愛のない婚約かと、ずっと思っていた。

華南

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7話

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(うーん、いい風)

シャンペトルの屋敷から少し離れた小高い丘。
ここから見渡すと一望できる。
シャンペトル家の領地が。
目の前に広がるシャンペトル家の雄大な眺望に思わず感嘆を漏らしてしまう。
ふと、屋敷に視線を落とすと外壁には薄紅色の蔓薔薇が誘引され艶やかに咲き誇っている。

(赤い煉瓦の壁面に絡む蔓薔薇が防壁の様に屋敷を守っている様に感じるのは気の所為かしら。
まるでピアッチェ家の蔓薔薇と同じだわ。
ピアッチェ家の蔓薔薇は黄金色なんだけど濃く馨しい香りに、八重咲きのそれは見事な花を咲かせて……)

うん?

何だろう?
引っ掛かるのよね……。
幼い頃からずっと。

ピアッチェ家もシャンペトル家も

どうしてだろう……。

(あんまり深い意味はないか。
ただ単純にお互いの家が薔薇を好んで植えている。
それだけの理由だわ、きっと)

本当に壮観だわ。
まるで一服の名画の様に田園の中に佇む屋敷の美しさにうっとりと魅入ってしまう。
頬をそよぐ風は薔薇の香りと共に丘を靡いていく。
ふわりと漂う芳醇な薔薇の香りが一瞬、私を夢の世界へと誘う。

(雲一つもない空……。
本当に天気が良くてよかったわ。
だって……)

ちらちらと周りを見渡す。

「そろそろ、クリストファーが来る時間。
今日はここでお昼にしようと誘ったんだけど」

ちらりとバスケットの中を見る。
シャンペトル家の料理長にこっそりと教えて貰った、クリストファーの好きな食べ物。
食事の時も全然表情を崩さないし、残さず綺麗に食べるから食の好みが分からなくって。

(だって、何を食べても無反応だもの……)

ううん、違う。
無反応では、無い。

私が焼いたクッキーには、一瞬、表情が緩んだ。
初めて焼いて渡した時、戸惑う様に手を彷徨わせて。
そして摘んで咀嚼したわ。
あの時のクリストファーは確かに口元を緩ませていた。
ああ、気に入ってくれたんだと胸を撫で下ろした事を思い出した。
だから今朝早く起きて、あの時と同じチョコレートとくるみを刻んだクッキーを焼いたの。

そして、私が好きな紅茶にも目を細めていたわ。

よくよく考えるとクリストファーは甘いものが好きなんだと。
そっと微笑んでしまった。
だって意外で可笑しくて、そして可愛くて。

バケットには卵とハムとトマトを挟んだサンドウィッチと、焼きたてのスコーンにジャムと蜂蜜と、クリームチーズをトッピングにと準備して。
デザートとには季節の果物を、ビッチャーには冷たい紅茶を淹れてきた。

(少しは喜んでくれるかな?)

一昨日、クリストファーの急用でシャンペトル家の訪問が急遽取りやめとなり来月まで当分会えないと思ったら急に会いたくなって。

(だ、だって、焼き菓子と紅茶のお礼がしたかったもん!
く、クリストファーに会えなくて寂しいだなんて、そんな事……)

や、やだ、耳朶が赤くなっている。
ち、違うもん!
クリストファーに会えないのが寂しいだなんて、絶対に。

「マリアンヌ」

え?
い、今、名前を呼ばれた?
空耳では無いよね。
う、嘘、し、信じられない……。

「く、クリストファー?」

ドキドキドキドキ。

や、やだ、心臓に悪い!
気持ちの準備が出来てないのに名前を呼ばれたら。

「きゅ、急に誘って御免なさい。
お菓子のお礼が言いたかったから、だから……」

何時もの様に言えないよ。
だ、だって、こんなのって私……。

「……」

「……」

何を話せばいいの?
う、上手く言葉が出来ない!

「……、お、お菓子と紅茶、と、とても美味しかった。
あの焼き菓子と紅茶って令嬢達にとても人気で、中々手に入らなくて……」

「……」

「私の為にわざわざクリストファーが買いに行ったの?」

目が合わせ無い、こ、こんな恥ずかしい。

「……、マリアンヌ」

「え……」

(きょ、今日2度目だわ、名前を呼ばれたの……。
こ、こんな事って、今まで、な、無かった。
一体、クリストファーの中で何があったの!
何の心境の変化なの!)

「クリストファー?」

恐る恐るクリストファーの顔を見詰める。
視線を合わせる。

何時もと同じ無表情の筈なのに、どこか違う。

「あのね、これ、私が焼いたクッキーなの。
ランチの後に一緒にと思って」

「……」

「む、昔、焼いた時、クリストファーが残さず食べてくれたから、好きなのかなって。
焼き菓子と紅茶のお礼をしたくて……」

「……」

「サンドウィッチもスコーンも全て私の手作りだから。
もし、気に入らなかったらそのまま残して……」

「……」

「迷惑だったら御免なさい……」

「……」

(も、もう恥ずかしくて、い、言えない!
な、何なの?
ま、まるで恋する乙女じゃ無いの、私って!

……。

え、ええええっ!
こ、恋する乙女って、わ、私………)

ぼっと顔から火が吹く様に顔が熱いわ。
こ、こんな……。

「……」

「……」

や、やだ。
沈黙が怖いよ。
恥ずかしくて死にそう……。

ふわり。

(え……。
あ、す、ストールが風に靡いて、や、やだ。
早く立って追いかけないと)

飛ばされると思い立ち上がる前に、クリストファーが風に靡くストールを掴んでくれて。

「あ、ありがとう、クリストファー」

一瞬、間近にクリストファーの顔があって。

(え、な、何なの……。
クリストファーが目の前に、いる)

とくんとくん。

心臓の音が騒がしくて抑えられない。
クリストファーに気付かれてはいないよね……。

(綺麗な瞳。
光の加減で紺碧に見える瞳がアメジストの様に煌めいている……。

……。

ど、どうしてそんな感想が浮かんでいるの?)

……。

え?
何が起こっているの?
一瞬、何が起こったのか分からない。

ふわりと温かい感触が……。

違う。
こんな事って、絶対にあり得ない……。

だって、クリストファーが私の唇に触れているなんて。

これは都合のいい、夢の出来事。
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