「貴方に心ときめいて」

華南

文字の大きさ
上 下
50 / 73

閑話5

しおりを挟む
(どうしてこんな展開になっているの?)

自分の身に起きた不運を改めて思う。
職場は常勤からパートに切り替えさせられて(それも自分の意思に関係なく)、補償が損失したと思ったら保科さんから高待遇で雇われて。
それも花壇の世話で、あの時給の高さに思わず眩暈が。
有り得ない展開に逆に怖くなって断りたいと思っても、保科さんの有無を言わせない圧が!

(はああ)

今日何度目かの溜息だろう。
炊事なんて好きとは言い難いのに。
必要最低限にしか考えていないのに、何故、他人の為に食事を作らないといけないの?
異性の、それも雇用主である保科さんに。

あーあ、彼氏なら喜んで作るけど……。
一柳さんにお願いされたら頑張って。

(どうして私の料理なの。
保科さんなんて美味しいモノを沢山たべているのだから、何も私の料理なんて!
それに手料理が食べたいのなら彼女にお願いしたら作ってくれるのでは無いの?
保科さん程の男性なら挙って手料理を振る舞う女性がいるでしょう)

「はああ……」

「そんなに溜息を吐くと幸せが逃げるぞ」

「え?
きゅ、急に何ですか」

背後から心臓に悪い。
あの、低音なバリトンで囁かれたら、こ、腰に。

(あ、この薫り。
魅惑的な薫りで、頭がくらくらする)

「……、本当に危機感が、無い」

「え?」

い、今、何言ったの?

「……、切り終えた野菜を運ぶ」

「あ、ありがとうございます」

(ど、どうして私がお礼を言わないといけないの?
本当に腑に落ちない)

で、買い物を強引に付き合わされて、マンションに連れられて、今から保科さんと一緒に鍋を食べる状況についていけないんだけど。

どうしてこんな展開になっているの。

***

グツグツと鍋の音に食欲が唆られる。
高い食材での鍋、それもメインは牛肉なんて!

(お、美味しそう……)

じーと鍋を見詰める私が可笑しいのか、保科さんが苦笑を漏らす。
この人は私の一挙一動をおもしろがってよく笑う。
外見に似合わず楽しそうに。

「美味しそうだ。
頂こう」

「……」

「どうした?」

「い、いえ、ちょっとこの状況に動揺して。
仮にも雇用主である保科さんと向き合っての食事はどうかと」

「ふふふ」

「なので、帰っても宜しいでしょうか?
一応、食事の支度はしましたので」

(美味しそうだけど、やはりこれはマズイわ、紗雪。
食事は遠慮してこのまま帰ろう)

「……、君が食べないと言うのなら、俺も食べない」

「はああ?」

「君は俺を餓死させるつもり、かな」

(な、なんでそんな展開になるの!
そんな理屈って……)

「君は雇用主を餓死させるんだ」

(や、やだ紗雪。
こ、この人、こ、怖い……。
それに餓死って、い、一食抜いて餓死なんてする訳)

「……」

(だ、駄目だ、紗雪。
この人には勝てない。
無言の圧がこ、怖い。
反論しても無駄な抵抗でしか、無い)

「……、はい、頂きます」

「ふふふ」

(も、もう泣きたい。
な、なんでこんな苦行を強いられるの?
こんなのなら最後まで、花壇の世話を引き受けるのに抵抗すれば……)

でも、それも無駄な抵抗として終わっていたか。

はああ、と心の中で深い溜息を吐き、私は箸を進めた。

***

(締めの雑炊までた、食べてしまった)

ああ、穴があったら入りたい、と自分の食欲を抑える事が出来なかったことに、自己嫌悪に陥っていた。

そんな目の前に、珈琲とケーキが置かれる。

「え?」

「別腹だろう、これは」

大粒のイチゴが、生クリームたっぷりのショートケーキに、それになんて良い香りの珈琲。

ごくん、と自然に喉が鳴る。
こ、こんなの食べた事、無い。

「本当に分かり易いな、は。
見ていて飽きない」

(え、い、今、何言った?
ひ、人を呼び捨てって、空耳では無いよね。
昨日もだけど、この人って妙に馴れ馴れしいんだけど)

