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Sweet1.天井くんは甘い香りがする
3.)
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「バナナは飾りにも使うので、先に飾り用の分だけ切ってお皿に移しておいてください。残りはボウルに入れて潰します、触感が残るように粗めにね」
家庭科の先生の話を聞きながらボウルを取り出した。
「小桃、混ぜてくれる?私バナナ切るから」
「うん、わかった」
えっと、まずはボウルに無塩バターとハチミツを入れて泡立て器でよくかき混ぜる…でいいんだよね?
初めて作るから間違えないようにしないと。
作り方の書いてある黒板を見ながら、今日の調理実習で作るチョコバナナマフィンの完成を想像した。
バナナは潰し過ぎない方がいいんだ、確かにそっちのがおいしそう。
はすみんがバナナを切ってくれる前で、泡立て器でぐるぐるとボウルの中をかき混ぜた。
学校の授業だから電動泡だて器なんかないから全力手動、よくかき混ぜるってどれくらいなんだろ?結構力入る気がする!
「荻野さん、卵の用意出来たから」
「ありがとう、天井くん」
天井くんとも同じ班、隣で卵を割ってくれていた。
でもたぶんまだ卵の出番ない、全然かき混ざってないから。泡だて器にバターがくっついちゃって…これってこれであってるのかな?
「荻野さん、ぐるぐるかき混ぜるんじゃなくて前後に動かすイメージで混ぜてみて」
「え、前後に動かす?」
「ちょっと貸して」
言われるがまま天井くんに泡だて器とボウルを渡すとガチッとボウルを左手で抱えて、泡だて器を持った右手を直線を引くように前後に動かした。
「泡だて器ってそうやって使うんだ!?」
「あ、でもこれは生クリームの作り方でバターは関係ないかも」
「え!?」
つい声に出して驚いちゃって、見上げるように天井くんの方を見た。
キレイなお顔とパチッて目が合った。
「でも混ざったからいっか」
「……。」
なんだろ?今日は今日でなんか違う気がする。
何をしても表情を変えないはずの天井くんが今日はどこかやわらかい…
「荻野さん、卵入れてくれる?少しずつね、混ぜていくから」
いつの間にか逆転してしまった作業担当だったけど、かき混ぜるより卵ちょっとずつ入れる方が向いてるかもしれないと思ってすぐに気持ち切り替えた。
天井くんが混ぜるハチミツバターの中にちょろちょろと溶かした卵を入れていく。
「天井くんってお菓子作りするの?」
「あぁ、うん…たまに」
「すごいね!生クリームも自分で作れるんだ!?」
「いや、混ぜるだけだよ生クリームなんて」
「私作ったことないよ!」
やっぱり昨日ちょっと話したからかな?ばいばいって言った時は微妙な感じだったけど、今は普通に喋ってる。
詳しいからそうなのかなって思ったけど、お菓子作はちょっと意外だったかも!
「甘いもの好きなんだね」
「別に好きってわけじゃないけど」
「好きだから作ってるんじゃないの?」
「いや、そうゆうわけでは…」
「?」
好きじゃないけど作ってるんだ。
誰かに作ってあげたりしてるのかな?ふーん、そっかなるほど、そんな人がいるんだきっと…
天井くんが混ぜてくれる隣でゆっくり卵を入れていく、何度も何度も数回に分けて。慣れた手つきの天井くんの手は動きがスムーズであっという間に混ざっていく。
本当によく作ってるんだね。
「次は薄力粉とベーキングパウダーをふるいにかけて細かくするから…」
「あ、私持って来るよ!」
少しでも何かしなくちゃ!と思って家庭科室の後ろの棚まで粉ふるい器を取りに行った。
引き戸の扉を引いて、粉ふるい器を探す。
えっとたぶんここだと思うんだけど…あ、あった!
ちょっとだけ背伸びをしてぐいっと手を伸ばす、ほんのちょっと、ちょっとだけギリギリで…!
