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閑話4
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「ごめんなさいね、紗雪ちゃん。
私の所為で迷惑かけたでしょう」
スマホ越しに何度も謝罪する多栄子さんに私は反論もする術を失くしてしまう。多栄子さんが悪い訳では、無い。
誰だって予測の出来ない事態に招かれる事がある。
多栄子さんの母親なら高齢の方と窺えるし、急に入院となれば多栄子さんがお休みを頂く事は、必然的な事。
そこは理解出来るけど、だけど、花壇の手入れを何故私に依頼するかは、どう考えても腑に落ちない。
なんか妙に引っ掛かる。
(な、何だろう。
スッキリしない。
それに保科さんの態度が……)
思い出した途端、ぶるりと身体が震える。
耳朶が熱を帯び自然と指を這わす。
(ここを保科さんに触れられた……)
息を吹きかけられ甘く噛まれて。
(な、何だったのあれは。
あんなの、予測不可能な事態で対処なんて出来ないわよ。
だ、だって私は今まで男の人と恋愛なんて皆無な……)
プレイ中の「貴方に心ときめいて」でも、あんなイベントは発生しない。
親密度が上がっても。
そんな私があんな事をされるなんて。
(保科さん、かあ)
謎に包まれた人としか思えない。
私の働いている会社のビルを含んだあの地一帯の不動産を所有している、桁違いの大金持ちで、正に雲の上の存在で。
自分の周りにはいない男性で、今まで、あんな風に触れられる事も無くて……。
(せ、セクハラだよ、紗雪!
あれはセクハラであって、あってはいけない事態であって)
ぶんぶんと頭を振り、挙動不審な態度を取ってしまう。
悶々と考えてしまって、多栄子さんの話にも気持ちが入らない。
耳を素通りする言葉の羅列。
何を言っているかよく聞き取れなくて、私はいつの間にか多栄子さんとの会話を終えていた。
***
午前中の勤務を終えて昼食を花壇の前にあるベンチに座り、食べていた。
久々にお弁当を持参した。
帰宅して部屋の残骸の後始末をして、買い物した食材で何品かのおかずを作って冷蔵庫に保存した。
窓から見る夕暮れに心が奪われてぼんやりとしていた。
そして、ふっと息を吐く。
(なんか久々だ。
こんなに、ぼーと空を見るなんて)
明日から時間に追われる事が、無くなる。
残業は無くなり定時で帰宅する事が出来るから、家での時間も取れる様になるし、それに給料だって。
保科さんが提示した金額に愕然として私は一瞬、言葉が出なくなった。
(こ、こんな待遇、嘘でしょう?
た、唯のパートにこんな高待遇ってあり得ない)
「どうかしたのか?
ああ、その金額では足りないか」
「え、な、何言ってるのですか!
こ、こんなに頂く事なんて、出来ない」
慌てふためきながら保科さんの言葉を遮る私が可笑しいのか、くすくすと笑い出す。
「俺の所為で君は会社での補償を損失したと言っただろう。
その謝罪を含めての金額だ。
足りなければもっと要求すべきだと思うが」
「……充分の金額です。
これ以上、頂くと逆に仕事を引き受けるのが怖いです」
「ふふふ。
君は本当に面白い女性だね」
揶揄いを含んだ声音に私は心の中でムッとする。
そんなに可笑しいだろうか?
私の反応は世間一般的な常識での範囲だと思うのだけど。
「明日から宜しく頼むよ」
「はい……」
(そう言って引き受けて、ここに来てお弁当を食べて。
花壇の世話と言っても、精々、1、2時間で終わる。
その後は何をしたら良いのだろう?)
