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1章 噂の悪女が妻になりました

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 慌てて追いかけたが、結局彼女には会えなかった。部屋の前に困惑したニイナが立っていて、彼女が俺に会いたくないと言っている旨を恐る恐る伝えられる。

 怒っているだろう、普通に考えて。まるで彼女の良き理解者の様に振る舞っていたのに、周りには彼女の事を隠していたのだから。

 あれから俺は徹底的に避けられた。俺が屋敷にいる間はずっと部屋に篭り、俺が出かければ部屋から出てきて俺以外の人達と普通に会話をするし、仕事もしているらしい。ちなみに父母とマリアは自業自得だと言って何も助けてくれなかった。唯一ウィンターだけは時間が解決しますよと言ってくれ、ニイナは俺と彼女の伝達係を頑張ってくれていた。

 その伝達のおかげでとりあえず村の人達と会う日にちは決まった。その為にも一度くらい顔を合わせたったのだけど、それは絶対に許されなかった。自ずと毎日あった彼女の独り言の様な愚痴も聞けずにいる。寂しさは拭えなかった。

 そしてついに当日。俺は神妙な面持ちで正装に身を包む。ずっとお世話になってきた村の人達に彼女を紹介する。ただ本当は結婚はしていないし、これからもする事もないので嘘の報告になってしまうのだが。それだけでも罪悪感を抱えているというのに、結局今日まで彼女とは対面出来なかった。

 こんな険悪な空気で彼らの前に出るのか?一つも口を聞いてくれなかったらどうする?

 そんな事を考えていたら、昨晩は眠れなかった。なんとか欠伸を噛み殺し、準備が整った俺は彼女の元へ向かおうと扉を開けた。

「おはよう」

 しかし既に彼女はそこに立っていた。実に固い表情で俺に挨拶をする。正装を、と伝えていたので、いつもよりレースが多めに使われた白を基調としたドレスを着ていた。首の部分まで詰めてあり、袖は長い物。スカートの部分は広がった物ではなく、ストンとした大人しめの物で、彼女によく似合っていた。

 本当に彼女は自分の事をよく分かっている。華美なものよりも、こういうシンプルな形がよく似合うのだ。きっと社交界でも王子の婚約者という立場を抜きにしても、話題になっていただろう。

「お、おはよう。今日は一段と綺麗だね」
「…何かおじさんみたい」

 確かに…これは言われても仕方のない言い方だった。でも彼女が不機嫌なのは俺のせいなので何も言えない。心の中で泣きながら受け止める事にした。

「今日はよろしく。俺が挨拶の言葉とか言うから。君は俺の横に居てくれるだけでいいよ」

 歩きながら今日の段取りを説明する。一応聞いてはくれている様だが、以前の様なくだけた雰囲気はない。当たり前だろう。今日こうして付き合ってくれているだけでも感謝しようと気を引き締めた。

「まあミラ!綺麗だわ!」
「本当だ、眩しいくらいだ」

 エントランスに行くと、同じくいつもよりめかし込んだ父母が待っていた。両親ももちろん、一緒に行く。すっかり二人は彼女の事を気に入っている様で、たくさんの褒め言葉を彼女に浴びせる。結婚する意思がない事を二人に伝えている筈だが、もうすっかり娘の様に接していた。

 彼女は少し照れくさいのか、俯いて満更でもない表情をしていたが、俺と目が合った瞬間また真顔に戻った。見事なまでの徹底ぶりだ。

「さ、行こうか」

 そう言って脇に空間を作る。彼女は何も言わず俺の腕に手を絡ませた。

「お!ローガンがやって来たぞ!」
「あの方が奥様ね!」

 彼らが待ってくれている村の広場まではまだ少し距離はあるが、俺達の姿を捉えた瞬間歓声が上がった。本当に待ちに待ってくれていたんだなと、実感する。嘘の報告となってしまうが、今は罪悪感は捨てて彼らの気持ちに感謝しようと決めた。