「はい」
「天井くん…!?」
スッと後ろから手が伸びて来た。
「荻野さん取れるか心配だったから」
「こ、これぐらいできるよ!」
思ったより高いところには置いてあったけど、これぐらい私だって少しがんばれば…
「でも、ありがとう」
少し見上げて、天井くんと視線を交わして。
「どういたしまして」
ほらやっぱり、今日の天井くんはどこか違う。
そんなにこって微笑んだ姿見たことないよ。
なんかわかんないけど、ドキッてしちゃうじゃん。
なんで今日はそんなに…
「天井くん、本当にすっごくお菓子作り好きなんだね」
「え?」
その相手は誰なんだろう?
誰を思って作ってるんだろう?
なんでこんなモヤモヤした気持ちになるのかな。
「今すっごく楽しそうな顔してる」
おだやかに笑っていた天井くんの顔がぶわっと赤くなった。
え?なんで??
「オレっ、そんな顔してた…!?」
かぁーっと顔を赤らめて右手で隠すように顔を覆って。でも耳まで真っ赤で全然隠れてない。
「別に、そのっ…楽しいとかないから!だから、その…っ」
「楽しいなら楽しいでいいと思うけど…、好きなんだよね?お菓子作り」
「だから好きってわけじゃ…!」
ふわーっとかすかにキャラメルポップコーンの匂いが香り出した。
天井くん、緊張してる?
でもいろんなとこで甘い香りがしてるから、よく鼻を利かせないとわからないかも。わざとらしくスースー吸ってみせるのも違うし。
「…わかんないでしょ?ここにいたら」
「え?」
顔を赤くした天井くんが棚を閉めた。
「ちょっと緊張することがあってもお菓子作りしてたらわからないから」
「……。」
今まさにそんなふうに思ってた。
きっと教室だったらもっと天井くんの甘い香りでいっぱいになるのに今日は家庭科室でチョコバナナマフィン作りをしてる、バターにハチミツ、チョコレートまで、たくさんの甘い香りに溢れてる。
「だから…たぶん、ちょっと油断してた」
顔を隠して俯いて、私から視線を逸らす。
ちょっとだけ天井くんに近付いた。
「え、何すんの!?」
「ほんとうだ!キャラメルポップコーンの匂いする!」
「だから何!?」
甘くておいしそうな天井くんの香り、ついついスーって鼻をすすりたくなっちゃうような。
ふふふって、今度は私が笑っちゃった。
「なんで笑ってんの!?」
そしたらまた天井くんは顔を赤くして。
「ううん、なんでもない!」
なんだ、そっか。
ここにいたら天井くんは天井くんらしくいられるんだ。
感情のスイッチオフにした天井くんじゃなくて、これが本当の天井くんなんだね。
誰かにお菓子を作ってるわけじゃなかったんだ。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「…何を?答えられることかわかんないよ」
「天井くんは緊張すると甘い香りが溢れちゃうんだよね」
「…そうだけど」
疑問に思ってたことを聞いてみようと思った。どんな時に天井くんからキャラメルポップコーンの匂いがするんだろうって。
「恥ずかしいって気持ちと緊張するって同じなの?」
まだ熱の冷めそうにない天井くんが目を細めながら私の方を見た。
「……。」
「あ、あのね!?ほら昨日ねっ、着替えてる時に勝手にドア開けちゃって恥ずかしそうにしてたから天井くん…!」
って、話してたら思い出しちゃった。
あれは私も恥ずかしかった。
なんか変にドキドキしちゃったし、今もなんか…っ
「同じっていうか…広い意味ではそうなんじゃない?」
「広い意味で?」
