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7章 ミラ・イヴァンチスカの独白
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しおりを挟むきっかけはマリアに洗濯物の畳み方を教えて貰っている最中に、彼の母のローラさんが差し入れにとスコーンを持ってきてくれた事だった。スコーンのさくふわっとした食感に上に乗ったジャムとクロテッドクリームがまた絶品で、思わず言葉を失う程だった。
聞けばローラさんが作ったと言うので、思わずどうやって?と聞いてしまった。その答えは言わずもがな、じゃあ作ってみる?だった。シーツ交換、洗濯に加え、料理が私の課題に加わった。
初めてのスコーンはもたもたしたせいでバターが溶けて膨らみが足らず失敗に終わった。でもローラさんの秘伝のレシピのおかげか味は美味しく、初めてにしては上出来と褒めてくれて思わず笑む。
「全くの初心者にしては粉の種類とか何の調味料なのかとか分かっているのね。料理の経験はあるの?」
マリアよりも朗らかなローラさんが優しい声音で私に問う。私はローラさんのこのゆったりとした喋り方が好きだ。
「実は幼い頃に母の手伝いを少しだけ」
「あら、とても立派なお家だろうに随分と家庭的だったのね」
「ええ…」
勿論生みの母の事だ。母は昼食分とたまに夕食分も自分で作って食べていた。私はどうせ一人で食べても味気ないので、祖父母に内緒でたまにシェフに私の分を一食なしにしてもらって、母のご飯を食べに行っていた。シェフが作る料理ももちろん美味しかったけれど、母の母らしい手作りの食事はまた違った美味しさがあって大好きだった。
『わたしもてつだう!』
『じゃあこれを混ぜてもらおうかしら。椅子を持っておいで』
『はーい!』
簡単な作業だけだったけど、母の横に立って手伝うあの時間が好きだった。今思えばあの頃、唯一私が子供になれた時間だった。
「ミラ?」
「何でしょう?」
「また一緒に作りましょうね」
ローラさんがそう言って微笑む。また心がぽっと暖かくなった。
それにしても、だ。世話になりっぱなしだった人間が毎日ほぼ働き詰めとなり、流石に余裕がなくなってきていた。おかげで夜はぐっすり眠れるようになったが、体のあちこちがどことなく痛い。
そんな時に、休憩中に彼が屋敷の庭で畑仕事をしているのを見かけて、何となく話しかけてみた。彼は私がこうやって仕事をしている事を本当に応援してくれている様で、体が痛いだの手が荒れるだの言ってもすごく嬉しそうに私の話を聞いてくれて、何だか気持ちが晴れた気がした。これはいい発散かもしれないと思い、休憩は彼に話に行く事が定番の過ごし方になっていった。
今日も執務室で書類整理をする彼の横にしゃがみこみ、手伝う事もなくほぼ独り言のように喋る。彼は相槌を打ちながら聞いていた。でもたまに調子いい事を言ってくる時がある。丁度同じ高さの位置にいたから小突いてやったら彼が尻餅をついた。大人の男性が目を丸くしている姿に思わず笑う。歳上とは分かっているけど、この人を揶揄うのは面白い。
「すっかり力がついてきた様だな」
「失礼ね、少し小突いただけじゃない。まあそうかも。…夜もぐっすりだし」
「おお、そうか!」
「…変なの。何がそんなに嬉しい訳?」
「ん?嬉しいぞ?」
でも彼のこういう所は少し苦手。どう反応すればいいのか分からなくなる。別に彼はなんて事ない様に言っているから私の反応なんて気にしちゃいないだろうけど、急に無言になっちゃうし顔が熱くなるからやめてほしい。ちらりと横を見ると案の定彼はいつも通りの様子で作業していた。何だか悔しくて、私は立ち上がった彼の脛を小突く事でその気持ちを消化させた。