 俺たちが通る道を空けてくれていて、その先にカスミソウで飾られたアーチが見えた。

「すごいな、作ってくれたのか?」
「当たり前だろ?丁度咲き頃で良かったよ」

 いつの間にか近くにいたレイスさんが満足気に言う。俺の曾祖母が好きだったというこの花は、まるで雑草の様にあちこちに咲いていて、この村の自慢だ。可愛らしいカスミソウの花がまるで鈴のようにアーチを飾っている。

「はい、これは花嫁様に」

 彼女に同じくカスミソウで出来た小さな花束が渡される。そこでようやく彼女がこぼれる様に笑った。辺りの空気が変わる。そして再び歓声が上がった。

「綺麗な花嫁様!ようこそウィリアムズ領へ!」
「この幸せ者!」

 たくさんの人にたくさんの言葉を貰いながら、俺たちは歩を薦める。やがてアーチの所へ到着し、その下に2人で並んだ。みんなが嬉しそうな顔でこちらを見ていて何だか少し照れくさい。

「今日は息子のために集まってくれてありがとう」

 父がまずみんなに挨拶をする。それが終われば俺の挨拶だ。ちらりと彼女を伺えば、ただ父の言葉に耳を傾けていた。

 よく協力してくれたと思う。やっぱり彼女は噂の様な人間ではない。俺にプライドを傷つけられたろうに、ちゃんとウィリアムズ家の体裁を守ろうとしてくれている。

「…ミラ」

 小声で彼女を呼ぶ。まさか声をかけられるとは思っていなかっただろう、彼女は反応したが前を向いていた。

「君の事を隠していてごめん」
「……」

 彼女は何も言わなかった。俺は話を続ける。

「人から聞いた話だけで評価して、君を噂通りの人間だと決めつけていた。でもこの1ヶ月近く一緒に過ごして、全然違う事に気付いたんだ」
「ローガン」

 父に呼ばれ、みんなが一斉に俺達に注目する。彼女の俺の腕を掴む力が少し強まった。反対の手でその手にそっと触れる。彼女がようやくこちらを見てくれた気がした。

「重ねてお礼を言います。本日は私達のためにお集まり下さいまして、ありがとうございます。私ローガン・ウィリアムズはこの度、ここにいるミラ・イヴァンチスカ嬢を娶る事になりました」

 一斉に拍手が起こる。しかしそれは次第にまばらになっていき、少しずつ騒めきが起こり始めた。ミラ・イヴァンチスカ?どこかで聞いた名だ…もしかして、という声がちらほら聞こえる。やはりみんな知っていた様だ。王子が婚約破棄するなんて前代未聞で、こんな田舎にまで号外も噂も回ってきたのだから。触れている彼女の手が震え出す。俺は少し強く握った。

「みんな、彼女の名を聞いた事があると思う。あのミラ・イヴァンチスカと、ここにいる彼女は同一人物だ。不思議な縁があって、彼女はここにやって来た」

 更にそのざわめきは大きくなった。あんなに笑顔だったみんなの表情が困惑、焦燥に変わる。最初は俺もそうだった。

 自尊心を守る為に人を階段に突き落とすという殺人まがいな事をした悪女。真相は分からないが、きっと彼女はそんな事をする人間じゃない。分かってくれる。みんな、俺の家族の様な人達だから。

「みんな驚いただろう。全ては俺の責任だ。こうなる気がして言えなかった。でも俺は自信を持って言える。噂は、ただの噂にすぎないという事だ」

 俺の言葉で騒めきがおさまった。どうか俺の言葉が伝わります様に。

「彼女が王子に婚約を破棄されたのは紛れもない事実だ。しかし一緒に過ごして感じた。彼女は至って普通のお嬢様だ。確かに無愛想だし、自分本位な所はあるが」

 彼女が勢い良くこちらを向いた。待て待て、そこに食いついてくれるな。

「でも噂ほどの人間の様には俺は思えなかった。ウィリアムズ家の屋敷のみんなもそう感じている。だからどうか暖かい目で見守って欲しい。そして出来たら先入観は捨てて、彼女を見て欲しい。どうか、よろしくお願いします」