それ以上のツッコミは目の前にあるショートケーキに奪われてしまった。
ああ、魅惑のケーキ。

すーと、フォークで切ると何層にもなって挟んでいるイチゴに瞳が輝いてしまう。口に入れると蕩ける生クリームに思わず笑みが零れる。

ああ、幸せ…。
うっとりと食べる私に注がれる保科さんの視線。

ケーキに夢中になって気付かなかった。

彼が眩しそうに目を細めて見詰めている事に。
優しさを愛しさを込めた視線。

その視線に込められた想いが何を語っているのか、私には知る由も無かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない

高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。 王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。 最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。 あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……! 積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ! ※王太子の愛が重いです。

乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う

ひなクラゲ
ファンタジー
 ここは乙女ゲームの世界  悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…  主人公と王子の幸せそうな笑顔で…  でも転生者であるモブは思う  きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…

男女比がおかしい世界にオタクが放り込まれました

かたつむり
恋愛
主人公の本条 まつりはある日目覚めたら男女比が40:1の世界に転生してしまっていた。 「日本」とは似てるようで違う世界。なんてったって私の推しキャラが存在してない。生きていけるのか????私。無理じゃね? 周りの溺愛具合にちょっぴり引きつつ、なんだかんだで楽しく過ごしたが、高校に入学するとそこには前世の推しキャラそっくりの男の子。まじかよやったぜ。 ※この作品の人物および設定は完全フィクションです ※特に内容に影響が無ければサイレント編集しています。 ※一応短編にはしていますがノープランなのでどうなるかわかりません。(2021/8/16 長編に変更しました。) ※処女作ですのでご指摘等頂けると幸いです。 ※作者の好みで出来ておりますのでご都合展開しかないと思われます。ご了承下さい。

記憶を失くした代わりに攻略対象の婚約者だったことを思い出しました

冬野月子
恋愛
ある日目覚めると記憶をなくしていた伯爵令嬢のアレクシア。 家族の事も思い出せず、けれどアレクシアではない別の人物らしき記憶がうっすらと残っている。 過保護な弟と仲が悪かったはずの婚約者に大事にされながら、やがて戻った学園である少女と出会い、ここが前世で遊んでいた「乙女ゲーム」の世界だと思い出し、自分は攻略対象の婚約者でありながらゲームにはほとんど出てこないモブだと知る。 関係のないはずのゲームとの関わり、そして自身への疑問。 記憶と共に隠された真実とは——— ※小説家になろうでも投稿しています。

【完結】ヤンデレ設定の義弟を手塩にかけたら、シスコン大魔法士に育ちました!?

三月よる
恋愛
14歳の誕生日、ピフラは自分が乙女ゲーム「LOVE/HEART(ラブハート)」通称「ラブハ」の悪役である事に気がついた。シナリオ通りなら、ピフラは義弟ガルムの心を病ませ、ヤンデレ化した彼に殺されてしまう運命。生き残りのため、ピフラはガルムのヤンデレ化を防止すべく、彼を手塩にかけて育てる事を決意する。その後、メイドに命を狙われる事件がありながらも、良好な関係を築いてきた2人。 そして10年後。シスコンに育ったガルムに、ピフラは婚活を邪魔されていた。姉離れのためにガルムを結婚させようと、ピフラは相手のヒロインを探すことに。そんなある日、ピフラは謎の美丈夫ウォラクに出会った。彼はガルムと同じ赤い瞳をしていた。そこで「赤目」と「悪魔と黒魔法士」の秘密の相関関係を聞かされる。その秘密が過去のメイド事件と重なり、ピフラはガルムに疑心を抱き始めた。一方、ピフラを監視していたガルムは自分以外の赤目と接触したピフラを監禁して──?

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

処理中です...