丁度ウィンターが来たので部屋を出る。この後ニイナとハーブティーに使うハーブを収穫する事になっていて、自室に置いてあるエプロンを取りに行った。エプロンを頭から被りながら、この間淹れてもらったものと同じものは作れるかな、いつも話を聞いてもらってばかりだしたまにはお茶の差し入れでもしようかな、と考えながら部屋を出ると彼の声が聞こえた。どうやら来客とエントランスで話をしているようだ。
「ええー!折角徹夜して頑張ったのにー!」
彼じゃない男性の大きな声がして、自然と耳を澄ます。
「てかさ、ローガンさんもいい加減出し惜しみしてないで、早く紹介して下さいよ!レイスさんも、ローガンさんのタイミングで良いだろなんて言ってますけど、何だか寂しそうでしたよ!」
扉を閉めようとした手を止める。心臓がドクンと跳ねて、指先が冷えた。そういえばどうして疑問に思わなかったんだろう。仮でも領主の妻となったのだ。ここの村の人達に私を紹介しないのはおかしい。それに彼の話ぶりやあの時助けてくれた医者の言葉からして、この家と領民達の関係は深いものだ。ああ、そうかと気付かされる。
だからこそ彼は隠していたんだ。私がミラ・イヴァンチスカだから。
私はエプロンを脱いで二人の元へ行き、後日挨拶に行きますと伝えて部屋に戻った。彼の顔は見なかったがきっと気まずげな表情をしていただろう。ニイナが丁度私を呼びに来てくれたが、ハーブの収穫は断って今日はもう休むことを伝えた。それから彼が来ても断るようにとも伝える。
ベッドに横になる。正直ショッキングではあったがそれが当たり前よね、と客観的に受け止めている自分がいる。でも彼はそんな人じゃないと思っていたし、そうであって欲しくないという願望もあったのだと思う。彼もただの人間という事だ。何でもかんでも最初から全てを受け入れられる訳がない。彼の誠実な面をあまりにも信用しすぎていたし、忘れていた。私は国中を震撼させた悪女なのだ。
ニイナを介してお披露目の日取りを決める。とてもじゃないけど、彼と顔を合わせる気にはなれなかった。周りを口汚く罵っていたあの頃のように戻りそうな気がして、彼を避けた。彼をそんな対象にしたくなかった。そして結局特に向き合うこともないまま当日を迎えた。
「おはよう」
「お、おはよう。今日は一段と綺麗だね」
「…何かおじさんみたい」
私のせいで何一つ打ち合わせが出来なかったから、せめて私から歩み寄ろうと思って彼の部屋に向かった。私を一目見て彼はあの時のように私に狼狽え、随分と形式的な言葉で私を褒めたので呆れてしまった。
いや、呆れるってなんだ。私は彼に何を期待しているんだろう。そしてこんな態度をとってしまう自分の幼さが嫌になる。
今日の段取りを彼から説明を受ける。お披露目の時くらいは切り替えないと。そう考えていたけど、とても綺麗なカスミソウのアーチを見たらすぐにその虜になった。渡されたブーケもカスミソウで出来ていて、素朴なのに可愛らしく香りも素敵で、思わず笑っていた。
村の人たちの歓声の中、私達は腕を組んで歩く。彼の嬉しそうに微笑む姿を見て、途端に申し訳なくなった。私なんかじゃなかったら、もっと堂々と村の人達に紹介出来たろうし、本当に結婚だって出来たのに。私は人から受け入れられにくい存在な上に、結婚しないという我儘まで聞いてもらっている。それなのにこんなちっぽけな事で拗ねるなんて、本当に子供みたいだと自分が恥ずかしくなった。
「今日は息子のために集まってくれてありがとう」
彼の父であるハノンさんが挨拶をする。随分と久しぶりに人前に立った。自然と背筋が伸びる。すると突然彼に小声で名前を呼ばれた。みんなに注目されている中で会話だなんてと思い、私はそのまま前を向いていたが、彼もそのまま前を見据えたまま小声で言った。