「緊張すると心臓がドキドキするでしょ、恥ずかしいって思った時も心臓がドキドキして…」
あ、それはそうかも。このドキドキだって、昨日のこと思い出したからで無性に恥ずかしくて私まで顔が赤くなりそうだもん。
「だから似たような、ことじゃない?」
「そっか、なるほど…そうなんだ」
「…うん」
じゃあ天井くんの甘い香りは天井くんの心臓と繋がってるんだね。
天井くんがドキドキしたらキャラメルポップコーンが弾けるんだ。
それってやっぱり、ちょっと可愛い。
「なんでまた笑ってるの?」
「ううん、なんでもないよ」
「早く粉ふるいにかけないと、授業終わっちゃうから!」
「はーいっ」
授業まるっと2時間分、ずーっと甘い香りに囲まれていたから髪の毛にも服にも匂いが付いちゃって。手なんか洗っても洗ってもバターの匂いが取れないし、自分がお菓子になったみたいに甘い香りを漂わせていた。
だから天井くんっていつもこんな感じなのかなって思ったりして。
「小桃ちゃん!ごめんね、今日も水やりお願いしてもいい?」
「さとちゃん!」
食べきれなかったチョコバナナマフィンはおみやげにお持ち帰りする、リュックに入れて今日の授業は終わりだからあとは掃除とホームルームだけ。
「無理かな?今日部活練習試合なの!急いで体育館行かなきゃいけなくて!」
掃除場所に移動しようと教室を出た時に呼び止められた。バレー部のさとちゃんは毎日部活で忙しそうにしてる、1年生は先輩より先に行って準備したりいろいろすることがあるんだって。
「いいよ、代わるよ」
ちなみに昨日も言われたけど、昨日は今日の練習試合のメンバー発表があるから遅刻できないだった。
「本当!?ごめん、ありがとう!!」
「うん、私暇だし」
部活やってないから、基本このあとは帰るだけだから全然水やりくらいは余裕で。
「今度なんか代わるから!小桃ちゃん何かあったら言ってね!」
「うん、ありがとう」
「じゃあよろしくね!」
でも私が何か頼むなんてことまぁないんだけど。
暇だしね、全然余裕だから。うん、全然ね。
「…でもこれ気付けば私の仕事なんだよね」
今日もジョウロを取りに行く、昨日も取りに行ったけど実は先週も何度か取りに行ってる。さとちゃんより水やってる回数多いんじゃないかなって思うよね。まぁ、いいんだけどね。
「ジョウロじゃなくて今日はホースにしようかな」
一度手に取ったジョウロを戻して道具入れの扉を閉める。
どっちでやらなきゃいけないってルールはないから、基本水やり担当の気分で変わるだけで今日はそんな気分だった。
くるっと方向転換して、中庭まで。
濡れないように花壇から離れたところにリュックを置いて、蛇口の前まで駆け寄った。
散水ノズル付きのホースは中庭限定で、ここで水やりをする人しか使えないレアアイテムなんだよね。ちなみに散水ノズルっていうのはホースの先端に取り付けていろんなパターンの水を出せるようになるアイテムね。これを使うのはちょっと楽しい。
花壇の隣にある蛇口を右に回して、こうするとホースを伝って水が散水ノズルの方まで…持ち手のレバーをぎゅって力入れて押せば水が一気に出っ
「わぁっ」
あ、水出し過ぎた!
レバーを押した瞬間びしゃぁって水が散らばった。しかも花壇じゃなくて蛇口の方を向けてレバーを押しちゃったから、水受け部分に水が当たって思いっきり跳ね返った来た。
「冷たっ」
やばい、制服まで…っ
「荻野さん大丈夫!?」
渡り廊下から身を乗り出すように顔を出した、見られてたんだ今の!?
