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悪徳王女、その名はエリサ

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 レイフォード王国。自然豊かで織物産業が盛んなこの国は、賢王と名高いレイフォード王がその地を治めていた。
 そのレイフォード王には三人の子がいる。

 一番目は次期国王であり、現王を凌ぐとも言われる頭脳を持つ長男・ユアン。
 美しい金色の髪と優し気な碧眼を持ち、人当たりの良い雰囲気を身にまとう王子は国民からも高い人気を誇っている。威厳と力強さを体現する現王とはまた違った知性派で、しかし次期王政も安泰であるともっぱらの噂であった。

 そんな彼の妹・シエナもまた兄に似た優しげな風貌を持つ王女である。
 ウェーブがかったふわふわの茶髪にぱっちりとした碧の目。少々背丈は低いものの、ほっそりとした手足はまるで人形のようだと皆その可愛らしさに顔を緩めた。ともすると実年齢である17歳よりも幼く見えたが、その愛らしさを人々はまるで天使のようだと称え、兄に似て優しい王女であると自慢げであった。

 問題は残る一人。
 ユアンの妹にしてシエナの姉、エリサである。

 エリサは先の二人と違い、凛とした印象の強い王女であった。美しく流れるブロンドヘアーに、強い意志を湛える深い青い瞳。女性にしては高い身長とすらりと長い手足は人目を引いた。
 そんな彼女を美人だと評する声は確かに多い。けれど大抵の場合それは別の意味も伴っていた――そう、「顔立ちのキツイ」美人であると。
 彼女の容姿は「凛とした」と言えば聞こえがよいが、それはかなりの好意を持ってして言い得た表現であって、大抵の人間には高飛車で高圧的に見えるのが常だった。妹のシエナが可愛らしい風貌であるだけに、二人並ぶとその差が特に際立つのがまた不憫とも言えた。
 その上この王女、全く笑わないのである。稀に姿を現す公式行事では常に真顔。口の端さえ持ち上げない。つんと澄ましているようにも見えるその表情は、元が美人であるだけに怖さと冷たさを増長させていた。

 極めつけは人々が聞き及ぶ彼女の噂で――城の使用人を顎で使い、ドレスは二度同じものは着ず、日々碌に勉強もせず遊び呆け、妹のシエナへ冷たい態度をとる――国民たちは彼女の話になると決まって眉を顰め、なぜ一人だけこんな子が育ったのだろうと囁きあうのだった。
 
 だが、よく考えてみてほしい。

 そもそも国民たちは王族と触れ合う機会などそうそうないはずなのに、どうして彼女の人となりを知れようか。
 火のない所に煙は立たないとはよく言ったものだが、大抵の真実は民衆から隠されているものであることもまた事実。それに気付いているのは今のところ――




「私たち使用人くらいですかねえ」
「え?何突然どうしたの?あ、悪いんだけどそこの布取ってくれないローズ」
「はいはい……ってああもうこれだから言われるんですよ!「使用人を顎で使ってる」って!」

 喚きながらも素早い動作で指定の布を手渡してくれた忠実なメイドに礼を言い、エリサは受け取った布をうっとりと眺めた。
 とろみのある鈍い光沢を放つこの布は、エリサがずっと探していた一級品である。
 先日たまたま手に入ったと卸問屋から連絡が入り、ここぞとばかりに溜めておいたへそくりを活用した。懐は大分寂しくなったが悔いはない。普段安い生地ばかりを買っているエリサだが、買うときは買うのだ。卸問屋の大将も言っていた。「エリサ様もやるときはやるんですねえ」と。
 もちろんその後に続いた「そういうことじゃないんですよ」というメイドの嘆きは聞き流した。

 エリサは美しい布の光沢を十分に堪能すると、今度は両手で布を広げメイドへ見せつける。

「ねえ見てよローズこの上品な艶……しかも派手すぎず地味過ぎず落ち着いたこの絶妙なピンク色!最高ね。最高だわ。どうやったらこんな風に作れるのかしら、本当に素敵。これだけで飾っておきたい。あ、そうだ、今度この布を作っている工房に視察に行ってもいいわよね?」
「良いわけありません」

 布を見て恍惚の表情を浮かべている主人にローズは冷静な一言で一刀両断した。
 しかしそれで怯むような王女ではない。

「大丈夫よ。我が国の産業実態を学ぶ名目で行くから」
「ドレス製作に飽き足らず生地作りにまで手を出し始めそうな気がするので断固阻止します。あと工房の職人さんが震えあがるので却下です」
「ローズゥ」
「駄目です」

 眉を下げ媚びるような表情を作ってみたが、残念ながらこのメイドにはまったく効果がなかった。いや、もしかしたら下から睨み上げるような表情にしかなっていなかった可能性がある。
 今夜鏡の前で特訓することをエリサはそっと心の中で誓った。

「それはそうとエリサ様、そろそろ時間ですよ。その布切ったら片づけてくださいね」
「え、もうそんな時間?」
「小一時間は経ってますけど」
「そう……ああ、時間がもっと欲しいな……次のパーティーに間に合わないじゃない。まあまだ出席決まってるのないけど……」

