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閑話5
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(どうしてこんな展開になっているの?)
自分の身に起きた不運を改めて思う。
職場は常勤からパートに切り替えさせられて(それも自分の意思に関係なく)、補償が損失したと思ったら保科さんから高待遇で雇われて。
それも花壇の世話で、あの時給の高さに思わず眩暈が。
有り得ない展開に逆に怖くなって断りたいと思っても、保科さんの有無を言わせない圧が!
(はああ)
今日何度目かの溜息だろう。
炊事なんて好きとは言い難いのに。
必要最低限にしか考えていないのに、何故、他人の為に食事を作らないといけないの?
異性の、それも雇用主である保科さんに。
あーあ、彼氏なら喜んで作るけど……。
一柳さんにお願いされたら頑張って。
(どうして私の料理なの。
保科さんなんて美味しいモノを沢山たべているのだから、何も私の料理なんて!
それに手料理が食べたいのなら彼女にお願いしたら作ってくれるのでは無いの?
保科さん程の男性なら挙って手料理を振る舞う女性がいるでしょう)
「はああ……」
「そんなに溜息を吐くと幸せが逃げるぞ」
「え?
きゅ、急に何ですか」
背後から心臓に悪い。
あの、低音なバリトンで囁かれたら、こ、腰に。
(あ、この薫り。
魅惑的な薫りで、頭がくらくらする)
「……、本当に危機感が、無い」
「え?」
い、今、何言ったの?
「……、切り終えた野菜を運ぶ」
「あ、ありがとうございます」
(ど、どうして私がお礼を言わないといけないの?
本当に腑に落ちない)
で、買い物を強引に付き合わされて、マンションに連れられて、今から保科さんと一緒に鍋を食べる状況についていけないんだけど。
どうしてこんな展開になっているの。
***
グツグツと鍋の音に食欲が唆られる。
高い食材での鍋、それもメインは牛肉なんて!
(お、美味しそう……)
じーと鍋を見詰める私が可笑しいのか、保科さんが苦笑を漏らす。
この人は私の一挙一動をおもしろがってよく笑う。
外見に似合わず楽しそうに。
「美味しそうだ。
頂こう」
「……」
「どうした?」
「い、いえ、ちょっとこの状況に動揺して。
仮にも雇用主である保科さんと向き合っての食事はどうかと」
「ふふふ」
「なので、帰っても宜しいでしょうか?
一応、食事の支度はしましたので」
(美味しそうだけど、やはりこれはマズイわ、紗雪。
食事は遠慮してこのまま帰ろう)
「……、君が食べないと言うのなら、俺も食べない」
「はああ?」
「君は俺を餓死させるつもり、かな」
(な、なんでそんな展開になるの!
そんな理屈って……)
「君は雇用主を餓死させるんだ」
(や、やだ紗雪。
こ、この人、こ、怖い……。
それに餓死って、い、一食抜いて餓死なんてする訳)
「……」
(だ、駄目だ、紗雪。
この人には勝てない。
無言の圧がこ、怖い。
反論しても無駄な抵抗でしか、無い)
「……、はい、頂きます」
「ふふふ」
(も、もう泣きたい。
な、なんでこんな苦行を強いられるの?
こんなのなら最後まで、花壇の世話を引き受けるのに抵抗すれば……)
でも、それも無駄な抵抗として終わっていたか。
はああ、と心の中で深い溜息を吐き、私は箸を進めた。
***
(締めの雑炊までた、食べてしまった)
ああ、穴があったら入りたい、と自分の食欲を抑える事が出来なかったことに、自己嫌悪に陥っていた。
そんな目の前に、珈琲とケーキが置かれる。
「え?」
「別腹だろう、これは」
大粒のイチゴが、生クリームたっぷりのショートケーキに、それになんて良い香りの珈琲。
ごくん、と自然に喉が鳴る。
こ、こんなの食べた事、無い。
「本当に分かり易いな、紗雪は。
見ていて飽きない」
(え、い、今、何言った?
ひ、人を呼び捨てって、空耳では無いよね。
昨日もだけど、この人って妙に馴れ馴れしいんだけど)
それ以上のツッコミは目の前にあるショートケーキに奪われてしまった。
ああ、魅惑のケーキ。
すーと、フォークで切ると何層にもなって挟んでいるイチゴに瞳が輝いてしまう。口に入れると蕩ける生クリームに思わず笑みが零れる。
ああ、幸せ…。
うっとりと食べる私に注がれる保科さんの視線。
ケーキに夢中になって気付かなかった。
彼が眩しそうに目を細めて見詰めている事に。
優しさを愛しさを込めた視線。
その視線に込められた想いが何を語っているのか、私には知る由も無かった。
自分の身に起きた不運を改めて思う。
職場は常勤からパートに切り替えさせられて(それも自分の意思に関係なく)、補償が損失したと思ったら保科さんから高待遇で雇われて。
それも花壇の世話で、あの時給の高さに思わず眩暈が。
有り得ない展開に逆に怖くなって断りたいと思っても、保科さんの有無を言わせない圧が!
