愛のない婚約かと、ずっと思っていた。

華南

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10話

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「私はマリアンヌって言うの。
あなたのお名前は?」

「……」

「ねえ、お名前は?
教えてくれないの?」

「……、クリストファー」

「クリストファーね。
素敵なお名前ね。
ふふふ、クリストファー、よろしくね!」

瞳をキラキラさせて君は僕の顔を覗き込み、にっこりと微笑んだ。
君の笑顔に僕は戸惑いを隠せない。

僕の事、苦手な筈なのに。
君は僕の事を嫌っているんでしょう?
僕の顔を見て君が身体を硬直していたのを僕は知っている。
僕の顔が母親に似ているから苦手だって。

なのにどうしてそんなに瞳を輝かせて僕に笑いかけるの?
僕の名前が素敵だって、どうして?
 
純粋な穢れなき偽りの無い気持ちで僕を見詰めている。

僕の事を……。
だって、僕は君の事を……。

(マリアンヌ……)

そっと心の中で呟く。
君は太陽の如く光輝いていて、僕は君の笑顔にずっと見惚れていた……。


***

「クリストファー……。
私の突然の訪問で大切な婚約者とのデートを中断させてしまって。
申し訳なかったわ、赦して下さるかしら。
ふふふ、まあ、クリストファー。
貴方、眉間に皺が寄っているわ?
それもかなり深く。
普段、表情を崩さない貴方が……。
随分ご機嫌斜めなのね」

むすっとした表情でずっと立っているクリストファーにクリスティアーナはソファに優雅に腰掛け目を細めながらコロコロと鈴を転がす様に笑う。
クリスティアーナの、自分を揶揄う口調にクリストファーの機嫌が益々悪くなる。

「……」

当然ながら無口を押し通すとクリスティアーナの笑い声が更に高くなる。
肩を震わせながらくすくす笑うクリスティアーナにクリストファーはつい、顔を背ける。

「ふふふ、貴方って相変わらずのだんまりさんね。
でもその分、態度に出ているわ。
とても親密なデートだったのに私の所為でって。
まああ、そんなに怒らないで。
全く、今日は素直に感情を表情に出しているのね」

当然だ、知っての事だろう。
何を言っているとクリストファーは心の中で悪態を吐いていた。

「……」

クリストファーの子供っぽい態度にクリスティアーナは苦笑を漏らす。
幼い頃から弟の様に接してきたクリストファー。
無表情、無口と周りは思っているがこれ程、あからさまな態度をクリストファーが出すのはクリスティアーナに心を開いている証拠である。
クリストファーもクリスティアーナの事を実の姉の様に慕っている。
だから不機嫌極まり無い態度も素直に出す事が出来る。

「そんなに顰めっ面しないで。
麗しい美貌が台無しよ。
ふふふ、揶揄ってごめんなさいね、クリストファー。
私の、今日の訪問での用件は理解できているでしょう?
……、お祖母様が貴方と私の婚姻を望まれているわ。
原因は、言わなくても解るでしょう」

一瞬、クリストファーの瞳が揺れる。
クリストファーに動揺が走る。

「……」

クリストファーの動揺に気付きクリスティアーナが微笑む。

「私は貴方との婚姻を、正直、望んではいないわ。
でもお祖母様を含め一族は貴方との婚姻を強引に推し進めようとしている。
私に……、がいないから」

「……」

「一族の直系であるレガーリス家の次期当主である私に、が一番、対なる君の存在に相応しいと勝手に推測しているわ。全く愚かな事だわ。
対なる君の本来の意味を捻じ曲げている」

「……」

「クリストファー、貴方はそれで良いの?
貴方には貴方の……」

クリスティアーナが真摯な目でクリストファーを見詰める。
静けさを称えた瞳の中に潜むクリスティアーナの揺るぎない想いに、クリストファーは思わず目を閉じクリスティアーナの名を呼ぶ。