「天井くんっ」
制服にはしずくがいっぱい付いてるし、髪の毛まで濡れてるし、うわー…
「タオルとか持ってる!?なかったら、オレの…っ」
「大丈夫、大丈夫!今日暑いからすぐ乾くよ!」
「風邪引いたらよくないよっ」
背負っていたリュックを下ろしてわざわざ探してくれた。サッと差し出された真っ白なタオルはほんのり甘い香りして。
「あ、使ってないから!全然、未使用のやつだから!」
急に早口になった天井くんがハッとした顔をしたからなんだか私も照れちゃって、俯き加減でタオルを受け取った持ってなかったし。
「ありがとう…」
てゆーか水がびしゃってかかったのを見られてた時点で恥ずかしかったもんね。あんな勢いよく返って来るとは思わないもん。
ぽんぽんとはたきながら制服についたしずくを落として濡れた髪の毛を吹いた。咄嗟に下を向いたから顔はそれほど濡れてなくてよかったな。
「荻野さんって環境委員なんだ?」
「ううん、保健委員」
「え、じゃあなんで水やりしてるの?これって環境委員の仕事じゃ」
「頼まれたから」
拭き終わったタオルを肩にかけた。もう一度ホースを持って蛇口の水を調整する、今度は出し過ぎないようにしないと。
「天井くん、タオルありがとう!洗って返すね!」
散水ヘッドを花壇の方に向けてゆっくりレバーを押した。ふわーっと水が舞ってキラキラ降り注ぐ、色とりどりのパンジーが生き生きし始めた。
「昨日も水やりしてなかった?ジョウロ持ってたよね?」
「昨日も頼まれたから」
「…荻野さんってお人好しなんだ」
10月から年を越して5月まで咲くパンジーはギリギリまだ季節、もう少しで咲き終わっちゃうのかと思うとちょっと寂しい。それぐらいここのパンジー見て来てるんだなって自分でも変な気持ちにはなる。
「頼まれたら…、断れないんだよね」
それがお人好しって言うのかわからないけど。何かをよくするためにしてるわけじゃないし、ただお願いされたから引き受けただけで。
「見て見て、天井くん!もうすぐ咲きそうなの!」
ねぇねぇと手招きをして天井くんを呼んだ。まだ上履きを履いていた天井くんは、渡り廊下の柵に腕を置いて頬杖をつくだけだったけど。
「それは何て花なの?」
「え、知らない」
「知らないで教えてくれたんだ!?」
「基本パンジーしかよくわからないの」
「へぇ…」
水道の方へ戻って来て蛇口を閉めた。水道の前でしゃがみ込んできゅっと左に回して、頬杖をついた天井くんが上から私を見てる。
「話しかけてくれるのってうれしくない?」
「え?」
少し上を見たら、天井くんと目が合って。
「話しかけてもらえるの嬉しいんだよね、だから頼まれたらそれもうれしくて引き受けちゃうんだ」
すくって立ち上がってホースを片付ける。
これで今日の水やりは終わり!
「それは違うと思うけど」
「えー、やっぱり?また頼まれたんだとはよく言われるんだよね」
天井くんからタオル借りたおかげで制服ももう乾き始めてるみたい。これならお母さんに怒られないで済みそうよかった。
「でも、…そうかもね」
「え、何が?」
肩にかけてたタオルを取って折りたたむ、このままリュックに入れて持って帰ろ。
「オレも荻野さんに話しかけられて嬉しかったよ」
リュックを取りに行こうとしたけど、つい足が止まってしまった。目線を逸らした天井くんからキャラメルポップコーンの匂いが風に揺られて香って来たから。
「天井くん…」
甘くておいしそうな香りはなんだかそそられてしまう。
「天井くんって私と話すの緊張するの?」
「はぁ!?」
わ、そんな声も出すんだ!それも初めて聞いた、めっちゃ眉間にしわ寄ってる!
「何言って…っ」
ちょっとだけ顔を赤くして、でも必死に表情を作ってるのがわかる。
天井くんって照れ屋さんなのかな?
「話したことなかったじゃん…、今までっ」
それは確かにそうだけど、クールで静かな人を寄せ付けない天井くんと話せる人は少なくて。
でもみんな気になってたとは思うんだ。
天井くんがどんな人なのかって。
「それに…荻野さん女の子だし」
「……。」
ふわふわとキャラメルポップコーンの匂いが風に吹かれていく。
そんなの思ってなかったし、言われるとも思ってなかった。
そっか、なんかそれは…
こそばゆい。
そわそわしちゃった。
家庭科の先生の話を聞きながらボウルを取り出した。
「小桃、混ぜてくれる?私バナナ切るから」
「うん、わかった」
えっと、まずはボウルに無塩バターとハチミツを入れて泡立て器でよくかき混ぜる…でいいんだよね?
初めて作るから間違えないようにしないと。
作り方の書いてある黒板を見ながら、今日の調理実習で作るチョコバナナマフィンの完成を想像した。
バナナは潰し過ぎない方がいいんだ、確かにそっちのがおいしそう。
はすみんがバナナを切ってくれる前で、泡立て器でぐるぐるとボウルの中をかき混ぜた。
学校の授業だから電動泡だて器なんかないから全力手動、よくかき混ぜるってどれくらいなんだろ?結構力入る気がする!