「君の事を隠していてごめん。人から聞いた話だけで評価して、君を噂通りの人間だと決めつけていた。でもこの1ヶ月近く一緒に過ごして、全然違う事に気付いたんだ」
そして彼は村の人達に私がミラ・イヴァンチスカだと伝えた。途端に空気が変わり、一斉に私に対するみんなの見る目が変わる。緊張で強張った私の手を握ってくれていた彼の手が更に強さを増して、ほっとしたのが分かった。一人じゃないよ、と言ってくれていた気がした。
彼はみんなに私が噂通りの人間じゃないから、先入観を持たずに見てやってくれと言ってくれた。私は内心、あなたが思う程綺麗な人間じゃないし、噂も全てが嘘ではない、むしろ事実でもあるのにと思いつつも、私を守ってくれようとする姿が嬉しかった。彼の言葉は本当に真っ直ぐだ。それは届いた様で、一人の拍手を皮切りに、私達は拍手に包まれた。
あっという間に会場はお祭り騒ぎになった。テーブルの上に様々な料理が並んでいて、聞いたら一つの家に一品持ち寄っているらしい。それを大きな皿に食べたい分だけ盛っていくというスタイルで困惑したが、どれも美味しくて夢中になっていた。
村の人達とはやはり一定の距離は感じるも、ウィリアムズ家の人々の話や、なぜカスミソウをあしらったのかなどの話をしてくれた。ここの人達も、ウィリアムズ家同様、本当に優しい心の持ち主ばかりだ。
「飲み物をとってくる」
「ええ、お願い」
彼ともすっかり前のような空気感に戻って安心していると、誰かに肩を叩かれた。
「…ガイ先生!」
「お久しぶりです。調子の方はいかがかな」
マリアと同様、ずっと礼を言いたかった私の恩人だ。
「先生のおかげでこの通り、元気になりました」
「ええ、ええ。顔色を見ただけでも分かりますよ」
「先生…あの時は本当にありがとうございました。先生の言葉が今までにないくらい心に沁みて、踏ん張る事が出来ました。それに、先生の言う通り私は何も知ろうとしないまま諦めていました」
「それは良かった。ローガンは、いい男でしょう?」
先生の言葉に一瞬戸惑ったが、私はゆっくりと頷いた。先生は満足げに微笑んでいた。
結局このお祭り騒ぎは夜まで続いた。どれもとても美味しかったがお腹がはち切れそうだ。二人で私の部屋に向かっている途中、彼が私の名を呼んだ。
「何?」
「本当にすまなかった。みんなに君の事を隠していた事」
本当に彼は律儀な人だ。むしろ我儘を聞いてもらって、私は感謝しなきゃいけない立場なのに。
「…いいのよ。それに、言いにくくて当然だわ」
そう伝えると、彼は私を優しい子だと言った。本当にこの人は突然心臓に悪い事を言う。でもそんな素直な彼を私も見習うべきだと思った。見ない振りをするのはもうやめると決めたじゃないか。私はこの人にちゃんと真実を言わなきゃ。私は踵を返した彼の背中に触れて言った。
「…信頼してくれてありがとう。私、ちゃんと話すから。でもまだその勇気がないの。それまでどうか…待っていて欲しい」
でもまだ全てを言える勇気がない。だって彼は私を噂通りの人間じゃないと思っているから。今真実を話せば、また彼との距離が出来てしまうかもしれない。でもいつか絶対に伝える。きっと彼は受け止めてくれる。
了承してくれた彼の背中を押すと盛大に彼がよろけ、また目を丸くして驚いた姿を見せた。やっぱりこの人を揶揄うのは面白い。
「今度こそお休み、坊ちゃん」
「なっ…こら!」
私は彼を坊ちゃんと呼ぶ事にした。
「ローラさん見て!!」
「まあ上手じゃない!ミラ!」
ローラさんと興奮しながらオーブンからパウンドケーキを取り出す。上手く膨らんだし、焼成途中の切り込みを入れたタイミングも良かったみたいで、綺麗に真ん中が割れていた。かなりローラさんに補助はしてもらったが、こんなに綺麗に焼けたのは初めてだった。冷めるのをワクワクしながら待って、切り分けたパウンドケーキを小さな皿に乗せて早速彼の所へ向かう。
