「貴方に心ときめいて」

華南

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52話

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***

ずっと好きだったの。
彼の事がずっと。

初めて会った時、既に私は彼に恋していた。
お義父さんが再婚して出来た、義兄。

優しくて穏やかで、そして……。
恋する理由なんて、言葉では言い表せない。
ただ、彼に心が奪われただけ。

彼に心がときめいただけ。

なのに、彼は私の事を義妹としか見てくれなかった。
出会った時には、既に彼には心に決めた相手が存在した……。

幼い頃に出会った、運命の相手。
私が彼に抱いた様に、彼もあの女の事を。

(いや!
渡したくない!
兄さんは私のモノよ……。
だって、兄さんは私の事を誰よりも大切にしてくれる。
だって、私は……)

彼にとって、ううん、一柳家にとって私は……。

ぽつん、と雫が落ちる。
心に広がる黒い感情。
漣の様に広がって心が蝕んでいく……。


深く深く封印した気持ち。
彼に知られたくないから。
ドロドロと黒い感情に囚われた私の心を悟られたくないから、だから私は妹として彼に接してきた。
時がくればきっと気付いてくれる。

私の恋心を。

どうして彼に気持ちを伝えなかったのだろう。
そんな事、言えない、だって。
彼を苦しめたくなかったから、彼を困らせたくなかったから。
だから時が来るまで秘めていたの。
成人したら、大人になったら、私はもう、彼らにとって被害者では無い。
彼らも私にとって加害者では、ない。

対等になれると信じていた。
だから、私は……。

それが愚かな考えだと気付いたのは、何時の事だろうか?
彼の恋情がハッキリとした形で表に出た事が、引金だったのだろうか?

それとも、久保紗雪があの男の会社で働いている事を彼が知った時から始まっていたのだろうか?
私の恋が粉々に打ち砕かれたのは、全て、久保紗雪の所為。

そう、あの女が、彼の前に現れた所為。

一柳泰斗として彼が、久保紗雪と出会った事が全てを狂わした。

初恋の相手である久保紗雪との再会。

偶然か、それとも必然だったのか……。

「颯斗兄さん……」

譫言の様に呼んでしまう。
私の愛しい男性。
私が初めて恋をして、愛した男性。

そう、私、嵯峨野恵梨が初めて恋心を抱いた、男性……。

***

薄らと眦に涙が滲む。
意識を失ったマリーベルの頬に一雫、流れ落ちる。
側にいるレイチェルがマリーベルの頬に優しく触れる。

「マリーベル……」

急に倒れて既に2日経過していた。
未だにマリーベルが覚醒する気配が感じられない。
時折、譫語の様に呼ぶ名に、レイチェルは顔を歪める。
そんなレイチェルに気付いたジェラルドがレイチェルの体調を気遣い休む様に促すがレイチェルはかぶりを振り、マリーベルの看病に心を砕く。
レイチェルの献身的な看病の姿に、ジェラルドの気持ちは複雑だった。

前世では実の母親で、現世では叔母であるレイチェル。
今、ジェラルドの気持ちは前世である一柳泰斗の感情が優っている。

(まさか、マリーベルがあの女の生まれ変わりとは。
颯斗が気付くのも時間の問題か)

苦い感情が心の中に蔓延っていく。
あの事故で、泰斗と颯斗の両親は離婚し、互いに新しい家族が出来た。
泰斗には父の愛人であった女が後妻として、そして颯斗の新しい家族は、あの事故の被害者であった嵯峨野恵梨と叔父である嵯峨野仁志。
叔父である仁志に養女として迎えられ、そしてその後、泰斗と颯斗の母親は仁志と再婚した。
最初、夫の犯罪に気付きながらも止める事が出来なかった罪悪感から嵯峨野仁志と恵梨に泰斗の母親は近付いたのだが、いつしか互いの心に愛情が芽生え、2人は再婚した。
恵梨を実の娘の様に慈しむ母親に颯斗も同じく、妹となった恵梨を実の妹の様に可愛がった。
最初、戸惑っていた恵梨も2人の偽りの無い愛情を知って、慕う様になった。

そう、恵梨は心の奥深く封印していた。
憎しみの感情を……。

禍々しくドロドロとした憎しみは新しい家族を得た事で鎮まっていた筈だった。
兄となった颯斗に異性としての感情を抱かなければ。
その颯斗に、既に心に決めた存在がいた事に気付かなければ、恵梨の心は歪む事は無かった。

颯斗の想う相手が自分の両親の命を奪った相手の娘でなければ。
そして、颯斗の父親が全ての元凶でなければ、恵梨の心が壊れる事は無かった……。

(運命とは皮肉なものだ。
加害者である男の息子が現世では従兄弟になるとは)

覚醒したマリーベルには余りに悲惨な現実だ。
思い出したくも無い哀しい記憶。
レイチェルの言う通りだとジェラルドは思う。
過去の記憶に囚われず生きて欲しいと願うレイチェルの気持ち。

エレーヌ・グーベルトとして久保紗雪が転生していると知れば、マリーベルの心がどれ程傷付くか、想像を絶する。
そして愛を抱いた颯斗がこの世界で久保紗雪の実の兄として転生していると知れば、マリーベルは……。

考えに囚われていたジェラルドはレイチェルの声で我に返る。

「気付いたのね、マリーベル……」

涙を流しながら喜ぶレイチェルにマリーベルが感情の無い声で呟く。
冷たい瞳でレイチェルを見つめながら。

「私、全て、思い出したの……」

マリーベルの言葉にレイチェルは言葉を失う。
感情を示さない声で、マリーベルはレイチェルに、そう、告げるのであった。
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