「荻野さん、卵の用意出来たから」
「ありがとう、天井くん」
天井くんとも同じ班、隣で卵を割ってくれていた。
でもたぶんまだ卵の出番ない、全然かき混ざってないから。泡だて器にバターがくっついちゃって…これってこれであってるのかな?
「荻野さん、ぐるぐるかき混ぜるんじゃなくて前後に動かすイメージで混ぜてみて」
「え、前後に動かす?」
「ちょっと貸して」
言われるがまま天井くんに泡だて器とボウルを渡すとガチッとボウルを左手で抱えて、泡だて器を持った右手を直線を引くように前後に動かした。
「泡だて器ってそうやって使うんだ!?」
「あ、でもこれは生クリームの作り方でバターは関係ないかも」
「え!?」
つい声に出して驚いちゃって、見上げるように天井くんの方を見た。
キレイなお顔とパチッて目が合った。
「でも混ざったからいっか」
「……。」
なんだろ?今日は今日でなんか違う気がする。
何をしても表情を変えないはずの天井くんが今日はどこかやわらかい…
「荻野さん、卵入れてくれる?少しずつね、混ぜていくから」
いつの間にか逆転してしまった作業担当だったけど、かき混ぜるより卵ちょっとずつ入れる方が向いてるかもしれないと思ってすぐに気持ち切り替えた。
天井くんが混ぜるハチミツバターの中にちょろちょろと溶かした卵を入れていく。
「天井くんってお菓子作りするの?」
「あぁ、うん…たまに」
「すごいね!生クリームも自分で作れるんだ!?」
「いや、混ぜるだけだよ生クリームなんて」
「私作ったことないよ!」
やっぱり昨日ちょっと話したからかな?ばいばいって言った時は微妙な感じだったけど、今は普通に喋ってる。
詳しいからそうなのかなって思ったけど、お菓子作はちょっと意外だったかも!
「甘いもの好きなんだね」
「別に好きってわけじゃないけど」
「好きだから作ってるんじゃないの?」
「いや、そうゆうわけでは…」
「?」
好きじゃないけど作ってるんだ。
誰かに作ってあげたりしてるのかな?ふーん、そっかなるほど、そんな人がいるんだきっと…
天井くんが混ぜてくれる隣でゆっくり卵を入れていく、何度も何度も数回に分けて。慣れた手つきの天井くんの手は動きがスムーズであっという間に混ざっていく。
本当によく作ってるんだね。
「次は薄力粉とベーキングパウダーをふるいにかけて細かくするから…」
「あ、私持って来るよ!」
少しでも何かしなくちゃ!と思って家庭科室の後ろの棚まで粉ふるい器を取りに行った。
引き戸の扉を引いて、粉ふるい器を探す。
えっとたぶんここだと思うんだけど…あ、あった!
ちょっとだけ背伸びをしてぐいっと手を伸ばす、ほんのちょっと、ちょっとだけギリギリで…!
「はい」
「天井くん…!?」
スッと後ろから手が伸びて来た。
「荻野さん取れるか心配だったから」
「こ、これぐらいできるよ!」
思ったより高いところには置いてあったけど、これぐらい私だって少しがんばれば…
「でも、ありがとう」
少し見上げて、天井くんと視線を交わして。
「どういたしまして」
ほらやっぱり、今日の天井くんはどこか違う。
そんなにこって微笑んだ姿見たことないよ。
なんかわかんないけど、ドキッてしちゃうじゃん。
なんで今日はそんなに…
「天井くん、本当にすっごくお菓子作り好きなんだね」
「え?」
その相手は誰なんだろう?
誰を思って作ってるんだろう?
なんでこんなモヤモヤした気持ちになるのかな。
「今すっごく楽しそうな顔してる」
おだやかに笑っていた天井くんの顔がぶわっと赤くなった。
え?なんで??
「オレっ、そんな顔してた…!?」
かぁーっと顔を赤らめて右手で隠すように顔を覆って。でも耳まで真っ赤で全然隠れてない。
「別に、そのっ…楽しいとかないから!だから、その…っ」
「楽しいなら楽しいでいいと思うけど…、好きなんだよね?お菓子作り」
「だから好きってわけじゃ…!」
ふわーっとかすかにキャラメルポップコーンの匂いが香り出した。
天井くん、緊張してる?
