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茜色のいたずら 本編
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「うひゃあ、やばいやばい」
学校帰り、ぶらぶらと道を歩いていると急に滝のような雨が降って来た。通学カバンを頭に乗せたが、とてもじゃないが間に合わない。
おれとエツローは、咄嗟に近くに見えた公園の屋根付きベンチの下へと避難した。
「今日一日、晴れるって言ってたのになぁ」
「夏場ですからねぇ」
おれとエツローは、それぞれカバンや制服の水気を落としながら愚痴をこぼす。エツローがハンカチを持ってないようなので貸してやると、予想以上にびっちょりと濡れて返ってきた。この男、遠慮というものが無い。
ふと見ると、屋根の下には先客がいた。目の細っこい、こげ茶色の服を着たばあちゃんだ。こっちに気付いているのかいないのか、公園の向こうを黙ってぼーっと見つめている。
まさかと思うが、幽霊という訳ではあるまい。
「見ろよ」
やっと一息ついたところで、エツローが空の彼方を指差して言った。
「狐の嫁入りだ」
見れば、遠くの空は真っ赤な夕焼けだった。キラキラとしていて美しい。なのにおれたちの耳にはゴロゴロと雷の音が聞こえていて、今もなお突発的豪雨の中に閉じ込められている。
天気雨特有の現実か幻想か分からない光景を、狐に化かされているのではと疑った人々が、かつて『狐の嫁入り』と名付けたという。
エツローは学校の成績は正直あまり宜しくないのに、時々こういう乙な表現を知っている。ここらの地元育ちだからだろうか?
このあたりは昔ながらの里山が多く、未だに夜になると狐や狸に出くわすという。エツローは以前、狐に顔見知りがいるなどとテキトーなことをほざいた事があるが、土地柄を考えればいても不思議じゃないと思わせる、変な説得力みたいなものがあった。
「この前はどーもー」
先客のばあちゃんが、不意に声を発した。喋れたのか?
おれが失礼なことを思っていると、見知らぬばあちゃんはどうやらエツローを見てニコニコしていた。なんだ、とおれはすっかり安心した。知り合いだったようだ。
「こないだのアレは、上手くいったのかい?」
「ボチボチです!」
「それは良かったねぇ。うちのコレは、相変わらずの出来で……」
「お察しいたします!」
……こいつ、さっきからテキトーに返事してないか?
おれは漠然と、ふたりの関係性が気になった。大体、アレとかコレとか一体何のことか全く分からない。よく会話が成立しているな。
と、ばあちゃんが今度はおれの方をのぞき込むようにして笑んだ。
「どうか、諦めずに頑張るんだよぉ」
「アッハイ、善処します!」
前言撤回。テキトーなのはどうやらおれも同じようだ。
エツローと普段から一緒にいるためか、どうも変な性格が伝染してしまっている。
それにしても善処って、一体何をどう善処するのやら。言ったおれ自身が一番よく分からないでいたが、ばあちゃんの中ではどうやら納得されているらしく、ウンウン頷かれている。
そも、彼女が誰かすら分かっていないとは、言い出せそうにない状況だった。
「ああ、ほら見て。もう雨が上がってきた」
流れ落ちる滝の如き大雨は、わずかな時間の内に蛇口を半開きにしたときのシャワー程度の勢いまで弱まっていた。急に襲ってきておいて、飽きたらあっという間に行ってしまう。夏のにわか雨にありがちな顛末だ。
とはいえ、まだ少し物足りないのか、遠くではゴロゴロ音が鳴っている。
まばゆい夕陽の光景とセットだから、何だか本当に化かされているかのようだった。
空間に充満するべったりと粘つく様なにおいが、短時間に洗い流され一転してカラッと透き通った時のこの気持ちよさが、おれは昔からとても好きだった。
「頃合いが良さそうだし、あたしゃこの辺で失礼するよ」
ばあちゃんが元々細い目をより一層細めて、どっこいしょと立ち上がる。このぐらいの雨脚ならば、確かに傘無しで歩いて行ってもあまり問題はなさそうだ。
こうして彼女はおれたちに手を振ると、公園を出て何処へともなく去っていった。
「おれたちもそろそろ行くか」
「あ、その前にひとついい?」
エツローが急に大真面目な顔をして訊ねてくるので、おれはキョトンとなった。
「さっきの人って、お知り合い?」
「…………は!?」
おれは一瞬、自分の耳を疑った。
「待って、そっちの知り合いじゃなかったの?」
「最初、きみんちの母ちゃんかと思ったけど、考えたらもっと声高かったよなーと思って」
「いやそれ以前に、あそこまで老けてねーわ!」
むしろおれの母親は、年の割に外見が若いと言われるぐらいだ。
「だよねぇ。いや、変だなとは思ったんだけど、せっかく話しかけてきてくれたのに、冷たくするのも如何なもんかなーと思って」
「いやいやいやいや……」
おれは全力で腕を振って否定した。思えばよく会話が成り立っていたものだ。
彼女の去った方を今一度見るが、もうとっくに姿は見えなかった。そちらには里山の裾野が広がっているだけである。生い茂る木々は、夕陽と雨粒に彩られてよく煌めいていた。
「じゃあ結局誰なんだよ、さっきのばあちゃん!?」
「さあ……」
「さあっておまえ」
エツローが困惑顔をしていたが、どちらかといえば困っているのはおれの方である。
その時おれはふと、コーンコーンという笑い声を聞いた気がした。
まるで小動物を思わせるその声は、まさかというおれの疑念と共に、赤銅色の濡れた大地と木々に、吸い込まれる様にして消えていったのであった。
(おわり)
学校帰り、ぶらぶらと道を歩いていると急に滝のような雨が降って来た。通学カバンを頭に乗せたが、とてもじゃないが間に合わない。
おれとエツローは、咄嗟に近くに見えた公園の屋根付きベンチの下へと避難した。
「今日一日、晴れるって言ってたのになぁ」
「夏場ですからねぇ」
おれとエツローは、それぞれカバンや制服の水気を落としながら愚痴をこぼす。エツローがハンカチを持ってないようなので貸してやると、予想以上にびっちょりと濡れて返ってきた。この男、遠慮というものが無い。
ふと見ると、屋根の下には先客がいた。目の細っこい、こげ茶色の服を着たばあちゃんだ。こっちに気付いているのかいないのか、公園の向こうを黙ってぼーっと見つめている。
まさかと思うが、幽霊という訳ではあるまい。
「見ろよ」
やっと一息ついたところで、エツローが空の彼方を指差して言った。
「狐の嫁入りだ」
見れば、遠くの空は真っ赤な夕焼けだった。キラキラとしていて美しい。なのにおれたちの耳にはゴロゴロと雷の音が聞こえていて、今もなお突発的豪雨の中に閉じ込められている。
天気雨特有の現実か幻想か分からない光景を、狐に化かされているのではと疑った人々が、かつて『狐の嫁入り』と名付けたという。
エツローは学校の成績は正直あまり宜しくないのに、時々こういう乙な表現を知っている。ここらの地元育ちだからだろうか?