 作りかけのドレスを横目で見て深くため息を吐く。しかしそれ以上の深いため息がエリサの横から流れてきた。

「エリサ様、そういうこと言ってるからまた悪い噂が立つんですよ」
「ああ、「二度同じドレスは着ない」ってやつ?」

 最近耳にした自身の噂を思い出し、エリサはわざと意地悪く口元を吊り上げた。
 確かにその噂自体は間違いではない。間違いではないけれど、けれどそこに潜んでいるのは純然たる悪意だ。
 ああ、これだから噂は――噂を作り出す人間は。

「まったく……趣味のドレス製作で出来上がったものを着てるだけなんですけどね……。エリサ様はパーティーで新しいドレスが着たいからじゃなくて、新しいドレスを作りたいからパーティーに行くんですもんね……」

 これ見よがしにため息をつくメイド。もはや手段と目的が逆転しているが、エリサからすればそれが正しいことなのである。

「だってそれ以外にパーティーへ出席する意味ある?」
「同じ年頃の淑女たちは将来の結婚を相手を見つけるべくこぞって参加しているというのに……」

 エリサを無視してわざとらしく泣き真似までするローズであったが、彼女もまた結婚適齢期にもかかわらずその予定がない一人であった。要は本気で怒る気がないということだ。

「大丈夫よ。そのうち嫌でも強制的に誰かと結婚させられるんだから」
「何そんなのんびりしたこと言ってるでんすか。政略結婚の話が来たら最後、断れないんですからね。その前に相手を自分で見つけてさっさと結婚しちゃいなさいって言ってるんです」
「心配してくれてありがとう」
「……ドレス製作だって自由にできなくなるかもしれないんですからね」
「それは困る」

 結局メイドが悔し紛れに放った一言が一番効いたエリサであった。

 さて、そろそろお分かりいただけたであろうが、この民衆からの評判がすこぶる悪いエリサ=レイフォードは、日ごろの噂とは裏腹に至極まっとう且つ平和主義的に暮らしている王女である。

 メイドを顎に使うこともなければ宝石を買い漁ることもない。勉強ができないというわけでもない。
 ただしメイドを趣味のドレス製作につき合わせたり手伝わせたり布を買い漁ったりはする。そしてドレスを作るために勉強をさぼったりはする。
 メイドから言わせると「それがすべての原因」らしいが本人は全く意に介していなかった。
 もはや趣味の域を超え職人技とも呼べる技量を持つ彼女にとって、日々平和にドレス製作ができればどんな噂が立とうと全く関係のないことなのだ。

「ところでローズ、例の件は調べがついた?」

 早速例の生地を裁断するべく長さを図りつつ、エリサはメイドに声を掛ける。作業をしながら話しかけるなど到底淑女のすることではなかったが、ドレスがかかわると大抵のマナーはおろそかになるエリサである。
 それを承知しているのだろう、普段は口煩いメイドも今更主人の行儀の悪さを指摘することはなかった。

「はい。このままご報告してもよろしいですか」
「ええ、お願い」
「結論から申し上げますと、ロードウェル王国へ渡りました」
「ロードウェル王国?ここからは少し距離があるわね。しかもあそこは内紛中のはず。なぜレイフォードからドレスを買ったのかしら」
「詳細は不明ですが、私からかなりの高値でドレスを買い上げた例のバイヤーはロードウェルとつながりがあったようです。あのドレスはバイヤーからロードウェルへとすぐに渡っていきました」

 メイドの報告を聞きながらエリサの目が細くなる。ローズの報告が気に入らなかったからではない。生地の長さをマーキングしたからである。間違えると大変なことになる重要場面だ。
 要は集中力と緊張感が高ぶった結果なのだが、鋭さを増したその目つきを見る者がいたならば、おそらくまた新たな噂が立ったに違いない――メイドの報告が気に入らないと射殺すように睨み付ける女王だと。

「ユアン兄さまはロードウェルの動きを掴んでいるのかしら」
「まだ直接お尋ねはしていませんが、何か動いている様子はございません」
「そう……ねえローズ、売ったドレスの色はたしか赤色だったわよね」
「はい。フォーマル用の真紅のドレスです」
「……なるほどね」

 完璧な位置をマークしてエリサはようやく顔を上げた。
 自分の完璧な仕事に思わず満足げな笑みを浮かべたエリサだったが、ローズが怪訝な顔をしたのでおそらくそれが「満足げな」笑みには見えないことを悟った。
 事実、にやりと人の悪い笑みを浮かべている主人にメイドは少々困惑していたわけであるが、そのあたりの意思疎通の齟齬は今に始まったことではない。
 というわけで、エリサは気にせずそのままの表情で重要な命令を口にした。

「ローズ、今すぐユアン兄さまにご報告を。でもその前に――そこの裁ちばさみを取って頂戴」

 エリサにとってどちらが重要なのかは言うまでもない。メイドは返事の代わりにため息で答えて主人の命に従うのであった。
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