でもいろんなとこで甘い香りがしてるから、よく鼻を利かせないとわからないかも。わざとらしくスースー吸ってみせるのも違うし。
「…わかんないでしょ?ここにいたら」
「え?」
顔を赤くした天井くんが棚を閉めた。
「ちょっと緊張することがあってもお菓子作りしてたらわからないから」
「……。」
今まさにそんなふうに思ってた。
きっと教室だったらもっと天井くんの甘い香りでいっぱいになるのに今日は家庭科室でチョコバナナマフィン作りをしてる、バターにハチミツ、チョコレートまで、たくさんの甘い香りに溢れてる。
「だから…たぶん、ちょっと油断してた」
顔を隠して俯いて、私から視線を逸らす。
ちょっとだけ天井くんに近付いた。
「え、何すんの!?」
「ほんとうだ!キャラメルポップコーンの匂いする!」
「だから何!?」
甘くておいしそうな天井くんの香り、ついついスーって鼻をすすりたくなっちゃうような。
ふふふって、今度は私が笑っちゃった。
「なんで笑ってんの!?」
そしたらまた天井くんは顔を赤くして。
「ううん、なんでもない!」
なんだ、そっか。
ここにいたら天井くんは天井くんらしくいられるんだ。
感情のスイッチオフにした天井くんじゃなくて、これが本当の天井くんなんだね。
誰かにお菓子を作ってるわけじゃなかったんだ。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「…何を?答えられることかわかんないよ」
「天井くんは緊張すると甘い香りが溢れちゃうんだよね」
「…そうだけど」
疑問に思ってたことを聞いてみようと思った。どんな時に天井くんからキャラメルポップコーンの匂いがするんだろうって。
「恥ずかしいって気持ちと緊張するって同じなの?」
まだ熱の冷めそうにない天井くんが目を細めながら私の方を見た。
「……。」
「あ、あのね!?ほら昨日ねっ、着替えてる時に勝手にドア開けちゃって恥ずかしそうにしてたから天井くん…!」
って、話してたら思い出しちゃった。
あれは私も恥ずかしかった。
なんか変にドキドキしちゃったし、今もなんか…っ
「同じっていうか…広い意味ではそうなんじゃない?」
「広い意味で?」
「緊張すると心臓がドキドキするでしょ、恥ずかしいって思った時も心臓がドキドキして…」
あ、それはそうかも。このドキドキだって、昨日のこと思い出したからで無性に恥ずかしくて私まで顔が赤くなりそうだもん。
「だから似たような、ことじゃない?」
「そっか、なるほど…そうなんだ」
「…うん」
じゃあ天井くんの甘い香りは天井くんの心臓と繋がってるんだね。
天井くんがドキドキしたらキャラメルポップコーンが弾けるんだ。
それってやっぱり、ちょっと可愛い。
「なんでまた笑ってるの?」
「ううん、なんでもないよ」
「早く粉ふるいにかけないと、授業終わっちゃうから!」
「はーいっ」
授業まるっと2時間分、ずーっと甘い香りに囲まれていたから髪の毛にも服にも匂いが付いちゃって。手なんか洗っても洗ってもバターの匂いが取れないし、自分がお菓子になったみたいに甘い香りを漂わせていた。
だから天井くんっていつもこんな感じなのかなって思ったりして。
「小桃ちゃん!ごめんね、今日も水やりお願いしてもいい?」
「さとちゃん!」
食べきれなかったチョコバナナマフィンはおみやげにお持ち帰りする、リュックに入れて今日の授業は終わりだからあとは掃除とホームルームだけ。
「無理かな?今日部活練習試合なの!急いで体育館行かなきゃいけなくて!」
掃除場所に移動しようと教室を出た時に呼び止められた。バレー部のさとちゃんは毎日部活で忙しそうにしてる、1年生は先輩より先に行って準備したりいろいろすることがあるんだって。
「いいよ、代わるよ」
ちなみに昨日も言われたけど、昨日は今日の練習試合のメンバー発表があるから遅刻できないだった。
「本当!?ごめん、ありがとう!!」
「うん、私暇だし」
部活やってないから、基本このあとは帰るだけだから全然水やりくらいは余裕で。
「今度なんか代わるから!小桃ちゃん何かあったら言ってね!」
「うん、ありがとう」
「じゃあよろしくね!」
でも私が何か頼むなんてことまぁないんだけど。
