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09 真っ暗闇

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 夜が来た。

 私が部屋を訪れると、アナは相変わらず机に噛り付くようにして研究に没頭していた。壁にあるカバラ図形には注釈のメモ書きが以前の倍ぐらいに増えている。研究が進んでいる様子で何よりであると私は思った。

「メイ……?」

 こちらに遅れて気付いた彼女が、目元を擦るように私を振り向く。泣いていた訳ではなく、目の酷使による疲れだろう。私の格好を認識するのに、今度は彼女が目を瞬かせていた。
 私はアナに貰った服から、標準のメイド服姿に戻っていた。

「……そうなのです、もうすぐ契約更新なのです。集中し過ぎて、すっかり忘れてたのです」
 私は、眠気を押して立ち上がろうとする彼女を手で制した。

「楽にして下さって構いません、アナ。……研究は進んでいますか?」
「もうちょっとで、『不滅の魔法』の手掛かりが掴めそうなのです。メイのお陰なのです」

「そうですか。お役に立てたようで光栄です」
「完成した時には、メイには特別に一番に見せてあげるのです」
「いえ、それはおそらく不可能と思われます」

 得意げに笑んでいたアナの顔が、一転して不安を湛えた色に染まる。
「……メイ?」
「私はこれ以上、契約を更新しません」

 立ち上がった拍子にアナの机にあったコップが床に叩きつけられ、鋭い音を立てて砕ける。アナはまるで、奇襲攻撃に遭ったかのような顔をしていた。

「待ってほしいのです、メイ」
「本日まで大変お世話になりました。つきましては、当初の契約通り」
「お願い、待って」
「私の破壊をお願いします」
「……待ってって言ってるのですっ!」

 怒りと悲鳴の入り混じった様な、金切り声にも近い叫び。私は言われた通り押し黙った。
 小さな少女が、更に小さく縮こまって震えていた。

「なんで……どうして急にそんなこと言い出すのです……? 昼間はずっと普通にしてたのに……わたし、何かしてしまったのです……?」

「アナは今日、私との関係を姉妹と誤解されても、訂正しませんでした」
 一度そう言ってから、私はアナの表情を見て、念のためにつけ加える。

「……不快だった訳ではありません。しかし私が契約を延長し続けていたのは、アナが何故私の失敗を責めずに感謝を表明したのか、理由が知りたかったからです。そして、それはアナが私に家族の代わりを求めているからなのだと分かりました。私とアナの契約は、主人と使い魔です。家族の代行は、含まれていません」

「…………そんな言い方ってないのです」
「私は、曖昧なものが苦手です。不明瞭な基準で何かをする訳にいきません」

 私は言葉を区切った上で、目の前の主人を見た。私なりの誠意の証だった。
「……申し訳ありません、アナ」
「今更、破壊するなんて出来ないのです」
 アナは目を伏せる様に、しかし今度こそ明確な声音で自らの意思を告げてきた。

「理由なんて何でもいいのです……わたし、メイと一緒にいたい」
「それは契約違反です」
「それでも、嫌なのですっ!」
「何故ですか」
 再び金切り声を上げ始めたアナを、私は直視する。今度は責めるように。

「私を、心のない機械人形だと言ったメイが、何故私に使い魔以上の関係を求めるのですか」
「そんなの……そんなの分からないのです!」
 アナは言った。

「自分じゃ分からないこと、分かっていても言いたくないことだって、あるのです。そんなに何でもハッキリとは答えられないのです!」
「それでは話になりません。契約以前の問題です」
「……じゃあメイはどうなのです!」

 アナが今度こそ、私を真っ向から睨みつける様に言った。彼女の目の端には既に涙が滲んでいて、それを見て困惑と動揺とを覚えている自分に私は気が付いた。
 そんな彼女を見たくないとも思った。

「そんなに自分を壊したい理由がわたし分からないのです! ううん……それ以外も全部なのです。メイが何を考えてるのか、わたしこれっぽっちも分からないのです。メイは自分のこと何にもわたしに話してくれないのです!」

 私の中で、アナの言葉がループし始める。

 何故自分を破壊したい? ただ、目覚めてからずっとそれ以外が思いつかないだけだ。何故それ以外思いつかない? 出来損ないだからだ。出来損ないの私は曖昧な判断では動けない。何故理由も分からないのに自分の破壊など願った?

 私は堂々巡りに陥っていた。

「みんな……みんな……いなくなってしまうのです」
 何処か遠くの方からアナの声が聞こえる。

「仲良くなってもみんな、簡単に死んでしまって……わたし、もうそんなのは嫌なのです……もう誰も、わたしの目の前で死んでほしくなんてないのです……」

 誰も死んでほしくない。それが彼女の行動理由。
 では私は? 私は何故……?

 私は真っ暗闇の中に沈んだ。



 冷え切った真っ暗闇の中で、私は考えていた。
 言われた通りにしただけなのに、何故これ程に私は怒りを買うのかと。答えは出なかった。考えて、考えて、考え続けても分からず、だが同時に私はひとつだけ理解した。

 私は曖昧なものが苦手だ。人間にそのことを何度伝えたか分からない。だがその度に人間は普通とか、気持ちとか、心とか、神とか、ひたすら曖昧なものの押しつけに夢中になり、私の頭脳をより圧迫して苦しめ続けてくる。私の頭脳は最早限界を迎えていた。

 私は疲れていたのだ――。
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