愛のない婚約かと、ずっと思っていた。

華南

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42話

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「ごめん、マリアンヌ。
僕の所為で、君に不愉快な思いをさせて……」

「……」

先程から一言も話さないマリアンヌにクリストファーがグッと肩を抱き寄せる。
頬を紅潮させたマリアンヌの眦にはうっすらと涙が滲んでいた。

「マリアンヌ」

押し黙って涙を堪えているマリアンヌにクリストファーは優しく眦に口付ける。
労わる様なクリストファーの口付けにマリアンヌの目から涙が溢れ出す。

(クリストファーにこんなにも優しく慰められたら、我慢出来なくなる。
抑えていた感情が今にでも爆発して、クリストファーに縋って泣き叫んでしまう。
それだけは、絶対に、嫌!)

だってお母様の身分を貶めた言葉を自ら認める事になるから。

街でコゼットと偶然出会し、婚約者であるマリアンヌがコゼットがクリストファーに豊満な胸を押し付け絡んできた事に憤慨し、引き離そうとした事が発端であったが。
クリストファーに執心なコゼットが婚約者であるマリアンヌが疎ましく思っている事など、充分に分かっている。
マリアンヌをクリストファーの婚約者として認めたくないのは理解出来る。
だが、そこに何故母親であるセシリアの事を貶める言葉を含んだ嫌味を言うのがマリアンヌには腹立たしかった。
途中からの嫌味がマリアンヌを挑発する言葉が含まれている事に気付いたマリアンヌは反論する言葉を飲み込んだ。

セシリアをこんなくだらない言い合いの為に巻き込みたく無かった。

母親が身分の低い平民だからそれが何だと言うのか!
曲がった事が大っ嫌いで大らかで優しく美しいセシリアはマリアンヌにとって自慢の母親である。
領民にもピアッチェ家の使用人達にも慕われているセシリア。
ピアッチェ家を仕切る女主人として采配を振るセシリアをマリアンヌは尊敬の眼差しで何時も見ていた。
クリストファーと相愛の仲になったマリアンヌの想いを尊重し、週末クリストファーと過ごす事を許してくれたセシリア。
マリアンヌを一人の成人した女性として認め、そして語ってくれた。
セシリアもマリアンヌと同じく対なる君である事を……。

「マリアンヌ?」

クリストファーの呼びかけにマリアンヌは淡い笑みを浮かぶ。

「……ううん、大丈夫よ、クリストファー。
クリストファーの所為では、ないの。
ただ、お母様の事を引き合いに出す彼女が許せなかっただけ」

「……」

「だって私に嫉妬するのは自由だけど、そこにお母様の身分が関係する事なの?
平民だから、貴族では無いから何だって言うの!
貴族がそんなに立派なの?
私には、到底、理解出来ない……」

力なく言うマリアンヌにクリストファーが穏やかに言う。

「僕もマリアンヌの言葉に同感だよ」

「クリストファー」

「……、僕の母様も没落した伯爵家の令嬢であった事を社交の場にてずっと誹謗されていた。
それだけでは無い。
大叔母であるレガーリス家のマルグリット様を含めた親族一同から、母様はシャンペトル家に相応しく無い身分だとずっと言われ続けていた。
幼い頃から僕は母様を謗るマルグリット様や親族に嫌悪感しか抱く事が出来なかった。
そんな僕に気付いた母様は、僕に厳しく諭した。
貴方がマルグリット様や親族にそんな感情を抱く事は愚かで、おかしい事だと」

「……」

「母様はとても自尊心の高い芯の強い方だと僕は思っている。
己の立場をを弁え決して自ら主張など一切しなかった。
僕を守る為に母様は全てをあるがままに受け入れていた。
それにね、マリアンヌ。
母様は対なる君の呪いの保持者である僕を惜しみない愛情を注ぎ愛してくれた。
僕が呪いで暴走する事を母様は恐れていた筈だよ。
だけど僕の前ではそんな素振りを一切出さなかった。
ただ、マリアンヌとの仲が進展しない事に何時もヤキモキされて……」

「クリストファー」

「母様自身も対なる君であって、夫である父様も、そして息子である僕迄もが呪いの保持者である事にどれだけ心を痛めていたか想像を絶する事だと思っている。
呪いが思考を奪い己では無い存在しか認めず、対なる君を得られないと奇病に侵され、いつか己では無い存在へと変化し朽ち果てていく。
母様の精神は何時も追い込まれていた筈なのに、出る言葉は僕に申し訳無いと。
貴方を呪いの保持者として産んだ私は僕に許される存在では無い、と。
対なる君の呪いの保持者として誕生した僕の方が遥かに辛くて苦しいと母様は涙を流して僕に言うんだ……」

「……」

「対なる君の呪いって一体、何だろう……。
人の運命を弄んで愛する人を苦しめる呪いの意義は何処にあるんだろう」

哀しみを湛えたクリストファーの顔にマリアンヌは何も言えなかった。
マリアンヌに語ったくれたセシリアの過去。

対なる君であるが故に愛する祖父母との永遠の別れ。
そして相愛の男性との訣別。
婚姻を誓い合った男性との別離を余儀なくさせられた。
セシリアが父親であるロベルトの対なる君であるが為に……。

「お父様の事をお母様は愛しているの……?」

話の流れでマリアンヌはつい、問うてしまった。
己とクリストファーは対なる君であろうがなかろうが互いが求め合い愛を誓った。
だからセシリアもロベルトに対して愛を抱いているから対なる君である事を受け入れた、と。

「お母様……」

長い沈黙が二人の間に流れる。
ふっと微笑むセシリアにマリアンヌは気付いてしまった。

セシリアがロベルトの事を愛していない事を……。
セシリアの儚い笑みが全てを物語っていると。

マリアンヌは、そう、感じていた。
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