暇だしね、全然余裕だから。うん、全然ね。
「…でもこれ気付けば私の仕事なんだよね」
今日もジョウロを取りに行く、昨日も取りに行ったけど実は先週も何度か取りに行ってる。さとちゃんより水やってる回数多いんじゃないかなって思うよね。まぁ、いいんだけどね。
「ジョウロじゃなくて今日はホースにしようかな」
一度手に取ったジョウロを戻して道具入れの扉を閉める。
どっちでやらなきゃいけないってルールはないから、基本水やり担当の気分で変わるだけで今日はそんな気分だった。
くるっと方向転換して、中庭まで。
濡れないように花壇から離れたところにリュックを置いて、蛇口の前まで駆け寄った。
散水ノズル付きのホースは中庭限定で、ここで水やりをする人しか使えないレアアイテムなんだよね。ちなみに散水ノズルっていうのはホースの先端に取り付けていろんなパターンの水を出せるようになるアイテムね。これを使うのはちょっと楽しい。
花壇の隣にある蛇口を右に回して、こうするとホースを伝って水が散水ノズルの方まで…持ち手のレバーをぎゅって力入れて押せば水が一気に出っ
「わぁっ」
あ、水出し過ぎた!
レバーを押した瞬間びしゃぁって水が散らばった。しかも花壇じゃなくて蛇口の方を向けてレバーを押しちゃったから、水受け部分に水が当たって思いっきり跳ね返った来た。
「冷たっ」
やばい、制服まで…っ
「荻野さん大丈夫!?」
渡り廊下から身を乗り出すように顔を出した、見られてたんだ今の!?
「天井くんっ」
制服にはしずくがいっぱい付いてるし、髪の毛まで濡れてるし、うわー…
「タオルとか持ってる!?なかったら、オレの…っ」
「大丈夫、大丈夫!今日暑いからすぐ乾くよ!」
「風邪引いたらよくないよっ」
背負っていたリュックを下ろしてわざわざ探してくれた。サッと差し出された真っ白なタオルはほんのり甘い香りして。
「あ、使ってないから!全然、未使用のやつだから!」
急に早口になった天井くんがハッとした顔をしたからなんだか私も照れちゃって、俯き加減でタオルを受け取った持ってなかったし。
「ありがとう…」
てゆーか水がびしゃってかかったのを見られてた時点で恥ずかしかったもんね。あんな勢いよく返って来るとは思わないもん。
ぽんぽんとはたきながら制服についたしずくを落として濡れた髪の毛を吹いた。咄嗟に下を向いたから顔はそれほど濡れてなくてよかったな。
「荻野さんって環境委員なんだ?」
「ううん、保健委員」
「え、じゃあなんで水やりしてるの?これって環境委員の仕事じゃ」
「頼まれたから」
拭き終わったタオルを肩にかけた。もう一度ホースを持って蛇口の水を調整する、今度は出し過ぎないようにしないと。
「天井くん、タオルありがとう!洗って返すね!」
散水ヘッドを花壇の方に向けてゆっくりレバーを押した。ふわーっと水が舞ってキラキラ降り注ぐ、色とりどりのパンジーが生き生きし始めた。
「昨日も水やりしてなかった?ジョウロ持ってたよね?」
「昨日も頼まれたから」
「…荻野さんってお人好しなんだ」
10月から年を越して5月まで咲くパンジーはギリギリまだ季節、もう少しで咲き終わっちゃうのかと思うとちょっと寂しい。それぐらいここのパンジー見て来てるんだなって自分でも変な気持ちにはなる。
「頼まれたら…、断れないんだよね」
それがお人好しって言うのかわからないけど。何かをよくするためにしてるわけじゃないし、ただお願いされたから引き受けただけで。
「見て見て、天井くん!もうすぐ咲きそうなの!」
ねぇねぇと手招きをして天井くんを呼んだ。まだ上履きを履いていた天井くんは、渡り廊下の柵に腕を置いて頬杖をつくだけだったけど。
「それは何て花なの?」
「え、知らない」
「知らないで教えてくれたんだ!?」
「基本パンジーしかよくわからないの」
「へぇ…」
水道の方へ戻って来て蛇口を閉めた。水道の前でしゃがみ込んできゅっと左に回して、頬杖をついた天井くんが上から私を見てる。
「話しかけてくれるのってうれしくない?」
「え?」
少し上を見たら、天井くんと目が合って。
「話しかけてもらえるの嬉しいんだよね、だから頼まれたらそれもうれしくて引き受けちゃうんだ」
すくって立ち上がってホースを片付ける。
これで今日の水やりは終わり!