 最後に俺は頭を下げた。みんなからも彼女からも困惑の空気を感じる。それでも何か反応があるまで、頭を下げ続けようと決めていた。

 すると、俺の横で動きがあった。彼女があの美しいカテーシーを見せていた。先程とは違うどよめきが起こる。

「ミラ・イヴァンチスカと申します。不束者ではございますが、どうぞ私からもよろしくお願い申し上げます」

 そして俺と一緒に頭を下げ続けてくれた。その時、一つの拍手が聞こえた。

「…レイス、さん」
「この馬鹿息子が」

 何を気にしていたんだといった声色にうっかり泣きそうになる。そしてレイスさんに倣う様に少しずつ拍手が増えていき、最後は大きな拍手に包まれていた。

 気づけばもう辺りはお祭り状態だった。大きなテーブルに一家に一品それぞれ用意してくれた料理が並ぶ。お祝い事の時はいつもこうだ。みんなで共有して、みんなで祝福する。だから俺はこの地が、ここにいる人達が大好きなのだ。

 彼女は外で食べるの?立って食べるの?と困惑しつつも、何とかこなしてくれた。その光景が何とも微笑ましかった。

「…疲れた」
「お疲れ様」

 昼頃に始まったお披露目会は結局日が暮れるまで続いて、屋敷についた頃にはもう夜だった。

「今日はもう晩御飯はいらないな」
「ええ…もうお腹がはち切れそう」

 こんな細い体にどう入ったのかというくらい、彼女は頑張ってみんなが作ってくれた料理を食べていた。後でニイナに消化が進むお茶を頼む事にする。今日だけは甘やかしてやろう。

 彼女の部屋の前に着いた。でも俺はまだ彼女に伝えなければならない事があった。

「ミラ」
「何?」
「本当にすまなかった。みんなに君の事を隠していた事」

 いつの間にか前の様なくだけた雰囲気になって良かったが、やはりここはもう一度しっかり謝っておくべきだ。彼女は一瞬伏し目がちになったが、また目を合わせてくれた。

「…いいのよ。それに、言いにくくて当然だわ」

 許しを得て、ほっと息を吐く。

「ありがとう…やっぱり君は優しい子だ」
「…あなたって、そういう恥ずかしい事を平気で言うわよね」
「恥ずかしい事?」
「じゃあね」
「ああ、お休み。ゆっくり休んで」

 そんなに恥ずかしい言動だったろうかと首を傾げながら踵を返した時、背中に何かがぶつかった。振り返ろうとしたら怒られる。人の暖かな体温が伝わってきた。彼女が俺の背中に体を寄せていた。

「…信頼してくれてありがとう。私、ちゃんと話すから。でもまだその勇気がないの。それまでどうか…待っていて欲しい」
「…分かった」

 俺が了承すると、何故か思い切り背中を押された。転びそうになるのを辛うじて踏み留まる。久しぶりに彼女がくすくすと笑った。

「今度こそお休み、坊ちゃん」
「なっ…こら!」

 そして彼女は実に楽しげに部屋へと入っていった。こういう事になるから坊ちゃんと呼ぶのはいい加減やめてくれとマリアにお願いしていたのに。

 歩きながら今日の事を振り返る。本当によく頑張ってくれたと思う。それにまた新たな彼女の一面が見れたし、何より最後にくれたあの言葉。

『どうか、待っていて欲しい』

 別に俺達はもう彼女の事を分かっているから、無理に話さなくてもいいと思っている。辛い過去である事には間違いないからだ。けれど彼女はちゃんと自分の口から説明したいと言う。それは俺達とちゃんと向き合いたいという証だった。

 素直に嬉しい進展だった。それを話す事ができたら、彼女にとって大きな一歩となる気がする。それは即ち、ここから出て行くという事だ。

「…今はあまり考えたくないな」

 俺は心の声が漏れ出ている事に気付き、自嘲しながら部屋に戻った。
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