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1章 噂の悪女が妻になりました

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side マリア



 ついに、坊ちゃんにお嫁さんが来る事になりました。

 大好きな人と結婚をし、彼が執事として勤めていた屋敷にメイド兼乳母として雇われた時からずっと待ち望んでいた瞬間。誠に図々しいがもう一人の息子としてずっと見守らせて頂いていた為、嬉しい事この上ない。

 ただ坊ちゃんの意思に沿う結婚ではないし、お相手も噂を聞いた限りだと中々のお嬢様で、旦那様も奥様も何度かため息を吐いておられるのを見かけた。

 坊ちゃんもどうやら複雑な様だけれど、別の屋敷に執事として雇われている息子に優秀な若いメイドを紹介してもらえないか私に聞いてきたり、シーツやカーテンを可愛らしいものに新調したりと、着々と覚悟を決めている様だった。

 ここの屋敷は特殊だ。昔から苦労してきたから殆ど身の回りの事は自分でされるし、そもそも世話をされるのが苦手で料理すら奥様が直々にやられていた。今はもう御年70を迎えられキッチンに立つ事はなくなったが、たまにふらりと現れては一緒に料理をするのが私の楽しみの一つになっている。旦那様もお優しく家族思いの方で、私と夫のウィンターの事まで気にかけてくれている。現役を退いた後も、坊ちゃんの補助をしたりたまに村に行って交流を図ったりされている様だ。

 こんな素敵なご家族なのだから、どうかお嫁に来る方ともうまくいきます様に。いや、うまくいくだろうと思っていた。

 しかしその待ちに待ったお嫁さんが最初に言った言葉は、結婚なんてしない、だった。そして部屋に篭ってしまわれた。

 作っても作ってもそのまま戻ってくる料理をひたすら受け取る。勿体ないからと坊ちゃんが食べてくれていたけれど、虚しさは抗えなかった。この家の事を知らないくせに結婚しないなんて言う彼女に正直憤りを感じていたけれど、こんなにも心を閉ざしてしまうなんて、と次第に可哀想に思い始めていた。

 そして3日が経過してついに坊ちゃんは強行する事を決めた。消化に良いものを、と言われてスープを作って待機する。そして無事扉を壊して侵入した坊ちゃんに言われて彼女にスープを届けに行った。私はその時、初めてその子と対峙した。

 本当はもっと綺麗な子なのだろうに。ベッドでぐったりと横たわる姿は顔色も相待ってまるで死人のようだった。

 ガイ先生に点滴を施してもらい少し起き上がれる様になった彼女にスープを勧める。しかし上手く力が入らないのか、スプーンが上手く掴めない様だった。

「…私で良ければお手伝いしても宜しいですか?」
「…え」

 虚な目で私を見つめ、やがて小さく頷いた。クッションに背中を預け、楽な姿勢になってもらう。私はスプーンでスープを掬い、かさかさになってしまっている彼女の唇を傷付けないようにそっと運んだ。こくん、と彼女の喉が動く。

「食べれそうです?」
「…うん」

 ぽろり、と彼女の頬に涙が伝う。その瞬間、この子に何かを食べさせなきゃと使命のような物を感じ、スープを食べさせた後キッチンへと走った。その後持って行った柔らかいパンも平らげた彼女は、丸一日眠った。

 起きた後も食は細かったが、次第に完食してくれる様になった。空になった食器が返ってくる様になり思わず微笑む。

 そして例の騒動から二週間が経った。村の人にお花を頂いたので、屋敷に置いている花瓶を集めようと彼女の部屋の扉を叩いた。この3日前に坊ちゃんが息子にお願いしていた新しいメイドのニイナが来てくれていたので、彼女の事はお任せしていた。こんなおばさんと話しても楽しくないだろうし、落ち着いてから改めて挨拶に行こうと思っていたので丁度いい機会だった。ややあってから返事があったので、入室する。