「あ!いたいた!坊ちゃん!」
「ミラ…」
いつもならその呼び方はやめてくれと言う彼が意気消沈したように私の名を呼んだ。その理由を私はすぐに知る事になる。
隣の領地にある街に向かう馬車に揺られながら、ケビン様が私に招待状を送った真意を考える。まず最初に抱いた感情は苛立ち。彼も言っていたが随分と陰湿な事をしてくれる。私に苛つかせる事が目的なんだとしたら、相手は私が本当に来る訳がないという前提で送ってきている事になる。それか、単純に自分達の幸せな姿を見せつけたくて送ってきたのだろうか。
もしそうだとしたら本気で神経を疑う。そのくらい、わざわざ遠くにやった私に招待状を送る意図が分からない。どんな理由にせよ、ケビン様の頭の中が心配だ。国王が激昂しようが、国民から信頼を落とす事になろうが行ってやる。
だって私には、彼がいる。
いざという時のためにと持ってきた、父から与えられた宝石やアクセサリーの数々はやはり上質な物だったようで、予想以上の軍資金を手に入れる事が出来た。それを元に早速街の服飾店に向かう。だが予想通り首都にある商会が手がけてはいるが、既製服となると無難なデザインばかりだった。
きっとお貴族様達は田舎の領地へ嫁いで行った私を品定めするだろう。でもこんなにも暖かく、どんな人間でも受け入れてくれる素敵な場所が他にあるだろうか。絶対に馬鹿になんてされるものか。
首都にいた頃は色々なデザイナーに頼んでいて、私のイメージを伝えて形にしてもらっていた。だがデザイナーを通すと私がドレスを作る事が広まる可能性があるので、今回はそうする訳にはいかない。困っていると着いてきてくれていたウィンターが声をかけてくれた。
「ミラ様、宜しければ一つ紹介させていただいてもらよろしいでしょうか」
「ええ、ぜひ」
ウィンターに連れられて行ったその店は老舗感のある、地元の店だった。主に手芸をメインとしているらしいが洋服も取り扱っていて、普段着からドレス、ジャケットまで並んでいる。
ドレスの形は一昔前の物だったが、扱われている生地に驚いた。一瞬シルクかと思ったが、ハリのある感じと厚みから、コットンで作られたサテンと分かった。とても密に織られていて素晴らしい光沢感だ。感動しながら物色していたら、紺色のジャケットを見つけた。その瞬間、彼の穏やかな青い瞳を思い出す。これは運命的な出会いだと感じた私はそのジャケットを買って帰った。
帰宅してすぐ彼にあのお店で見た上質な生地の話をする。すると、前々から気になっていた私の部屋にかけられているレースカーテンをこの村の女性達が作っていると聞き驚く。あの店で見た生地も、ここから嫁いでいった女性によるものかもしれないとの事。
私はすぐに村の機織りの名手とやらの人物に会いたいと言った。彼は難しい顔をした後に言った。
「はっきり言っておく。その人は君の事をよく思っていない。それでもいいんだな?」
ここでもミラ・イヴァンチスカが邪魔をする。でももう私は見ないふりをするのはやめたんだ。大丈夫、私には彼がいる。
「初めまして、リンダさん。ミラと申します」
「…都会のお嬢さんがなぜ私なんかに?」
リンダさんは私を見て不快そうな表情と言動を惜しみなく向けた。いつもコソコソされてばかりだったので、逆にここまではっきりと示されたのは新鮮だった。そんな空気感だったが、私はリンダさんに一緒にドレスを作りたいと頼む。
失意のどん底にいた私が、ガイ先生、ウィリアムズ家の人々のおかげでベッドから起きあがれたあの日。クローゼットの扉を開けて胸を踊らせた私は洋服が好きだったんだと気付いた。その時から、いや、その前から私はずっとドレスを自分で作ってみたいという願望が何となくあった。そして機織りの名手がいると聞いた時に、私の挑戦してみたい気持ちが一気に固まったのだ。
