上 下
58 / 59

49話

しおりを挟む
***

かちゃり、ティーカップを置く音が鳴る。
不機嫌さを醸し出す仕草に男の苛立ちが伝わってくる。

「……、ふん、愚かな女だ。
素直に呪いに従順すれば愛しい男と交わる事が出来たのに」

ふわりと蠱惑的な香りが男から漂う。
淫靡で濃厚な薔薇の香りに堪えながら、側に控えていた執事が躊躇いがちに言う。

「貴方様の姉君になんと言う暴言を」

執事の言葉にぴくりと柳眉が上がる。
くつくつと嗤う主人に執事の額から汗が滲み出す。

「私の姉か……。
そうだな、確かに私の血の繋がった姉だな、クリスティアーナは」

ソファから立ち上がり優美な仕草で真紅の薔薇に触れる。
触れた花弁が真紅から漆黒へと変色し、儚く散っていく。
色褪せた花弁を男は感情のない瞳で眺めている。
ピジョンブラッドのルビーの如く、赤い瞳で。

「アーネスト様……」

「……レガーリス家の直系で白薔薇の呪いの保持者であるクリスティアーナ。
私とは質の違う、対なる君の呪いの……」

「……」

「別に皮肉を言っている訳では無い。
私は清廉で穢れなき白薔薇の呪いの保持者にはなれなかった。
ただそれだけの事」

「対なる君の呪いに、清廉等決して存在しません。
呪いに精神は蝕まれ最後には身体が腐敗し朽ち果てていく、悍ましいの一言に付きます」

「……、ふふふ、お前は私を慰めているのか?」

「いえ、滅相もございません。私は事実を申し上げているだけ。
対なる君の呪いは罪であり、そして罰でもあります。
……。
アーネスト様。
紅の薔薇の呪いの保持者である貴方様の苦しみと哀しみは想像を絶するものかと思われます。
贖罪の為に貴方様は存在する。
破滅を回避する為に貴方様がこの世に生を受けた事を誰一人、存じ上げない。
私は対なる君の呪いの残酷さに、憤りを抱いております」

「モーリス」

「アーネスト様」

「ふふふ、お前に同情されるとは思わなかった。
……落胆しているのでは、ない。
ただ、白薔薇の呪いの保持者であれば、阻まれる事なく出会えた筈だ。
私の対なる君と……」

「……」

「出会えば対なる君が私を愛する事は解っている。
それが私達が定められた運命。
だが、その運命すら、打ち砕かれてしまった。
相愛の薔薇が咲いた事で、私の対なる君は奪われてしまった。


「アーネスト様」

「モーリス。
私はね、白薔薇の呪いの保持者であるクリスティアーナにある意味、哀れを抱いている。
浄化を司る白薔薇の呪い。
罪を浄化するが故に己が身を呪いに捧げる。
クリスティアーナは耐え難い苦しみを一人で抱き、これから先も生きていかなければならない。
対なる君を喪ったクリスティアーナは一人、孤独に……」

「アーネスト様」

「……ふふふ、無駄話が過ぎたな」

「……」

に行く」

「……」

一面に咲き乱れる真紅の薔薇。
忘却は憐れだと、誰が語ったか。

愛を語りましょう、愛しい貴方。
貴方が忘れても、私は貴方を愛している。
貴方を決して一人にはさせない。
貴方の苦しみは私の苦しみ。

貴方の罪は私の罪。

ねえ、貴方。
もう一度、貴方に出会えたら、私に愛を囁いて。
私に真紅の薔薇を捧げて愛を伝えて。

私の愛しい貴方……。

アーネストの口元から笑みが零れる。
過ぎ去りし過去の記憶に一瞬、心が和らぐ。
そして先程のモーリスとの会話を思い出す。

(如何なる理由であれ、交われば良かったのだ、クリスティアーナは。
愚かにも人としての感情に囚われた事で、呪いの種子が目覚めてしまった)

温室に足を踏み入れる。

ふわりと漂う、ミルラとティーの薫り。
懐かしい

歳の離れた唯一の友の薫り。

「フランシス……」

アーネストの声に呼応するかの如く、花弁が揺れる。
穏やかで優しかったフランシス。

「……何故、呪いに心を委ねてクリスティアーナを抱かなかった?」

「……」

「フランシス」

ゆらりと仄かな光に包まれた人物がアーネストの前に現れる。
困った様な笑みを浮かべアーネストに柔らかく微笑む。
ゆっくりと口元が綻び、穏やかに名を呼ぶ。

アーネスト様、と。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

大嫌いな幼馴染の皇太子殿下と婚姻させられたので、白い結婚をお願いいたしました

柴野
恋愛
「これは白い結婚ということにいたしましょう」  結婚初夜、そうお願いしたジェシカに、夫となる人は眉を顰めて答えた。 「……ああ、お前の好きにしろ」  婚約者だった隣国の王弟に別れを切り出され嫁ぎ先を失った公爵令嬢ジェシカ・スタンナードは、幼馴染でありながら、たいへん仲の悪かった皇太子ヒューパートと王命で婚姻させられた。  ヒューパート皇太子には陰ながら想っていた令嬢がいたのに、彼女は第二王子の婚約者になってしまったので長年婚約者を作っていなかったという噂がある。それだというのに王命で大嫌いなジェシカを娶ることになったのだ。  いくら政略結婚とはいえ、ヒューパートに抱かれるのは嫌だ。子供ができないという理由があれば離縁できると考えたジェシカは白い結婚を望み、ヒューパートもそれを受け入れた。  そのはず、だったのだが……?  離縁を望みながらも徐々に絆されていく公爵令嬢と、実は彼女のことが大好きで仕方ないツンデレ皇太子によるじれじれラブストーリー。 ※こちらの作品は小説家になろうにも重複投稿しています。

処理中です...