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彼女が噂に従う理由
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ローズのエキゾチックな黒い瞳が大きく見開かれた。
「まさか。だってロードウェルはセイア王国と和平協定を」
「結んでいるわね。だけどそれよりハイラムを優先させようとしてる」
ロードウェル王国は気づいている。いや、気づかざるを得なくなった。
人手も物資も足りないことに。拡大する紛争が予想以上に国を疲弊させていることに。
そしてそれが民衆の怒りを買っていることに。
王政が廃止されるなどあってはならない。食い止めるためには、争いの発端となったハイラム帝国に近づくしかないだろう。多少不利な協定になったとしても、自滅するよりはましだ。
と、そこでローズが白いグローブを纏った右手を垂直に掲げた。「質問あり」の意だ。
「でもどうして敵国に近づくんですか?セイア王国に助けを求めればいいじゃないですか。どちらかと言えば味方でしょう。セイア王国だってハイラム帝国とは仲が悪いから協力してくれると思いますけど」
なるほど、彼女の言うことは一理ある。しかしエリサは金の髪を揺らしながら首を横に振った。
「あくまで起こっているのは内紛よ。ハイラムとの戦争じゃない。セイア王国に助けを求めるということは、自国の内政に干渉してくれと言っているに等しい。それでは内紛が収まった時、ロードウェルはセイア王国に支配されかねない」
協定を結んでいるとは言えども、気を抜けば征服される。それはどこの国も同じこと。
特にセイア王国には我が国王と張り合える賢い参謀がいる。彼がその隙を見逃すはずがなかった。
「おそらくハイラム帝国とはできるだけ対等な条件で同盟を組もうとしているのでしょう。だからこそのドレス。まだこれを作れる余裕があるのだと見せかける」
「なるほど……。セイア王国に助けを求めるのはもう限界だと認めるようなものだけど、ハイラム帝国と同盟を結ぶのは「まだ何とかなるけど早めに収拾させたいだけ」と言いはれますね。多少苦しそうですけど」
「そういうこと」
多少苦しくとも生き残れる可能性がある方に掛けるのが政治というものだ。
しかし今回の「政治」は民衆のためではなく、王族のための意味合いが強い。エリサにはそこがどうにも気に入らなかったが、レイフォード王国としてはハイラム帝国側の勢力が増えることは見過ごせなかった。だからそれとなく兄に伝えたのだ。
「もし仮にロードウェルがハイラム側についたとしても、あのセイア王国が簡単に制圧されるとは思えないけれど……。とはいえ西から北を敵陣勢力に囲まれるっていうのはセイア王国も面白くないと思うわ」
「万が一セイア王国がハイラム帝国に征服されることがあれば、我が国は全方位敵に囲まれることになりますしね」
「そういうこと。それを防ぐためにもロードウェルにはハイラム帝国と協定を結んでもらっては困る」
困るのだが。
渦中に放り込まれるというのも同じくらい困るわけで。
「ああああああ行きたくない行きたくないいいいいいい」
ドレスの裾が床に広がるのも気にせずに、エリサは頭を抱えながらしゃがみ込んだ。
「頭抱えるくらいだったら私を使ったりせずにご自身ではっきりと伝えればよろしかったのに」
「そういうわけにはいかないわ。私はあくまで「勉強もせず遊び惚けている」王女なのよ。それなのに政治についてああだこうだと言ったら不自然でしょう。しかも他国のことまで!いい?ローズ、私は政治のことなんて何にも分からない我儘で無知な王女なの!」
先ほどまでの思考ポーズを放棄して本気で頭を抱える主人を見て、ローズはあからさまにため息を吐いた。
何も分からない王女がドレス1枚売れた程度でここまで推察できるわけがない。もちろんそんなことはエリサも自覚した上でのことだ。だから尚更たちが悪いとも言えた。
「ねえエリサ様、その噂に乗っかるのそろそろやめましょうよ。多分ユアン王子くらいは気づいてると思いますよ?」
「いいえ、ドレスは完璧に隠れて製作している自信があります。ユアン兄さまがこの裁縫能力に気付いているとは思えません」
「ええ、まあ、たしかにそこは気づいてないかもしれませんけど」