リンダさんは案の定困惑していた。彼が慌てた様にリンダさんを連れて事情を説明してくれる。リンダさんは仕方なしといった感じだったが、彼のおかげで私を家に招いてくれた。
案内してくれた彼女のアトリエには様々な布が積み上げられていてさながら桃源郷だった。呆然としている中、リンダさんがオーガンジーの在庫を作業台の上に置いていく。私がオーガンジーという言葉を発した時から目の色が変わったなと思ったが、およそ一般家庭にある量じゃなかった。
「ねえ、ここにある物は、あくまで私的に使う物なの?例えば販売したりとか」
「しないさ。この村の女達は大体何でも織れるが、工場に比べたら量産出来ないし、手間と材料費を考えたら利益なんてほぼ残らないだろう」
織布工場は働きたい女性に選ばれやすい職場だ。それくらい賃金はいいが重労働であり、安定した供給をする為には確かに大量の人材が必要になる。
でも何だか勿体無い気がした。こんな素敵な技術があって、技術者も織布に対しての思い入れが強い。それは品質にも現れていて、安価な材料を使っているにも関わらず上位貴族のパーティに使用しても遜色ないくらい上質だ。
他の布も見てみる。ドレスを一度も作った事がないと言っていた通り、確かに土台となるサテンやシルクなどはさすがになかった。やはり無理な話なのだろうかと考えていたら、マリアから手直しをする技術を教えてもらった事を思い出した。途端に私の頭の中に、持ってきたエンパイアドレスが浮かびオーガンジーが装飾されていく。これはいけると確信した。
と同時に、とある妙案が浮かぶ。常々こんな私を受け入れてくれたこの領地に何か出来ることはないかと考えていた。確かに布自体を量産する事は出来ない。ドレスを一から作るとしたら土台となる布が必要になるし、初期費用が大幅にかかる。けれどドレスを手直しとなれば布も人材も初期費用もそこまで必要ないのではないか。もし今回の私のドレスが成功して、それを婚約式に着ていけば必ず注目される。どうせ目立つのだ。ならば利用しない手はない。
「これがエンパイアドレスってやつかい」
翌日、早速そのドレスをリンダさんに見せる。私が持っているものは本当にシンプルなもので、胸元はレースのオフショルダーになっていて、それ以外は淡いピンクのシルクが、胸下を堺にストンと落ちているデザインだ。この胸元のレースをもう少し足して、オーガンジーでスカート部分にボリュームを持たす事と、背中に大きなリボンをつける事にした。
それなら1週間でできるだろうと言っていたリンダさんだったが、その翌日にはもう半分以上の工程を終わらせていた。話を聞いたらどうやら一晩中やっていたらしい。今後ビジネスにしようと考えている私は、お願いだから自分の体を考慮したペースにして欲しいと伝えるも、こんなの機織りに集中している時期じゃ当たり前だと話を聞いてくれないのでちょっとした言い合いになった。リンダさんは本当に頑固だ。でも私だってそうだ。最終的には渋々一人で抱え込みすぎない事を約束してくれ、今日は一旦解散となった。
その翌日、アトリエに行ったらリンダさんはもうドレス作りに取り掛かっていたけど、旦那さんから昨日はきちんと休んでさっき始めたばかりと伺ったのでほっとする。「リンダはとことん突き詰めてしまうタイプなので、すぐに奥様が釘を刺して下さって良かったです」と言ってくれた。リンダさんの裁縫愛を実感した出来事だった。
ドレス本体はあっという間に完成して、リボン作りに取り掛かる。リボンの大きさや、オーガンジーを何枚重ねてどれくらいのボリュームを出すか、二人であれこれ言い合う。
