りつつすまし顔を保っていたが、実際のところ彼の質問を耳にしグラスを落としそうになっていた。
 このまま本当に気分が悪くなって倒れられればいっそ楽だったが、残念ながらエリサの意識ははっきりしていた。

「……お友達からの情報です」
「お友達、とは?」

 ランスロットの深い緑の瞳がまっすぐこちらに向いている。
 こちらを探っているのか、それともただこちらを見ているだけなのか。彼の無表情からは何も読み取れない。

「あら。友人にそれ以上もそれ以下もありませんわ。それにこう見えても私は王女ですもの。各国にお友達くらいいます」
「……なるほど」

 ようやく納得したような言葉と共にうなずく男を見て、エリサは薄い笑みの形を作るべく口元の筋肉を酷使した。この笑みが自然な微笑みに見えているかは甚だ疑問であったが、この際多少なりとも場をなごませたかった。

(パーティー狂いのエリサが同じ趣味を持つ仲のいい王族から話を聞いた、とでも思ってくれればそれでいいわ)

 本当のところは、兄ユアンがロードウェル国王宛に手紙を出したことに端を発する。
 その手紙の内容を要約すると、「妹がそちらでパーティーが開かれると耳にしてしまい、自分も参加したいと言い出した。なんとか取り計らってもらえないか」ということである。ぱっと見は我儘な妹に手を焼く面倒見のいい兄からの手紙に過ぎない。

 しかしそんな手紙が届けばロードウェルはが面通りに受け取らないことは明白だ。エリサからドレスを買ったことが本人に伝わってしまい、それを「近々パーティーがあるから買われたのだ」と結論付けたエリサに自分もそれに出席させろと脅されているように思うだろう。

 悲しいかな、パーティー狂いで何も考えていない高飛車なエリサ像は他国でも流布されているのである。

 ならばここで変に否定するより受け入れてしまった方がロードウェルとしてはうまくいく。
 もし仮に断ってエリサの機嫌を損ねれば、パーティーもないのにエリサのドレスを購入したことがユアン王子に伝わってしまいかねない。ハイラム帝国との会談を邪魔されることだけは避けたいはずだ。
 そういうわけでロードウェル王国は急遽開く予定のなかったパーティーを開くことにしたわけである。

 ――もちろんここまでの展開を読んだ上でユアンは手紙を出しているのだから恐ろしい。

「パーティーのことをご存知だった理由は何となくわかりました。ですが、私にはどうしても理解できません。護衛をつけてまで他国のパーティーに行きたいなどという考えは」
(それは私にもわかりません)

 むしろ行きたくありません。ドレス汚れそうだし。
 と本音をぶちまけるわけにもいかない。仕方なくエリサは不満顔を作ってランスロットを睨み付けた。とはいえこの状況に不満なのは嘘ではないので、不満顔は割と自然に作れたと自負する。

「私の気持ちをあなたに理解していただかなくとも結構。貴方は私の護衛をしてくださればいいのです」
「エリサ様」

 咎めるようなローズの声が間に入った。もちろん彼女のそれもまた演技であると分かっている。
 最近「わりとうまいと思うんですよね、私の合いの手」と自画自賛する程度には演技が上達しているメイドである。

「――いえ、護衛すら必要ありませんね」

 咎められたことを不服とするような態度でエリサは軽く顎を上げた。こちらもメイドに負けず劣らずの女優ぶりである。
 つまりは茶番だ。

「パーティー中、あなたのような人が近くにいたのでは楽しめないわ。護衛は不要です。その間ご自由にどうぞ」

 エリサは相手を追い払うようなしぐさをしつつ嘲笑するように顔を歪める。
 ちなみにこの表情、以前メイドの前で披露した時には「何て言うか……すごくはまってますね」という感嘆に似た称賛を得ている。そこで悪役顔が似合うとはっきり言わなかったのはおそらく彼女のなけなしの優しさだろう。
 裏返せば本当にはまり役ということであるが。

「エリサ様」
「何?あなただって考えの分からない私になんて付き従っていたくないでしょう。もちろんユアン兄さまに言いつける気はありませんから」

 意地悪なことを言いながらも、エリサとしてはランスロットに配慮したつもりだった。
 彼の真の目的はロードウェル王国の内情を探ること。それなのにずっとエリサの護衛として近くにいたのでは、王宮内でハイラム帝国に繋がる情報を集めにくくなるだろう。そう思い、少しでも自由な時間を確保させてやりたくて告げた言葉だった。
 だったのだが。

「いえ、私はあなたの護衛として任を受けています。破ることはできません」
「……」

 それまでと変わらず真摯な目を向ける男がそこにいた。

「エリサ様?」
「……いえ。何でもありません」

 いや、ここは「私に歯向かうなんて!」と激昂する場面だったか。そう思うも元がそういう性格ではないのでつい普通に返答してしまった。
 さてどうするか。どうするもこうするも本人が護衛役を辞退しないのだからどうしようもない。だが、せっかく護衛につくというのならば。

 エリサはそっと自身のドレスに視線を落とし、そして再びランスロットを見た。

「そこまで言うなら好きになさって。でも、そうね。どうしても護衛役から外れたくないというのなら……」

 スッと目を細める。長いまつ毛が目元に影を落とした。
 一瞬、ランスロットの片眉がピクリと動く。

「私を完璧に護衛して頂戴。ドレスに血しぶきの一つもつけないように」

 ――せめてうちのメイドが落とせる程度の血量でお願いします。
 なお後からメイドに「近年稀に見る見事な悪役ぶりでしたよ」という評価を告げられ、自身の悪役としての成長を実感したエリサなのだった。
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