「はああ」
「何を溜息を吐いている?」
背後から急に保科さんから声をかけられて、思わずビクリ、と身体を震わす。
急な登場は心臓に悪い。
それも、あの低音なバリトンで耳元で囁かれたら。
(き、昨日の事を思い出してしまう。
保科さんが言った言葉が、あの、行為が……)
きゅんと下腹部に違和感を感じる。
昨日の事を思い出して、身体が反応して。
(わ、わたし、な、何を……。
こ、こんなはしたない)
「い、いえ……」
応える声が小さくなる。
思わず俯いてしまう。
恥かしくて。
そんな私に保科さんがどんな表情をしていたのか分からない。
ただ気付いた時には、私が食べていたお弁当から、卵焼きを摘んで口に入れていた。
「うん、旨いな。
この卵焼きの味加減だけど、俺好みだ」
もぐもぐと食べながら卵焼きの感想を言っている。
余りの展開に私は大きく目を見開き、呆然と事の成り行きを見ている。
(な、何、この人は人のお弁当のおかずを勝手に取って口に入れているの!
や、やめてええええ!)
「ほ、保科さん…」
「よし、花壇の世話は明日にして、今から食材を買いに行こう。
今日の晩ご飯は鍋にして、明日は肉じゃがと味噌汁と」
「な、何を言っているのですか?」
「君に、俺の夕食を作って貰う事だよ。
流石に今日は鍋で手を打つよ。
明日からは」
「ちょ、ちょっと待って下さい。
私は花壇の世話で貴方に雇用されて、炊事の事など契約には」
(あ、あああ、い、言えない。
目の前にほ、保科さんの顔が、顔が……)
「引き受けるよね、久保、さん」
(な、何故に今回に限って苗字で呼ばれる。
怖いんですけど……)
「は、はい……」
「ふふふ、では今から買い物に行こう。
夜は、そうだね。
俺のマンションで一緒に食事をしよう」
「え、ええええ!」
「勿論、君に拒否権は無いよ。
俺は君の雇用主だから」
(ひ、卑怯者。
さ、最後の言葉に協調を入れて私に促すなんて!)
この時、私は保科さんの強引さに辟易していた。
強引で、俺様で、お構いなしに振り回されて。
でもこの時、私は気付かなかった。
この人の孤独を、深い哀しみを。
そして不器用な優しさを。
私はこの時、気付いていなかった。
私の所為で迷惑かけたでしょう」
スマホ越しに何度も謝罪する多栄子さんに私は反論もする術を失くしてしまう。多栄子さんが悪い訳では、無い。
誰だって予測の出来ない事態に招かれる事がある。
多栄子さんの母親なら高齢の方と窺えるし、急に入院となれば多栄子さんがお休みを頂く事は、必然的な事。
そこは理解出来るけど、だけど、花壇の手入れを何故私に依頼するかは、どう考えても腑に落ちない。
なんか妙に引っ掛かる。
(な、何だろう。
スッキリしない。
それに保科さんの態度が……)
思い出した途端、ぶるりと身体が震える。
耳朶が熱を帯び自然と指を這わす。
(ここを保科さんに触れられた……)
息を吹きかけられ甘く噛まれて。
(な、何だったのあれは。
あんなの、予測不可能な事態で対処なんて出来ないわよ。
だ、だって私は今まで男の人と恋愛なんて皆無な……)
プレイ中の「貴方に心ときめいて」でも、あんなイベントは発生しない。
親密度が上がっても。
そんな私があんな事をされるなんて。
(保科さん、かあ)
謎に包まれた人としか思えない。
私の働いている会社のビルを含んだあの地一帯の不動産を所有している、桁違いの大金持ちで、正に雲の上の存在で。
自分の周りにはいない男性で、今まで、あんな風に触れられる事も無くて……。
(せ、セクハラだよ、紗雪!