「確かにこれでいいのかもしれないが、それにしたってシンプルすぎやしないかい」
「そう?この胸元のレースが十分装飾になっている気がするけど…でも折角だから何かここらしいものが欲しいわね」
「ここらしいもの?」
「そうね…カスミソウなんてどうかしら!このリボンにカスミソウの刺繍を施すの!リンダさんのおかげでまだ時間はたっぷりあるし、間に合うわよね?」
そう言うとリンダさんがなぜか驚いた様子の表情を見せていた。
「どうしたの?おかしい?」
「いや…ここを好いてくれてんだなと思ってね」
リンダさんの穏やかな表情と言葉に思わず涙腺が緩む。そういう事なら助っ人を数人集めてくると言ってリンダさんが出て行った後、少しだけ泣いた。
序でに彼のジャケットもカスミソウを施そうという事になり、面積の大きいリボンの刺繍は村の女性達に任せて、リンダさんに補助してもらいながら私は彼のジャケットの刺繍に取り掛かった。やはり村の女性達もリンダさんと同様、裁縫上手であっという間に完成してしまって、私の方が製作期間ギリギリまでかかってしまった。でもどうしても自分一人で完成させたかった。彼がいてくれるから大丈夫と思えて、私は出席する決心がついたのだ。そんな彼にも一目置かれる様な存在になって欲しくて、一針一針心を込めた。
当日、前々からニイナの施しが気になっていた私は今回彼女に化粧と髪のセットをお願いした。彼女はとても器用だ。肌を綺麗に見せるナチュラルな化粧と、さりげなく毎日変えている髪型に私は彼女のポテンシャルを感じていた。そしてそれは大正解だったようだ。
初めての試みだったが、これは成功したと言っていいだろう。私を見て呆然とする彼に得意げに見せていたら、綺麗だとかまでは予想通りだったのに、連れて行きたくないだの誰かに連れ去られるだの意味が分からない事を言われて、あっという間に彼のペースに飲まれてしまった。おかげでジャケットの存在を忘れかけて、慌てて渡す事となった。
私はここでまたニイナの腕前に感心させられる事になる。思った通り、紺色のジャケットは彼にすごく似合っていた。それよりも伸ばし放題だった髪がすっきりして、隠れ気味だった目元がよく見える様になった。そのおかげで実感してしまった。とても素敵だった。悔しいくらいに。
褒めてもらった分際で私は「ふうん」の一言で終わらせた。そしてニイナを呼び出して小声で「やるじゃない」と大いに褒めたのだった。
みんなの心配そうな空気感の中、馬車に乗り込む。その直前、彼は当たり前のように守るよ、と言ってくれた。別にその時には大きな不安があった訳じゃないけど、自然と笑んでいた。
ここから首都まで半日はかかる。私はその間、秘密裏に実行しようとしていたビジネスについて彼に少しだけ話をした。彼のいい所は自然体な所だ。飾り気も混じり気もない彼の言葉達は、とても信頼を得やすい。事細かに説明して固くなってしまうよりもそのほうがいいだろうと思い、彼にはそのくらいで留めておいた。
その後も他愛のない話をして過ごす。けど見覚えのある道に入った途端、急に心が騒つき始めた。あの頃の暗い感情が見え隠れし始めて、やっぱりこうなるのかと一気に気持ちが沈んだ。そして彼の言葉に対して曖昧な返事をしている事にも気付かず外を眺めていたら、怖いのか?と彼に問われた。私はうん、と素直に答えた。
すると彼は何も言わずに私の隣に来てくれて、肩を寄せてくれた。私はそれに甘えて彼の肩に頭を跨る。そしてまたあの時のように、不安を感じたら手を繋いで欲しいとお願いした。彼は了承すると、もう手を繋いでくれた。今じゃないわよと笑いながら言ったけど、その手があまりにも暖かくて離せなかった。
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