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4章 二人の一夜

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 彼女の啜り泣く声だけが部屋に響く。俺は何も言わずにとにかく彼女の背中をさすった。やっと聞けた彼女の闇。どれだけ怖かったろう、どれだけ苦しかったろう。そう思うと言葉に出来なかった。

「…その時の記憶がはっきりしていないの。でも、彼女の肩に触れた感触と、彼女が私に対して恐怖した声を聞いて虚しくなった気持ちも覚えてる。もしかしたら私は無意識的に力を入れたのかもしれない…何よりも、絶対にしていないと言えない自分が…恐ろしい」

 俺はさするのをやめて彼女を強く抱きしめた。彼女の涙が服に染み込んでいくのが分かる。

「ローガン…私怖い。私は殺人まがいな事をしたの。間違ったら彼女は死んでいたかもしれない」
「…違う。君はそんな事をする人間じゃない」

 彼女は首を横に振った。俺は頭を撫でながら続ける。

「君に話しかけられたミーシア様が驚いて階段から踏み外した。それが真相だよ。それに君が周りから距離を置かれたのも、愛され方が分からなくてケビン様に婚約を破棄されたのも、全部、あの怖い宰相様のせいだ。君は何も悪くないよ」
「どうしてそんなに私を信じてくれるの…?」
「それが事実だから。それに、君が俺を信じさせてくれたんだ」

 もっと早く彼女に出会えていたら。そんなどうしようない事を悔いる。十数年彼女はずっと孤独だったのだ。周りに振り回され続け、こんなに素直で賢くて、両手に荷物をいっぱい持った俺を見てけらけらと笑う彼女を誰も知らずに否定した。

「俺は本当にしていないと思うよ。きっかけが自分だったからなんて言われたら何のフォローも出来ないけど」
「…実はね、彼女からもあれはただの事故だったんじゃないかみたいな事を言われたの」
「え?ミーシア様が?」
「うん…」
「何だよ!」

 泣き腫らして落ち着いた彼女の一言に、今度は俺が笑う。

「じゃあ絶対冤罪じゃないか。みたいなって、ちゃんと追求しなかったのか?」
「だ、だって分かんないじゃない」
「何で聞かなかったんだよ。くそ…俺がそこにいたら絶対言質とって、あれは間違いでしたって広めるのに」
「ふふ…いいのよ。あなただけでも分かってくれたら。…ねえ、私もあなたの過去の事を聞いてもいい?」
「勿論」
「今まで恋人って何人いたの?」
「………」

 思いもよらない質問に固まっていると、彼女が勢いよく体を起こした。

「勿論って言ったじゃない」
「…いや、そうだけど。そういうのってあんまり聞きたくないものなんじゃ」
「私は知りたいわよ?それに私はずっと心に秘めてた事をあなたに話したんだから、それくらい教えてくれたっていいじゃない」

 そう言われると何も言えなくなる。俺は観念した様に、人差し指と中指を上げた。

「2人?」
「…そうだよ」
「どちらかの内、結婚は考えなかったの?」
「そんな事まで言うのか?」
「当たり前よ」

 もう逃げる事は出来ない様だ。

「2人目の人とは考えたよ。20代半ばだったしな」
「…どうしてしなかったの?」
「相手はうちの事情を知ってた。それを知った上で恋人になってくれていたから、てっきり結婚出来るものだと思っていた。でもある日、相手の家が婚約者を探していると聞いて慌てて彼女に聞いたんだ。『どうしてだ』って。そうしたら彼女はとても純粋な顔で『何が悪いの?』って言った。結婚する気なんて更々なかったんだよ。彼女の表情は、まさかそんな経済状況で結婚したいと思っていたの?と本気で疑問に思っていた表情だったな」

「そうだったの…」と彼女が俯く。

「な、聞くもんじゃないだろ、こんな話」
「傷ついた?」
「まあな。でもそれもそうかって納得した。それもまた悔しかったけど」
「勿体無い事したわね、その人」
「どうだろう?なかなかいい良縁をもらったって聞いたけど」
「そうなの!?世の中不条理な事ばかりね…」
「まあそんなものさ」

 それから俺達はいつの間にか普段通りに戻っていた。酒を飲みながら喋る。俺の子ども時代の話、新しく始める事業の話。するとパーティの疲れもあってか大分彼女の瞼が落ちてきていた。すると突然、彼女が俺の肩に頭を預けた。心臓の音がうるさくなる。

「ミラ…」
「眠たい」

 頬に伸ばしかけた手を肩に置いて、彼女を起こす。

「もう寝るか?」
「でもまだお酒が…」
「もう残り少ないし俺が飲んどくよ」
「分かった…」

 そう言ったのに、彼女がまた俺に寄りかかる。

「寝るんだろ?」
「動けない…」
「…全く」

 俺は彼女を抱えてベッドに運ぶ。優しく寝かすと彼女が微笑んでいた。

「どうしたんだ?」
「…こういうの、憧れてたの」

 子どもの時から一流を求められていた彼女。きっと一度も甘やかされた事なんてなかっただろう。

「他にはどうして欲しい?」
「…頭を撫でて欲しい、私が眠るまで」
「分かったよ」

 言われた通り頭を優しく撫でる。やはり余程疲れていたのか、数分で彼女は眠った。あどけない表情でスースーと眠る彼女の頬を撫でる。

 一体どんなにしんどかったか。俺が彼女を噂通りの人間じゃないと言っていた事が逆にプレッシャーになっていたかもしれないと思い、申し訳なくなった。彼女の手を握って持ち上げる。

 昔の恋人の事を、彼女には“そんなものさ”で済ませたが、やはり当時はショックだった。例え愛していても、その資格がないとずっと一緒にはいられないと知ってしまった。その後も仕事やパーティで知り合った人もいたが、どこか線引きをして結局そういった関係にはなれなかった。そうして気付けばこの年齢だ。

 やはり彼女とは歳が離れすぎている。いっそ彼女が素直に結婚を受け入れてくれていたら、形式的にでも一緒にいられたのに。もし本当に彼女と一生を過ごしたいのならちゃんと向き合わなければならない。

 彼女と歳が近くて俺よりもいい男なんてたくさんいる。今1番親しい人間が俺だから、彼女はこうして安心して身を任せてくれているだけで、勘違いしてはいけないし勘違いをさせてもいけないと思っている。でも彼女が俺に甘える度、どうしようもなく浮かれてしまうのだ。

 こんな旅行も満足にしてあげられないこの経済状況にいつか嫌になるかもしれない。必ず彼女より先に死ぬ様な歳上の男なんて嫌だと思うかもしれない。また離れられてしまうかもしれない。それでも

『いいのよ。あなただけでも分かってくれたら』

 持ち上げた手に口付ける。俺は、彼女が好きだ。



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