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第五章 うそつき
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「なんで、あんなひとたちを連れてきたんです!」
「おまえだって、流れ者をくわえこんだじゃないかッ!」
夫婦の罵りあいを権兵衛は背中で聞いていた。
濡れ縁に腰掛け、所在なげに足をぶらぶらさせていると、
「おじちゃんヒマ? 羽子板しない?」
ハナが右手に羽子と突き板を抱えてやってきた。もう片方の手には墨汁と筆がある。
「ああ、いいよ。やろうか」
濡れ縁から降りて相手をしてやる。
夫婦の話し声はいつしか聞こえなくなっていた。
ハナを相手に羽子板遊びをしていると、権兵衛の脳裏になぜか花津の姿が浮かんだ。
花津と夫婦になっていれば、いまごろはこのぐらいの娘ができていたはずだ。
……そう思うと遊びに集中できず、権兵衛は羽子をぽろぽろと突き落とした。
「おじちゃん、ヘタだなあ」
羽子を突き損なうたび、ハナが墨をたっぷりと含ませた筆を持って駆け寄ってくる。権兵衛の顔はたちまち真っ黒になった。
「正月でもないのに羽子板か」
突然、横あいから声が響いてきた。
振り向くと、例の用心棒三人組がにやにやと懐手をして突っ立っている。
「なんだおぬし、そのツラは」
「まったく、みられたもんじゃないぞ」
塚田と岩尾の嘲りに、ハナが嫌悪の表情をあらわにして権兵衛の背中に隠れる。
「どうだ小娘。おれたちともっといいことして遊ばないか?」
塚田と岩尾が権兵衛の背中に隠れたハナに向かってにじりよる。
「やめろ」
権兵衛が鍔元に手をかけ低い声でいった。
「やるか、面白い」
「相手をしてやるぞ」
塚田と岩尾も異口同音に鍔元に手をやる。
「よせ」
梶木源内が静かに制した。
「ゆくぞ」
梶木がやはり一同の頭目株のようだ。玄関にまわった梶木の背中を塚田と岩尾がぞろぞろとついてゆく。権兵衛に剣呑な視線を残して。
「おじちゃん……」
不安と心配の入り交じった目でハナが権兵衛をみあげている。
「遊びは終わりだ。あいつらが出てゆくまで奥の部屋に隠れているんだ」
「うん」
うなずくとハナは、羽子板一式を抱えて庭の奥に走った。
「おまえさんたち、なんてことを!」
今度は太兵衛の難詰する声が響いてきた。
どうやら昨夜の一件で用心棒たちは呼び出されたらしい。
2
夜が更けた。
時刻は亥の刻を一刻ほど過ぎたころだろうか。権兵衛はあてがわれた離れ家の寝室で眠れぬ夜を過ごしていた。
同宿の用心棒三人組はまだもどってきてはいない。
太兵衛が、遊ぶなら遊里でといって用心棒たちに新たにカネを握らせたようだ。いまごろは酒と女を楽しんでいる最中だろう。
「はあ……」
権兵衛はため息をついて寝返りを打った。
……おれはなんでこの村にいるのだろう。
用心棒になってくれと正式に頼まれたわけでもない。
――村をでてゆけ。いますぐ、その足でだ。
脳裏に何度も里嶋庄八郎の忠告がよみがえる。
まさか、虎造の側に里嶋がいるとは思わなかった。かつては浅利道場の次席師範代をも務めたほどの凄腕の剣客だ。立ち合えば必ずどちらかが命を落とすだろう。
(いっそ、忠告に従うか)
――と、思わないでもない。権兵衛に村を守る義務も義理もない。
口縄の拓蔵を斬って事態をややこしくした責任はあるものの、先に刀を抜いたのは向こうだ、権兵衛はやむなく身を守ったにすぎない。
剣の道を捨て、医の道もあきらめた権兵衛はそのとき、胸に固く誓ったものがあった。
――これからは刹那に生きる。
こだわりをもたない。しがらみに捕らわれない自由な生き方。それが権兵衛の処世訓となった。
だからいい女をみれば、その場で裾を高くまくりあげて精を放った。あとのことは考えない。後先を考えるからひとは不自由に陥るのだ。
だが……それでいいのか、と心の声がささやく。答えを持たぬ心の声がしきりと胸の中を騒がしている。
「くそっ」
権兵衛は掛具を跳ねあげ、半身を起こした。
すると――
「眠れないの?」
闇の中から声がした。
3
権兵衛は目を凝らしてみた。
部屋の隅の暗がりに妙が端座している。
「妙…どの……」
