逍遙の殺人鬼

こあら

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車の後部座席と言うのは、私が寝そべるには十分な広さだった
本来座るべき所なのだが、今は寝ている
いや、押し倒されている

「怖がらないんだな」って冷たい目で私を見ているのに、どことなく声は優しげだった

"怖い"とは思わなかった
むしろそれを望んでいたのかもと思っている自分がいた
何の迷いもなく私にキスするジャンさんに、抗うなんて選択肢は浮かんでこなかった
不思議だと思った
でも、嫌だとは思わなかった

両手首を押し付けるみたいに掴まれているけど、そんな事しなくても抵抗なんてする気はない
何だかいつもと違うと感じてはいた
けれど、わざわざいつもの自分に戻る必要性を見出だせずにいる

「んぁ…」

「もっと口開けろよ」

甘い、痺れるような声だけが頭に響いた









今までだったら嫌がっていたと思う
だって、付き合ってもいないのにキスするとか変だし、おかしいって思ってた
なのに……今は、そうは思わない
違う、思う余裕がないんだ

嫌とかダメとか、そんな物どこかに行ってしまった
今もし、両手首を拘束されていなかったら、私はきっとジャンさんを受け入れるために彼の背中に腕を回していただろうな

合わさる唇と唇の感触、今にも窒息してしまいそうに激しくそして熱く這う舌に私はなされるがまま
何故だか分からない程、体が熱くて、まるで風邪にかかったみたいだった
私らしくない
でもやめられなかった

「っはぁ…。ジャンさん…」

「なに」

「手首…痛い」

過呼吸気味の私は、か細い声で言った
ジャンさんはグッと押し付けていた手を退けてくれた
そして、少し距離を取って上から私を見下ろしている

影で見にくくなってしまったジャンさんの顔は不鮮明で、思わず手を伸ばしてしまう
指先に触れた柔らかな感触はきっと彼の唇で、その触り心地に魅入られてなぞった

艶かしいその唇に先ほどまで口付けされていたなんて信じられない程、弾力とハリがあった
でもジャンさんはその動きを封じ込めるように手を掴んで「煽んな」って言って、私を引っ張った
もちろん力が抜けている私は、簡単に体を起こされ瞬間的に彼にもたれかかった

ふわっと香るのはジャンさんの匂い
同じシャンプーを使ったはずなのに、同じボディーソープで洗ったはずなのに全然違う匂いに感じた
ずっと嗅いでいたいくらいいい匂いだ

「…アツい……」(すごくアツい。)

「っおい…」

「ジャンさんはアツくないんですか…?」

身体全身が焼けるように熱い
上着を脱いでも全然涼しくはならないし、頭がぼんやりする
目も霞むし、息苦しい

Yシャツを脱ごうとボタンに手をかけた時、大きな手がそれを阻んだ
「あんた、すげぇ汗だぞ」って私に言うけど、私も熱いって言ってるじゃん
もう目の前に居るジャンさんの姿も見えなくなってきた

「ジャンさん…?どこ?」

「おい。目の前に居んだろ」

「見えない…見えないですよ、ジャンさん。意地悪しないでください」

「おい!目閉じんな!」

(私、目閉じてなんか……)

でも、目の前は真っ暗だ
すぐそばに居たはずのジャンさんの声も遠くに聞こえる

(あぁ、やっぱり私は置いてきぼりにされちゃったんだな…)

すごく、すごく悲しい海に投げ飛ばされたみたいに沈んでしまった私は、上に上がれずに下に下に落ちて行く
水圧で動きは制限され、もがいてももがいてもそこは海の底だった
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