まさか王女である実の妹がドレス製作においてプロ級の腕前を持っているとは思いもしないだろうが。
そういうことじゃなくて。
ローズが言い直そうと口を開いた瞬間、エリサの静かな声がそれを遮った。
「それにね、ローズ。私はいつか政略結婚で他国へ行く身。この国の王政に積極的に参加しない方が、後々いいに決まってるわ」
「……そんなのは、分からないじゃないですか」
「分かります。だって私がそれを望んでいるから。私は王女として、この国のための一駒になりたい。そしてそれが私の一番の活用方法だと思ってる」
それはエリサが唯一核心を持って言えることだった。
彼女は人々が噂をするような無知で高飛車な人間ではない。けれど妹のような誰からも愛される人間になるつもりはない。
大切にされるあまり、「使い方」を間違われるようなことにはなりたくないのだ。
「どんなに非情な王のもとにでも、どんなに悪辣な環境の国にでも、この国のためになるのならば嫁ぎます。それを可哀そうだからだとか、私のためにならないだとか、そういう理由で躊躇されたくありません」
エリサの青の瞳が暗く光る。少なくともメイドにはそのように見えた。
そこにあるのは確固たる覚悟。
「この国はユアン兄さまがいらっしゃる。国政は彼に任せておけば問題ありません。頭は一人いれば十分。二人もいらないわ」
「……私はエリサ様にも幸せになっていただきたいのですが」
「ありがとうローズ。私は十分幸せよ」
ようやくエリサの口元に小さな笑みが乗る。誰も見下さない、自愛を持った柔らかい笑顔。
エリサだって自然に笑えるのだ。気を許した者の前だけでは。
「それにあの噂に合わせてるせいで自由気ままなハンドメイドライフが送れてるわけですし」
「そうでしたね。私としてはそれが一番どうかと思っています」
「良いじゃない。ちなみに嫁いでからもこっそりドレス製作は続けるつもりよ」
「嫁ぎ先のメイドに迷惑かけるの止めて下さい。……で、今回はどうされるおつもりで?」
「……行きたくないけど、行くしかないわねえ」
はあ、とため息をついてからエリサは立ち上がる。
「さあ、パーティー大好きエリサ様、出動よ」
そうね、まずはドレス選びからね!と思わず語尾が上がってしまったのはただの偶然、決して楽しみだからではないのだ。決して。
「まさか。だってロードウェルはセイア王国と和平協定を」
「結んでいるわね。だけどそれよりハイラムを優先させようとしてる」
ロードウェル王国は気づいている。いや、気づかざるを得なくなった。
人手も物資も足りないことに。拡大する紛争が予想以上に国を疲弊させていることに。
そしてそれが民衆の怒りを買っていることに。
王政が廃止されるなどあってはならない。食い止めるためには、争いの発端となったハイラム帝国に近づくしかないだろう。多少不利な協定になったとしても、自滅するよりはましだ。
と、そこでローズが白いグローブを纏った右手を垂直に掲げた。「質問あり」の意だ。
「でもどうして敵国に近づくんですか?セイア王国に助けを求めればいいじゃないですか。どちらかと言えば味方でしょう。セイア王国だってハイラム帝国とは仲が悪いから協力してくれると思いますけど」
なるほど、彼女の言うことは一理ある。しかしエリサは金の髪を揺らしながら首を横に振った。
「あくまで起こっているのは内紛よ。ハイラムとの戦争じゃない。セイア王国に助けを求めるということは、自国の内政に干渉してくれと言っているに等しい。それでは内紛が収まった時、ロードウェルはセイア王国に支配されかねない」
協定を結んでいるとは言えども、気を抜けば征服される。それはどこの国も同じこと。
特にセイア王国には我が国王と張り合える賢い参謀がいる。彼がその隙を見逃すはずがなかった。
「おそらくハイラム帝国とはできるだけ対等な条件で同盟を組もうとしているのでしょう。だからこそのドレス。まだこれを作れる余裕があるのだと見せかける」
「なるほど……。セイア王国に助けを求めるのはもう限界だと認めるようなものだけど、ハイラム帝国と同盟を結ぶのは「まだ何とかなるけど早めに収拾させたいだけ」と言いはれますね。多少苦しそうですけど」
「そういうこと」
多少苦しくとも生き残れる可能性がある方に掛けるのが政治というものだ。