「ご挨拶が遅れました。ここのメイド長のマリアと申します」

 メイド長、と言っても私とニイナしかいないのだけれど。ただ言ってみたかっただけだ。

「…よろしく」

 そう言って窓際のテーブルで読書をしている彼女は軽くお辞儀をすると、再び本に視線を戻した。初めて見た時の姿とは正反対だった。持参されたドレスに身を包み、凛とした姿で外を眺める彼女はそれは美しかった。

 さすがニイナ。素材が良いのは勿論だけれど、以前からこのお年のお嬢様の給仕をしていたからか、とても清廉された髪型と化粧だ。後で褒めてあげないと。

「村の方々からお花を頂いたので取り替えてもよろしいでしょうか」
「ええ」
「ありがとうございます」

 無事了承を得て、彼女の近くのチェストに飾ってある花瓶を回収する。思わずちらりと彼女を盗み見た。ミルクティの様な淡い色の髪の毛が風に靡いている。

 その時ふと違和感を感じた。遠目から見た時は分からなかったが、顔の肌が異様に白い。首の肌色とミスマッチしている程だ。

 ニイナったら白く塗りすぎだわ、とさっきまで褒めてあげようとしていたのを忘れてこれは注意しなくてはと意気込む。そして退出するなり、ニイナを探した。

「マリアさん、どうしました?」
「あら、畑仕事をしてくれていたの?じゃなくて!」

 土で汚れたエプロンを叩いているニイナを見つけ、慌てて駆け寄る。

「やるじゃない!ニイナ!」
「え?雑草抜きがですか?」
「違うわよ!お嬢様のセット!見違えるほど綺麗になっちゃって、あなた腕がいいのね」
「ミラ様ですか?」
「そうよ!たけどね、ちょっと肌を白く塗りすぎよ。美白なんてのが今の流行りなんでしょうけど、あの方は元から白い様だから、何もあそこまでしなくたって」
「マリアさんも思いました!?」
「…はい?」

 どうにも話が噛み合ってない気がする。首を傾げていると、ニイナもそれに気付いたのか慌てて居住まいを正す。

「私じゃないんです。ミラ様の髪のセットも、お化粧も」
「え?という事は、ご自分でされてるの?」

 予想外の事実に驚く。初めて見る髪型だったが、とても器用に編まれていた。お化粧も白すぎる以外はよく自分の事を理解している施しをしていて、素敵だった。普通こういった事は全てメイドがするもので、ましてや宰相の娘なんて頭の先から爪の先まで全て人に着飾ってもらってきた立場だろう。自分で化粧も髪型も施す令嬢なんて聞いた事がない。

「きっとローガン様に自分で出来ることは自分でする様にと言われたからそうされているのだと思っていました。けれどお化粧に関しては特に徹底しているというか、湯浴みから上がられた時にはもう白粉を塗って出て来られるのです。それも不自然なほど白くて…」

 その時、自然と答えに辿り着いた。

「もしかして…あまり眠れていないのかしら」
「私も…そんな気がします」

 きっと寝不足で出来てしまったくまや、顔色を隠したいのだろう。あまり部屋から出てくる事がないのも、そのせいもあるのかもしれない。

「ご貴族様って大変ねえ。そんな大した弱みでもないのにそれすら隠さないといけないなんて」
「…先程お会いしたローガン様なんて鼻の頭に泥がついていましたよ?」
「ここは特殊だからねえ」
「ですね」

 結局辿り着いた答えは、ここで二人で考えてもしょうがないという事だった。ニイナにはさりげなく安眠効果のあるハーブティーを彼女に薦める任務を授け、私は新しい花を生けた花瓶を持って行くついでにそれとなく探ってみる事になった。

 ワゴンを押しながら花瓶を一つ一つ元の場所に戻しつつ、どうきっかけを作って探ろうか思案する。そしてついに彼女の部屋の所に辿り着いた。ノックをし入室する。

「新しいお花をお持ちしました」

 彼女は変わらず窓際にいた。私を一瞥したら、再び視線を戻す。もしかして以前のお屋敷でもずっとこうやって過ごされてきたのだろうか。やはり働き者の私の主人達とは全く違う。人間味がなく、まるで人形の様だ。