「それは違うと思うけど」
「えー、やっぱり?また頼まれたんだとはよく言われるんだよね」
天井くんからタオル借りたおかげで制服ももう乾き始めてるみたい。これならお母さんに怒られないで済みそうよかった。
「でも、…そうかもね」
「え、何が?」
肩にかけてたタオルを取って折りたたむ、このままリュックに入れて持って帰ろ。
「オレも荻野さんに話しかけられて嬉しかったよ」
リュックを取りに行こうとしたけど、つい足が止まってしまった。目線を逸らした天井くんからキャラメルポップコーンの匂いが風に揺られて香って来たから。
「天井くん…」
甘くておいしそうな香りはなんだかそそられてしまう。
「天井くんって私と話すの緊張するの?」
「はぁ!?」
わ、そんな声も出すんだ!それも初めて聞いた、めっちゃ眉間にしわ寄ってる!
「何言って…っ」
ちょっとだけ顔を赤くして、でも必死に表情を作ってるのがわかる。
天井くんって照れ屋さんなのかな?
「話したことなかったじゃん…、今までっ」
それは確かにそうだけど、クールで静かな人を寄せ付けない天井くんと話せる人は少なくて。
でもみんな気になってたとは思うんだ。
天井くんがどんな人なのかって。
「それに…荻野さん女の子だし」
「……。」
ふわふわとキャラメルポップコーンの匂いが風に吹かれていく。
そんなの思ってなかったし、言われるとも思ってなかった。
そっか、なんかそれは…
こそばゆい。
そわそわしちゃった。
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イマドキ中学生のドキドキネットライフ。
男子は、甘く優しい低音イケボの生徒会長や、
イケメン長身なのに女子力高めの苦労性な長髪書記に、
どこからどう見ても怪しいメガネの放送部長が出てきます。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
へいこう日誌
神山小夜
児童書・童話
超ド田舎にある姫乃森中学校。
たった三人の同級生、夏希と千秋、冬美は、中学三年生の春を迎えた。
始業式の日、担任から告げられたのは、まさかの閉校!?
ドタバタ三人組の、最後の一年間が始まる。
マダム・シレーヌの文房具
猫宮乾
児童書・童話
マダム・シレーヌの文房具という巨大な文房具を使って、突如現実から招かれるマホロバの街で戦っているぼくたち。痛みはないけど、意識を失うか、最後の一人になるまで勝つかしないと、現実には戻れない。ぼくの武器は最弱とからかわれる定規だ。いつも強いコンパスなどに殺されている。ある日、現実世界に戻ってから、「大丈夫か?」と男の子に声をかけられた。※不定期更新です。
放課後の秘密~放課後変身部の活動記録~
八星 こはく
児童書・童話
中学二年生の望結は、真面目な委員長。でも、『真面目な委員長キャラ』な自分に少しもやもやしてしまっている。
ある日望結は、放課後に中庭で王子様みたいな男子生徒と遭遇する。しかし実は、王子様の正体は保健室登校のクラスメート・姫乃(女子)で……!?
姫乃は放課後にだけ変身する、『放課後変身部』の部員だったのだ!
変わりたい。いつもと違う自分になりたい。……だけど、急には変われない。
でも、放課後だけなら?
これは、「違う自分になってみたい」という気持ちを持った少年少女たちの物語。
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