「……ティア」

「愛しているのでしょう、彼女を。
今もこうして感情を露わにしている。
普段、何事にも動じない貴方が婚約者の事になると冷静さを欠いている。
それ程深く愛しているのに、どうして貴方は彼女に愛を囁かないの?
どうして目の前にある幸せに目を背けるの?
もしかして貴方は私に対なる君がいないから、いいえ、私の対なる君が……」

「……」

「クリストファー……。
貴方の意思を聞かせて。
貴方がどうしてそこまで思い悩まないといけないの?
貴方に、彼女に何の責任も無いのよ!
なのに何故、素直に貴方は彼女に愛を伝えないの」

「……、失礼します」

強引に話を中断させ、退出しようとするクリストファーにクリスティアーナは言葉を失う。
背を向け部屋を出て行こうとするクリストファーに何を訴えても無駄だと悟り、クリスティアーナはただただじっとクリストファーを見詰める事しか出来なかった。

ふう、と息を吐き、そっと目を伏せ、心は幼き日の思い出へと導かれ……。

白薔薇が満開に花開く庭園での出会い。

頬を薄らと赤く染め貴方に躊躇いがちに挨拶をする。
そんな私の恥じらいと戸惑いに気付き穏やかに微笑む、貴方。
私の対なる君……。
唯一の……。

ぽつりと一雫の涙が流れる。
白磁の肌を濡らす、清らかな真珠の如く美しい涙。

(貴方は馬鹿だわクリストファー。
何故、心を閉ざしているの?
溢れる程の愛を心に秘め、見詰める瞳に恋情の炎を宿す貴方が、何故)

それとも全てを隠し見守る事が貴方の愛の証だと貴方は訴えたいの?

クリストファー……。

それはとても悲しくて、とても残酷だと言う事を。
貴方はどうして気付かないの?

***

クリスティアーナとの会話を一方的に中断したクリストファーは自室に戻り、深くソファに身体を沈めていた。
目を閉じ、深く息を吐きながら思いを巡らしていると侍女であるアンナが控えめに部屋に入ってくる。

「あの、クリストファー様」

アンナの声にクリストファーは一瞥しながら、起き上がる。

「……」

無言で冷ややかに見詰めるクリストファーにアンナは、言葉を詰まらせながらクリストファーに差し出す。

「お、お帰りの際に、マ、マリアンヌ様の従者からこちらをお預かりしました」

普段のクリストファーとは思えない冷たい視線にアンナは身体をブルブルと震えさす。
何をこんなにもクリストファーを不機嫌にさせているのか、アンナには皆目見当がつかない。
ただ、今のクリストファーには近づかない方が身に為だとアンナは直ぐに退出する。

「……」

「し、失礼致します」

そそくさと退出するアンナに侮蔑を込めた視線でクリストファーは射抜く。
その視線が何を物語っているのか、当事者であるアンナは何も理解していない。

ふう、と軽く息を吐く。

渡された包みが何かは気付いている。
己の為に朝早くから焼いたクッキー。

昔、初めて貰った時に戸惑いながら口に入れた。
自分の為に焼いてくれたお菓子。
チョコレートと胡桃が刻んでいる、大好きなクッキーを。
それをマリアンヌが焼いてくれた。

心が喜びに満たされて、余りの幸せに胸が詰まって。
咀嚼する姿にマリアンヌの目が大きく見開き、ずっと自分を見ていた。
初めて見る己に驚いたのか、食べ終わるまでずっと。

マリアンヌ……。

君はくるくると表情を変えて色々な顔を僕に見せてくれる。
君はいつも光輝いていて。
僕はそんな君に強く心を揺さぶられ。

「……、マリアンヌ」

そっと唇に触れる。
柔らかく温かい……。

君に触れた事に喜びを隠せない。
瞳に君への想いが滲み溢れて、抑える事が出来なかった。

「マリアンヌ」

ずっと、呼びたい名前。

マリアンヌ。
僕は君を。

君を愛している…。
誰よりも愛して、いるんだ……。

だけど、君には伝える事が出来ない。

僕は君に、愛を、伝える事が出来ないんだ……。

マリアンヌ。
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