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第四章 いんねん

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                    1

「里嶋……さん……」

  思わぬところで……と、いいかけて権兵衛は口をつぐんだ。
  ――虎造には例の凄腕の用心棒がついていますので……。
  太兵衛の言葉が脳裏に甦る。凄腕の用心棒とはもしや……!

「おぬしがここにいるということは……なるほど、そういうことか……」

  里嶋も思い当たる節があるようだ。おでん屋のオヤジの顔をちらり、横目でみやると、

「河岸を変えようか」

  まだ一杯も呑んでもいないのに、南鐐(二朱銀)を一枚、仕切り台の板の上に放り投げて腰をあげた。


  人けのない松並木の土手道で二人は向かい合っていた。
  東の空に満月が浮かび、眼下を流れる川面にきらきらと映えている。
  場所を移しはしたものの、さてなにから切り出せばいいのか。権兵衛と里嶋は互いに言葉を探りあぐね、沈黙を重ねるばかりだ。

「松戸の道場だが……」

  積もった重い空気を振り払うように里嶋が口を開いた。

「周作は花津かつさんと一緒に道場をでていった」

「花津どのと……!?」

  思わず動揺が顔や態度にでてしまっている。権兵衛はあわてて里嶋から顔を背け、川面に視線を移した。

「おぬし、いまでも花津さんのことを……」

  花津はお世話になった浅利又七郎のひとり娘だ。権兵衛は花津を巡って周作と剣と恋の火花を散らしたことがある。

「オレはてっきり周作が浅利道場を継ぐものと……」

  意外であった。確か正式に婚姻して、婿養子の座に納まったのではなかったか?

「一流を起こしたのだ。北辰一刀流の看板を掲げ、名も千葉周作とあらため、神田に道場を構えている」

  そうだったのか……。独立の噂は道場にいるときから囁かれていた。
  周作ほどの男が婿養子の座にいつまでもちんまり納まっているわけがない。
  権兵衛は何度挑んでも周作から一本を奪うことができなかった。権兵衛も道場では里嶋と肩を並べるほどの業前の持ち主だというのに……。

「里嶋さんはなにゆえこんなところに……」

「流れてきたか……と、聞きたいのか?」

  フッと鼻で笑って里嶋が自嘲気味にいう。

「おぬしと同じさ。オレも千葉周作に敗れた」

「野試合でもして負けたのですか?」

「そんなバカなことをするものか。オレも自流派を神田に開いたのだが、折あしく周作の道場が品川から隣に移ってきた。門弟をごっそりもぎとられ、たちまち立ち行かなくなったという次第だ」

「…………」

  権兵衛は剣才で、里嶋は道場経営で負けたということか。

「積もり積もった借財がどうにもならず、オレは江戸を売った。いまではこの街道と宿場を仕切るヤクザの用心棒だ」

  やはり、里嶋は黒鉄の虎造に買われた用心棒だったのだ。里嶋も権兵衛が辰澤村に味方するものと見当をつけているに違いない。だから、人けのないこんな場所まで誘い出した。

「里嶋さん、オレは……」

「シッ!」

  里嶋が振り向きざま小柄を投げた。
  カッと音がして数間後方の松の木に突き刺さる。
  見覚えのある猿のような顔の男が袖をひるがえして駆け去ってゆく。

「あいつは……!」

  権兵衛は思い出した。卑怯にも親分の背中に隠れ、唯一斬り損ねた男――マシラの喜一であった。


                    2

「見られたな……」

  里嶋は権兵衛に向き直るといった。

「いますぐこの掛川の宿からでてゆくんだ」

「里嶋さん……」

「おぬしがどういう事情で辰澤村についているのかは知らぬ。しかし、命が惜しくば村をでてゆけ。すぐさま、その足でだ!」

  里嶋が命じるようにいい放つ。

「おぬしが刀を抜いたらオレは……」

「抜いたらどうだというんです」

  権兵衛が瞳に強い光をたたえて睨み返す。

「生かしておくわけにはいかぬ」

  里嶋が鍔元に手をかける。ほとんど物理的ともいっていい気の放射が権兵衛の五体を揺るがす。
  と、そのとき――
  ダダダ……という大勢の足音が響いてきた。
  遠目にみたところ十数人はいる。
  権兵衛は背を返した。背中に里嶋の強い視線を感じる。その視線に押されるように権兵衛は走った。一目散に並木道を走り抜けていった。


