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5章 新事業開始
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つまらない。実につまらない。
そう思いながら、着飾った人間達の往来を眺める。あそこにいる婦人は夫に内緒でギャンブルに陶酔しているし、あの令嬢は貴族の坊ちゃん二人を手玉にとっているし、つい最近結婚した筈のあの家の次男坊はさっそく浮気している。そんな情報はごまんとあるが、どれもありきたりでどうにも湧かない。
それに比べて約一年前の俺は活き活きしていた。王子を巡る、二人の女の戦い。一人は宰相を父に持ち、まさに王族になる為に生まれてきたのではないかという程に完璧な令嬢と、もう一人は家柄は中流で特にこれといった特徴はないが、好成績を納め王立学園に転入してきた秀才。前者は王子の婚約者、後者はただの学友だったが王子と懇意になったのは後者だった。
それもその筈王子の婚約者ミラ・イヴァンチスカは気品は一流だがプライドも一流で、良い噂を全く聞かず、そんな彼女に王子が手を焼いているのは関係者の中では有名な話だった。そんな時に現れたのが転入してきた秀才、ミーシア・マイアスだ。二人は王子が学園内に所有する温室で出会い逢い引きしていたらしい。仕舞いには王子はミーシア・マイアスをパーティに呼ぶ様になり、二人はそういう関係なのではないかという憶測が確定された。
俺はその頃からこの三人を追いかけ始めた。その三人の周りの関係者に話を聞くと、必ず何かネタが入るので毎日大忙しだった。ただ、全ては人から聞いた話で、公の場で二人が睨み合うとかそんなものはなく、外側から見ていると冷戦状態だった二人だったが、まさかの結末で幕を閉じた。
とあるパーティでついにミラ・イヴァンチスカがミーシア・マイアスに制裁を加えたのだ。そしてその場で王子はミラ・イヴァンチスカとの婚約を破棄すると宣言した。俺は勿論その現場にいたのだが、ミラ・イヴァンチスカは最初は否定していたものの、次第にいつもの様に凛とした姿勢で王子の激昂を聞いていた。心を乱され公の場で声を荒げる王子に比べ、こんな時でも気品を失わない彼女を見た時、改めてミラ・イヴァンチスカの才を感じた。
世の中はミーシア・マイアス一色だったが、俺は彼女に憧れた。ずっと追いかけ続けるつもりだったが、彼女は屋敷に幽閉され情報が入って来なくなり、気付いた時には遠い田舎貴族に嫁いで行ってしまった。上司には彼女を追いかけるよりも、民衆の関心が高いミーシア・マイアスの方に集中しろと言われた。そして俺の毎日はまた退屈になってしまった。
ちなみに彼女はファッションにおいても一流で、そういった意味でも注目の的だった。だが今を見てみろ。もうシーズンはいくつか過ぎているのに、一向に真新しいものは見当たらない。
クリノリンを使用してドレスを膨らませ、いかに華美に飾るか誰もが躍起になっていた中、彼女はクリノリンは使用せずストンとしたシルエットに、華美に飾ることよりも色遣いやあしらいを重視した非常にシンプルな装いで現れ、社交界に衝撃が走った。それは周りに流されない彼女そのものを象徴していて、彼女を嫌う人間は馬鹿らしいと思う反面、羨望を抱かずにはいられなかった様だ。
彼女が与えた衝撃をきっかけに、徐々にドレスの主流は変わっていく。絶対にこうあるべきという考えは崩され、彼女の様にシンプルな装いの真似をする者もいれば、クリノリンではなくパニエに留めて見た目よりも動きやすさを重視する者、流行していたはっきりとした色味ではなく落ち着いた色味にする者など、多様化がなされた。ただ、他国では主流であるという胸から切り替えのあるエンパイアドレスを彼女が着用した時は、一時期誰もがそれを着て爆発的なヒットとなった。
そして現在、彼女が去ってからはエンパイアドレスのブームは終了し再び多様化の時代がやってきた。誰もが模索している様だがあの時の様な衝撃は生まれず、小さなブームは起こるが爆発的なヒットには繋がらない。俺はこれからこんなつまらない社交界のつまらないネタを元に記事を書いて生きていくのかと思っていた時だった。
「ミラ・イヴァンチスカが現れたらしい!」
俺達は一応記者という立場を隠してここに参加している。同僚が慌てた様にそう言ってきて、普通なら口を塞いでいる所だが俺は身を乗り出してその現場へ向かった。
やはり彼女はワクワクする事ばかりしてくれる。元婚約者の、しかも元婚約者といえど王子の婚約式に現れるなんて!
「…何だあれは?」
彼女ならどんな場面でも美しく凛とした姿を見せてくれるだろう、そう思っていたのに。待ちに待った憧れの彼女は、隣にいる男に人差し指で口角を持ち上げられ呆れた表情をしていた。そしてそれを咎める事なく男と喋っている。
隣の男は夫だろう。田舎の貧乏貴族と聞いていたからどんな冴えないやつだろうかと思っていたが、見事な刺繍をあしらったジャケットを羽織り、黒髪のすっきりとした髪型、背は高く体格も良く、全く彼女に見劣りしていなかった。きっと彼女がプロデュースしたのだろう。見事な腕は変わらない様だ。
その証拠に彼女のドレスは見た事のない物だった。背中の大きなリボンが特徴的で彼女にしては珍しく細かい刺繍が施されていた。それに何だあの上質な生地は。田舎にあんな物が手に入るのか?目を凝らしていたら気付いてしまった。彼女は元から持っていたものにアレンジを加えて一新させたのだ。ドレスに関しては期待していなかったが、やっぱり彼女はただものではない。
だがやっぱり以前とは違う。あの一匹狼の様な鋭い眼光はどうした。誰も寄せ付けない圧倒的な姿はどうした。面白いくらい夫に心を許してるじゃないか。
俺は二人の後をそっと尾けた。彼女たちは堂々としていて、むしろ楽しげに会話をしている。仕舞いには耳打ちまでし合っていて、思わず笑ってしまった。
最初は野次馬感覚で見ていた周りだったが、今では男女問わず彼女に釘付けだ。人間味のある彼女はこんなにも魅力的だったのか。
二人を見た王子の表情から見るに、二人が現れたのは予想外の事だった様だ。恐らく何者かの陰謀だろうがそんな事はどうでもいい。ここは知らぬふりをして握りつぶされない程度に少し批判させて頂こう。そしていかに彼女が美しく、センセーショナルな装いだったか書こう。何やら面白そうな事業を始める彼女たちへの手向にもなる。
やっぱり彼女は俺をワクワクさせる。そしてそこに彼女の夫も加わった。一体どんな魔法を使ってあそこまで彼女の心を開かせたのだろう。そうだ、彼の経歴を調べてみよう。それからあんな上質な布を作ったという村も気になる。俺は最近までなかった頭が活字で溢れ出す感覚を覚えて胸が躍った。
やっぱり彼女は面白い。実に面白い。
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