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第1話 遠雷

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 殆んど黒に近い、灰色の空が広がっていた。
 閑静な住宅街に隣接した小さな児童公園の真ん中で、日村曜ひむらようは真剣なまなざしで少女と向き合っていた。頭ひとつ分背の高い、紺のセーラー服を着た可憐な少女――雨宮来海あまみやくるみの瞳の中に、音もなく自分自身が吸い込まれていくような気持ちがする。

 来海が曜の腕をつかんでじっと彼の顔を覗き込んでくる。影の部分に両肩から三つ編みのツインテールが落下してきて振り子のように揺れ、ふたりの吐息をかき乱す。曜の顔に届く少女の息は、生暖かくてこそばゆかった。

「曜くん」
 来海が意を決したように言った。
「わたし、曜くんが食べたい」
 曜は思わず息をのんだ。

「曜くん、わたし……やっぱり変だよね……」
「ううん」
 曜は水晶のような目をしながら、世界にたったひとりの大切な少女を安心させたくて、そっと首を横に振ってみせた。彼の瞳は、微かにうるんでいた。
「ぼく、来海姉ちゃんが大好きだよ」

 来海の頬にツウッと一筋のしずくが伝い落ちていった。少女が目を伏せたまま少しの間黙り込む。その両手が微かに震えていることに、曜は遅れて気が付く。彼女の手に自分の手をそっと重ねながら、曜は静かに問うた。

「……来海姉ちゃん、ギュッとしてもいい?」
 答えの代わりに、来海の腕が曜の身体を半ば強引に彼女の元へ抱き寄せた。柔らかく、ほのかに暖かいものが頭と身体を包み込む。耳の奥にドクンドクンと今にも爆発しそうな鼓動が直接響いてくる。曜の心臓の音が、来海のそれと次第に同調していくのが自分でも分かった。曜はそっと、来海の背中に手をまわしていた。

「……ありがとう、曜くん。わたしも大好きだよ」
 来海の手が曜の両頬に触れる。彼の顔がそっと持ち上げられると、少年と少女にはもうお互いの瞳以外は映っていなかった。

「曜くんに会えて、嬉しかった」
 んむ、と来海のくちびるが曜のくちびるを押し塞ぐ。一瞬、曜の息が止まった。

 瞬きする間に、味わったことのない柔らかさと温もりと、ねばっとした感触とが意識を真っ白に溶かしていった。全身の血液が逆流を起こし、やがては心臓の音が一秒のズレもなく共鳴し合うと共に、体温すらもが混じり合っていった。
 消えていく意識の中で、曜は何処か遠くで季節外れの雷が鳴るのを聞いた気がした。

 少年はその日、少女に食べられてひとつになった――。
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