あれはセクハラであって、あってはいけない事態であって)
ぶんぶんと頭を振り、挙動不審な態度を取ってしまう。
悶々と考えてしまって、多栄子さんの話にも気持ちが入らない。
耳を素通りする言葉の羅列。
何を言っているかよく聞き取れなくて、私はいつの間にか多栄子さんとの会話を終えていた。
***
午前中の勤務を終えて昼食を花壇の前にあるベンチに座り、食べていた。
久々にお弁当を持参した。
帰宅して部屋の残骸の後始末をして、買い物した食材で何品かのおかずを作って冷蔵庫に保存した。
窓から見る夕暮れに心が奪われてぼんやりとしていた。
そして、ふっと息を吐く。
(なんか久々だ。
こんなに、ぼーと空を見るなんて)
明日から時間に追われる事が、無くなる。
残業は無くなり定時で帰宅する事が出来るから、家での時間も取れる様になるし、それに給料だって。
保科さんが提示した金額に愕然として私は一瞬、言葉が出なくなった。
(こ、こんな待遇、嘘でしょう?
た、唯のパートにこんな高待遇ってあり得ない)
「どうかしたのか?
ああ、その金額では足りないか」
「え、な、何言ってるのですか!
こ、こんなに頂く事なんて、出来ない」
慌てふためきながら保科さんの言葉を遮る私が可笑しいのか、くすくすと笑い出す。
「俺の所為で君は会社での補償を損失したと言っただろう。
その謝罪を含めての金額だ。
足りなければもっと要求すべきだと思うが」
「……充分の金額です。
これ以上、頂くと逆に仕事を引き受けるのが怖いです」
「ふふふ。
君は本当に面白い女性だね」
揶揄いを含んだ声音に私は心の中でムッとする。
そんなに可笑しいだろうか?
私の反応は世間一般的な常識での範囲だと思うのだけど。
「明日から宜しく頼むよ」
「はい……」
(そう言って引き受けて、ここに来てお弁当を食べて。
花壇の世話と言っても、精々、1、2時間で終わる。
その後は何をしたら良いのだろう?)
「はああ」
「何を溜息を吐いている?」
背後から急に保科さんから声をかけられて、思わずビクリ、と身体を震わす。
急な登場は心臓に悪い。
それも、あの低音なバリトンで耳元で囁かれたら。
(き、昨日の事を思い出してしまう。
保科さんが言った言葉が、あの、行為が……)
きゅんと下腹部に違和感を感じる。
昨日の事を思い出して、身体が反応して。
(わ、わたし、な、何を……。
こ、こんなはしたない)
「い、いえ……」
応える声が小さくなる。
思わず俯いてしまう。
恥かしくて。
そんな私に保科さんがどんな表情をしていたのか分からない。
ただ気付いた時には、私が食べていたお弁当から、卵焼きを摘んで口に入れていた。
「うん、旨いな。
この卵焼きの味加減だけど、俺好みだ」
もぐもぐと食べながら卵焼きの感想を言っている。
余りの展開に私は大きく目を見開き、呆然と事の成り行きを見ている。
(な、何、この人は人のお弁当のおかずを勝手に取って口に入れているの!
や、やめてええええ!)
「ほ、保科さん…」
「よし、花壇の世話は明日にして、今から食材を買いに行こう。
今日の晩ご飯は鍋にして、明日は肉じゃがと味噌汁と」
「な、何を言っているのですか?」
「君に、俺の夕食を作って貰う事だよ。
流石に今日は鍋で手を打つよ。
明日からは」
「ちょ、ちょっと待って下さい。
私は花壇の世話で貴方に雇用されて、炊事の事など契約には」
(あ、あああ、い、言えない。
目の前にほ、保科さんの顔が、顔が……)
「引き受けるよね、久保、さん」
(な、何故に今回に限って苗字で呼ばれる。
怖いんですけど……)
「は、はい……」
「ふふふ、では今から買い物に行こう。
夜は、そうだね。
俺のマンションで一緒に食事をしよう」
「え、ええええ!」
「勿論、君に拒否権は無いよ。
俺は君の雇用主だから」
(ひ、卑怯者。
さ、最後の言葉に協調を入れて私に促すなんて!)
この時、私は保科さんの強引さに辟易していた。
強引で、俺様で、お構いなしに振り回されて。
でもこの時、私は気付かなかった。
この人の孤独を、深い哀しみを。
そして不器用な優しさを。
私はこの時、気付いていなかった。
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