しかし今回の「政治」は民衆のためではなく、王族のための意味合いが強い。エリサにはそこがどうにも気に入らなかったが、レイフォード王国としてはハイラム帝国側の勢力が増えることは見過ごせなかった。だからそれとなく兄に伝えたのだ。
「もし仮にロードウェルがハイラム側についたとしても、あのセイア王国が簡単に制圧されるとは思えないけれど……。とはいえ西から北を敵陣勢力に囲まれるっていうのはセイア王国も面白くないと思うわ」
「万が一セイア王国がハイラム帝国に征服されることがあれば、我が国は全方位敵に囲まれることになりますしね」
「そういうこと。それを防ぐためにもロードウェルにはハイラム帝国と協定を結んでもらっては困る」
困るのだが。
渦中に放り込まれるというのも同じくらい困るわけで。
「ああああああ行きたくない行きたくないいいいいいい」
ドレスの裾が床に広がるのも気にせずに、エリサは頭を抱えながらしゃがみ込んだ。
「頭抱えるくらいだったら私を使ったりせずにご自身ではっきりと伝えればよろしかったのに」
「そういうわけにはいかないわ。私はあくまで「勉強もせず遊び惚けている」王女なのよ。それなのに政治についてああだこうだと言ったら不自然でしょう。しかも他国のことまで!いい?ローズ、私は政治のことなんて何にも分からない我儘で無知な王女なの!」
先ほどまでの思考ポーズを放棄して本気で頭を抱える主人を見て、ローズはあからさまにため息を吐いた。
何も分からない王女がドレス1枚売れた程度でここまで推察できるわけがない。もちろんそんなことはエリサも自覚した上でのことだ。だから尚更たちが悪いとも言えた。
「ねえエリサ様、その噂に乗っかるのそろそろやめましょうよ。多分ユアン王子くらいは気づいてると思いますよ?」
「いいえ、ドレスは完璧に隠れて製作している自信があります。ユアン兄さまがこの裁縫能力に気付いているとは思えません」
「ええ、まあ、たしかにそこは気づいてないかもしれませんけど」
まさか王女である実の妹がドレス製作においてプロ級の腕前を持っているとは思いもしないだろうが。
そういうことじゃなくて。
ローズが言い直そうと口を開いた瞬間、エリサの静かな声がそれを遮った。
「それにね、ローズ。私はいつか政略結婚で他国へ行く身。この国の王政に積極的に参加しない方が、後々いいに決まってるわ」
「……そんなのは、分からないじゃないですか」
「分かります。だって私がそれを望んでいるから。私は王女として、この国のための一駒になりたい。そしてそれが私の一番の活用方法だと思ってる」
それはエリサが唯一核心を持って言えることだった。
彼女は人々が噂をするような無知で高飛車な人間ではない。けれど妹のような誰からも愛される人間になるつもりはない。
大切にされるあまり、「使い方」を間違われるようなことにはなりたくないのだ。
「どんなに非情な王のもとにでも、どんなに悪辣な環境の国にでも、この国のためになるのならば嫁ぎます。それを可哀そうだからだとか、私のためにならないだとか、そういう理由で躊躇されたくありません」
エリサの青の瞳が暗く光る。少なくともメイドにはそのように見えた。
そこにあるのは確固たる覚悟。
「この国はユアン兄さまがいらっしゃる。国政は彼に任せておけば問題ありません。頭は一人いれば十分。二人もいらないわ」
「……私はエリサ様にも幸せになっていただきたいのですが」
「ありがとうローズ。私は十分幸せよ」
ようやくエリサの口元に小さな笑みが乗る。誰も見下さない、自愛を持った柔らかい笑顔。
エリサだって自然に笑えるのだ。気を許した者の前だけでは。
「それにあの噂に合わせてるせいで自由気ままなハンドメイドライフが送れてるわけですし」
「そうでしたね。私としてはそれが一番どうかと思っています」
「良いじゃない。ちなみに嫁いでからもこっそりドレス製作は続けるつもりよ」
「嫁ぎ先のメイドに迷惑かけるの止めて下さい。……で、今回はどうされるおつもりで?」
「……行きたくないけど、行くしかないわねえ」
はあ、とため息をついてからエリサは立ち上がる。
「さあ、パーティー大好きエリサ様、出動よ」
そうね、まずはドレス選びからね!と思わず語尾が上がってしまったのはただの偶然、決して楽しみだからではないのだ。決して。
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