                    3

「あらましはそこの喜一から聞きやした」

  神棚を背にして煙管きせるに火をつける虎造の前に、里嶋は呼び出されていた。

「どうして先生が辰澤村の用心棒なんかとひそひそやっていなさるんです?」

  里嶋の後ろにはずらりと虎造の乾分たちが控え、マシラの喜一もそのなかに交じって小狡く目を光らせている。

「あの男――助平権兵衛はわたしが昔通っていた道場の朋輩ほうばいなのだ」

「それで?」

  薄い唇をもぞりと動かして虎造が先を促す。

「会ったのは偶然だ。オレは知らなかった。助平が辰澤村にいたことも」

「やい、すらっとぼけるのもいい加減にしやがれ!」

  マシラの喜一が裾を割って片膝をたてた。

「オレァ、この両の目で見てたんだ! おめえさんはあの浪人と仲良く話し込んでいた。前々から通じていたにちげえねえ! その証拠にあいつを逃がしてやったじゃねえか! つまり、おめえは――」

「黙っていろといったのが聞けねえのかッ!」

  虎造が喜一に向かって湯飲みを投げた。
  鈍い音がして湯飲みが割れ、喜一が額を押さえる。その指の透き間から赤黒い血があふれだし、ぽたぽたと膝元の畳に滴り落ちた。

「里嶋さん……」

  口調をあらためて虎造が里嶋を見据える。

「オレは明日、あの村に火をつけようと思う」

「!…………」

  里嶋は眉をあげて虎造をみた。その表情に高ぶった様子や気負いはみえない。
  虎造は煙管の煙をぷかり吹かしながらつづける。

「なにを性急な…と、思われるだろうが、辰澤村の一件はこれ以上長引かせたくねえ。これを鮮やかに解決してこそ、オレの器量が親分衆に認められるってもんでさあ」

「だからって焼き打ちにすることは……」

「それ以外にどんな方法がありなさるんで」

  ぎろり、と凄みをたたえた目で睨み返してきた。
  里嶋は押し黙る。
  黒鉄の虎造は変わった。後見役の座についてから人変わりした。
  備わった貫禄以上のものを示そうとやっきになっている。

「明日の焼き打ちにはあんたもきてくれ。話は以上だ」

  ぽん、と灰吹に火玉を落として虎造は解散を告げた。
  いわれなくてもわかっている。例の用心棒が刃向かってきたら即座にたたっ斬れというのだろう。
  里嶋は助平が自分の忠告に従ってくれることを切に願った。


                    4

  月が中天にのぼっている。
  村の入り口がなにやら騒がしい。
  庄屋の門前に人があふれている。

「おお、権兵衛さん、ちょうどよかった。わしと一緒にきてくれ!」

  太兵衛が目ざとく権兵衛をみつけて駆け寄ってくる。

「なにがあった?」

「あの用心棒たちじゃ」

「用心棒がどうかしたのか?」

「とにかく、ついてきてくれ!」

  走りだした太兵衛の後ろについてゆくと、畑の真ん中にある農家の入り口まできた。ここも庄屋の屋敷と動揺に村人の姿であふれており、幾重にも人垣がつくられている。

「あの用心棒たちが呉作さんの家に押し入って女房や娘たちを次々と……」

  あとはいわなくてもわかった。無理やり手込めにしたということだろう。

「ヤツらはまだ、なかにいるのか?」

「ああ、もう一刻たつが出てこんのじゃよ」

「……わかった」

  権兵衛が鍔元に手をかけ人垣を割った、そのとき――
  がらり、と板戸が開いてぞろぞろと三人組が揃ってでてきた。みな一様に、にやにやとべたついた笑みを浮かべている。
  三人組の一人、塚田伝兵衛が権兵衛の顔をみとめて手をあげた。

「いやあ、ご同輩、どこへいっておったのだ。おかげで誘いそびれたではないか」

「せっかく我らと“きょうだい”になれる機会を与えてやろうと思ったのに……ん、なんだそれは?」

  岩尾重蔵が鍔元に手をかけている権兵衛を見とがめて目を尖らせる。

「おまえらごときと“きょうだい”になろうなどとはオレは思わぬ」

「まあ、そういうな」

  一番最後にでてきた梶木源内がつかつかと寄ってきて耳元でささやく。

「おぬしも同じだろう。村人の噂は耳にしておるぞ」

「!…………」

  やはり、村人のだれかにみられていたのだ。権兵衛は鍔元にかけた手をほどいた。
  がっはっは、と高笑いをあげて梶木たちが去ってゆく。
  権兵衛はその姿を背中で見送るしかない。
  家のなかからは女房、娘たちのすすり泣きが聞こえる。「すまねえ、すまねえ」と男の声が重なる。
  突然、針のような視線を感じて権兵衛は顔をあげた。
  周囲をみまわす。
  村人たちが権兵衛をにらみつけている。
  こいつも同類だ。飢えた野良犬の一匹だ。
  視線がそういっている。
  いたたまれなくなって権兵衛は踵を返した。

  ――村をでろ。すぐさま、その足でだ。

  里嶋庄八郎の忠告がいつまでも脳裏に響いていた。


          第五章につづく

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