このあたりは昔ながらの里山が多く、未だに夜になると狐や狸に出くわすという。エツローは以前、狐に顔見知りがいるなどとテキトーなことをほざいた事があるが、土地柄を考えればいても不思議じゃないと思わせる、変な説得力みたいなものがあった。
「この前はどーもー」
先客のばあちゃんが、不意に声を発した。喋れたのか?
おれが失礼なことを思っていると、見知らぬばあちゃんはどうやらエツローを見てニコニコしていた。なんだ、とおれはすっかり安心した。知り合いだったようだ。
「こないだのアレは、上手くいったのかい?」
「ボチボチです!」
「それは良かったねぇ。うちのコレは、相変わらずの出来で……」
「お察しいたします!」
……こいつ、さっきからテキトーに返事してないか?
おれは漠然と、ふたりの関係性が気になった。大体、アレとかコレとか一体何のことか全く分からない。よく会話が成立しているな。
と、ばあちゃんが今度はおれの方をのぞき込むようにして笑んだ。
「どうか、諦めずに頑張るんだよぉ」
「アッハイ、善処します!」
前言撤回。テキトーなのはどうやらおれも同じようだ。
エツローと普段から一緒にいるためか、どうも変な性格が伝染してしまっている。
それにしても善処って、一体何をどう善処するのやら。言ったおれ自身が一番よく分からないでいたが、ばあちゃんの中ではどうやら納得されているらしく、ウンウン頷かれている。
そも、彼女が誰かすら分かっていないとは、言い出せそうにない状況だった。
「ああ、ほら見て。もう雨が上がってきた」
流れ落ちる滝の如き大雨は、わずかな時間の内に蛇口を半開きにしたときのシャワー程度の勢いまで弱まっていた。急に襲ってきておいて、飽きたらあっという間に行ってしまう。夏のにわか雨にありがちな顛末だ。
とはいえ、まだ少し物足りないのか、遠くではゴロゴロ音が鳴っている。
まばゆい夕陽の光景とセットだから、何だか本当に化かされているかのようだった。
空間に充満するべったりと粘つく様なにおいが、短時間に洗い流され一転してカラッと透き通った時のこの気持ちよさが、おれは昔からとても好きだった。
「頃合いが良さそうだし、あたしゃこの辺で失礼するよ」
ばあちゃんが元々細い目をより一層細めて、どっこいしょと立ち上がる。このぐらいの雨脚ならば、確かに傘無しで歩いて行ってもあまり問題はなさそうだ。
こうして彼女はおれたちに手を振ると、公園を出て何処へともなく去っていった。
「おれたちもそろそろ行くか」
「あ、その前にひとついい?」
エツローが急に大真面目な顔をして訊ねてくるので、おれはキョトンとなった。
「さっきの人って、お知り合い?」
「…………は!?」
おれは一瞬、自分の耳を疑った。
「待って、そっちの知り合いじゃなかったの?」
「最初、きみんちの母ちゃんかと思ったけど、考えたらもっと声高かったよなーと思って」
「いやそれ以前に、あそこまで老けてねーわ!」
むしろおれの母親は、年の割に外見が若いと言われるぐらいだ。
「だよねぇ。いや、変だなとは思ったんだけど、せっかく話しかけてきてくれたのに、冷たくするのも如何なもんかなーと思って」
「いやいやいやいや……」
おれは全力で腕を振って否定した。思えばよく会話が成り立っていたものだ。
彼女の去った方を今一度見るが、もうとっくに姿は見えなかった。そちらには里山の裾野が広がっているだけである。生い茂る木々は、夕陽と雨粒に彩られてよく煌めいていた。
「じゃあ結局誰なんだよ、さっきのばあちゃん!?」
「さあ……」
「さあっておまえ」
エツローが困惑顔をしていたが、どちらかといえば困っているのはおれの方である。
その時おれはふと、コーンコーンという笑い声を聞いた気がした。
まるで小動物を思わせるその声は、まさかというおれの疑念と共に、赤銅色の濡れた大地と木々に、吸い込まれる様にして消えていったのであった。
(おわり)
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