「ここを出ていこうか迷ってるのね」
妙は権兵衛の胸の内を見抜いていた。
「まあ……な」
ごまかしてもしょうがない。権兵衛は正直にこたえた。
「ここにいてください」
妙は改まった言い方をした。そのまま膝をすすめ、権兵衛の枕元に白い紙包みを置く。
開いてみると小判が五枚あった。
「いまはそれだけしか用意できないけど……」
「虎造の身内は五十人はくだらぬそうだ」
気賀での縄張り争いに勝って、虎造は預かっていた口縄一家の乾分たちをそっくりそのまま吸収した。かつての拓蔵をも凌ぐほどの大勢力を築いている。
「ですから……」
「おれに死ねというのか?」
権兵衛は妙の言葉を遮っていった。
「いかにおれの腕が立つといっても五十人を一度に相手はできぬ。いま、ヤツらが数を頼んで襲ってきたらどうすることもできんだろう」
「…………」
妙が押し黙った。
月が雲間からでたようだ。障子越しにほのかに明かりがさした。
「!…………」
権兵衛は妙の顔をみた。左目のふちにアザがある。
「……亭主に殴られたんだな」
妙が顔をうつむけた。
「それでも村や家を守りたいのか?」
妙がこくりとうなずく。
「あたしは没落した商家の出なんです。掛川では有名な大店の娘だった。でも、おとっつあんが米相場に失敗して……」
一家離散というわけであった。売られるようにして辰澤村に嫁いできた……と妙は語る。
「だからもうこれ以上、自分の居場所を、家族を失いたくないの」
妙が膝の上で両拳をそろえ、ぎゅっと握りしめる。あまりにも強く握りしめたせいか親指の爪が血の気を失っている。
「これで足りないっていうんなら……」
妙が顔をあげた。頬に一筋光るものがある。
「……何度でもあたしを好きにしていいから」
「…………」
権兵衛が黙っていると、やにわに妙が立ちあがった。
帯に手をかけ、しゅるしゅるときぬ擦れの音をたてる。
顔をあげると妙は着物を脱ぎ捨て全裸になっていた。
淡い月光が妙の裸身を青く染めあげている。
「もう、いい」
権兵衛は妙から視線をそらしていった。
「どうして? あたしを抱きたいんでしょ」
「…………」
「色の道に生きるって決めたんじゃなかったの?」
「……なにかと引き換えにするのは、おれの道じゃない」
「うそつき」
ぞっとするような冷えた罵声であった。権兵衛は妙と視線をあわせることができない。
――と、そのときだ、火の見櫓の方向から半鐘の音が響いてきた。
「火事か?!」
すぐさま枕元の大刀をひっつかむ。裸の妙をその場に残して、権兵衛は外に飛び出してゆくのであった。
4
火の見櫓に上がらずとも、高台からその炎の列は見渡せた。
松明を手にした数十人のものたちが列を為し、まっすぐ辰澤村目指して坂をのぼってくる。
「ヤツら、この村を焼き払うつもりだ!」
櫓の土台に駆けつけた村人のひとりが叫んだ。
「虎造の一味にちげえねえ!」
「お侍さん、なんとかしてくんろ!」
村人たちが権兵衛の姿をみつけて駆け寄ってくる。
「ご、権兵衛さん、大変だッ!」
その群れのなかに交じって太兵衛の声が響いてきた。
権兵衛が目をやると、息子の太一郎を肩で支えた太兵衛の姿がある。
「太兵衛どの、太一郎どのになにが?」
「あの用心棒どもじゃ。ヤツら、松明の明かりをみたとたん、わしらが止めるのも聞かず、逃げ去っていきよった」
太一郎が腹を押さえて顔をしかめている。逃げ出そうとする用心棒の前に立ち塞がって殴りつけられたらしい。
「あの三人組を連れ戻してきてくださらんか?」
太兵衛が権兵衛に向かって懇願した。三人組は出で湯のある祠の裏山を駆け登っていったという。
だが、連れ戻してどうなるというのだろう。ヤツらはいざとなれば三十六計を決め込むつもりでいたに違いない。最初から戦う気などなかったのだ。
「おじちゃん、あたし近道を知ってる!」
ハナもやってきて権兵衛の袖をつかむ。
「回り道できるよ、ついてきて!」
ハナが勝手に駆け出した。
「おい、ハナ、待て!」
権兵衛がハナの背中を追う。
見張り番が半鐘を乱打する。
炎の列は村のすぐそばまで迫っていた。
最終章につづく
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