(はああ)
今日何度目かの溜息だろう。
炊事なんて好きとは言い難いのに。
必要最低限にしか考えていないのに、何故、他人の為に食事を作らないといけないの?
異性の、それも雇用主である保科さんに。
あーあ、彼氏なら喜んで作るけど……。
一柳さんにお願いされたら頑張って。
(どうして私の料理なの。
保科さんなんて美味しいモノを沢山たべているのだから、何も私の料理なんて!
それに手料理が食べたいのなら彼女にお願いしたら作ってくれるのでは無いの?
保科さん程の男性なら挙って手料理を振る舞う女性がいるでしょう)
「はああ……」
「そんなに溜息を吐くと幸せが逃げるぞ」
「え?
きゅ、急に何ですか」
背後から心臓に悪い。
あの、低音なバリトンで囁かれたら、こ、腰に。
(あ、この薫り。
魅惑的な薫りで、頭がくらくらする)
「……、本当に危機感が、無い」
「え?」
い、今、何言ったの?
「……、切り終えた野菜を運ぶ」
「あ、ありがとうございます」
(ど、どうして私がお礼を言わないといけないの?
本当に腑に落ちない)
で、買い物を強引に付き合わされて、マンションに連れられて、今から保科さんと一緒に鍋を食べる状況についていけないんだけど。
どうしてこんな展開になっているの。
***
グツグツと鍋の音に食欲が唆られる。
高い食材での鍋、それもメインは牛肉なんて!
(お、美味しそう……)
じーと鍋を見詰める私が可笑しいのか、保科さんが苦笑を漏らす。
この人は私の一挙一動をおもしろがってよく笑う。
外見に似合わず楽しそうに。
「美味しそうだ。
頂こう」
「……」
「どうした?」
「い、いえ、ちょっとこの状況に動揺して。
仮にも雇用主である保科さんと向き合っての食事はどうかと」
「ふふふ」
「なので、帰っても宜しいでしょうか?
一応、食事の支度はしましたので」
(美味しそうだけど、やはりこれはマズイわ、紗雪。
食事は遠慮してこのまま帰ろう)
「……、君が食べないと言うのなら、俺も食べない」
「はああ?」
「君は俺を餓死させるつもり、かな」
(な、なんでそんな展開になるの!
そんな理屈って……)
「君は雇用主を餓死させるんだ」
(や、やだ紗雪。
こ、この人、こ、怖い……。
それに餓死って、い、一食抜いて餓死なんてする訳)
「……」
(だ、駄目だ、紗雪。
この人には勝てない。
無言の圧がこ、怖い。
反論しても無駄な抵抗でしか、無い)
「……、はい、頂きます」
「ふふふ」
(も、もう泣きたい。
な、なんでこんな苦行を強いられるの?
こんなのなら最後まで、花壇の世話を引き受けるのに抵抗すれば……)
でも、それも無駄な抵抗として終わっていたか。
はああ、と心の中で深い溜息を吐き、私は箸を進めた。
***
(締めの雑炊までた、食べてしまった)
ああ、穴があったら入りたい、と自分の食欲を抑える事が出来なかったことに、自己嫌悪に陥っていた。
そんな目の前に、珈琲とケーキが置かれる。
「え?」
「別腹だろう、これは」
大粒のイチゴが、生クリームたっぷりのショートケーキに、それになんて良い香りの珈琲。
ごくん、と自然に喉が鳴る。
こ、こんなの食べた事、無い。
「本当に分かり易いな、紗雪は。
見ていて飽きない」
(え、い、今、何言った?
ひ、人を呼び捨てって、空耳では無いよね。
昨日もだけど、この人って妙に馴れ馴れしいんだけど)
それ以上のツッコミは目の前にあるショートケーキに奪われてしまった。
ああ、魅惑のケーキ。
すーと、フォークで切ると何層にもなって挟んでいるイチゴに瞳が輝いてしまう。口に入れると蕩ける生クリームに思わず笑みが零れる。
ああ、幸せ…。
うっとりと食べる私に注がれる保科さんの視線。
ケーキに夢中になって気付かなかった。
彼が眩しそうに目を細めて見詰めている事に。
優しさを愛しさを込めた視線。
その視線に込められた想いが何を語っているのか、私には知る由も無かった。
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