「何か気になる事はありますか」
「え?」
「ほら、例えばベッドとか!」

 私は昔から周りくどく言うのが苦手だ。本人が不眠を隠したがっているのにほぼ直球で聞いてしまった。でもこうでもしないと言ってもらえない気がしたのだ。

「枕の高さとか柔らかさとか、マットの硬さとか…」
「…特に」
「ございませんか?」
「そうね…強いていうなら」

 私は思わず前のめりになる。やはり気になる事がある様だ。

「私の屋敷ではシーツを毎日替えていたの。ここは違う様ね」
「毎日ですか!私達は週に一度ですよ」
「そ、そうなの?」

 彼女の顔が歪む。信じられないといった表情が面白い。

「ここの方達は倹約家ですからねシーツすら必要最低限の物で回しているのです」
「…そう。少し気になっていたのだけど、別にいいわ」
「よろしいのですか?」
「ええ」

 何だ、ちゃんとこの屋敷の事情を理解してくれているではないか。使用人を顎で使い、贅沢を好むという噂だった筈だが。

「何が可笑しいの?」
「いえ、可愛らしい方だなと思いまして」
「?」

 確かに愛想はいい方とはいえない。感謝の言葉も言えないし、世話をされるのが当たり前といった態度も悪びれもせず出ている。受け取り手によっては、高飛車な貴族の娘として捉えられてしまうのも、何となく分かった。

 ただ、彼女はあまりにも無知なのだ。誰も教えてあげないからそんな態度を取っても平気な人間になってしまった。

 それなら教えてあげなきゃ。感謝を覚えれば、自立心が育てば、この子はもっと魅力的な子になる。それこそ、坊ちゃんも放っとけないくらいに。

 早速リネン室に向かい、ずっとしまってあった予備のシーツを取り出す。心配していた黄ばみもなく、通常の洗濯をするだけで大丈夫そうだ。

 ここの人達は洗うのは私がやるが(とは言っても3回に1回は坊ちゃんが手伝ってくれる)シーツをかけるのは自分でやる。なので洗ったシーツをベッドに置いておくだけでいい。だから彼女にもベッドメーキングのやり方を教えてあげよう。そうすれば気になった時に自分で変えられる。それが慣れたら次は洗濯だ。

「なんだかワクワクしてきちゃった」

 私も奥様も、息子が一人だけ。まるで娘が出来た様な感覚に嬉しくなる。どうやら奥様も彼女を気にかけており、キッチンに立つ事が増えた。だから少し舞い上がってしまっていたのだ。

「…はあ」

 洗った複数枚のシーツを畳む。やってしまった。
 坊ちゃんは彼女のお嬢様気質な所がどうも気に入らない様だ。分かっていた筈なのに、彼女がシーツの事を気にしていると口を滑らせてしまった。

「あの子、怒られちゃったかしら….」

 坊ちゃんが私達を大切にしてくれているのは分かるがこんな事くらいどうって事ないのに。後でこっそり謝りに行こうと思っていたら、人の気配を背後に感じて振り返った。

「あら!お嬢様!」

 するとそこにはおずおずとリネン室に入って来る彼女の姿が。

「もしや!坊ちゃんに何か言われました!?」
「…ええ」   

 何ということだ。今すぐ手伝って来いなど言われたのだろうか。どうやら坊ちゃんは彼女がうまく眠れていない事に気付いていないらしい。

「ああもうあの子は!どうか気にしないで下さいね、これくらいなんて事ないんですから」
「いいの。頭ごなしに言ってきたのには腹は立つけど。それにあなたに礼を言いたかったから」

 はっきりと苛立ちを示すお嬢様に思わず小さく吹き出す。坊ちゃんもきっと何も出来ない彼女に教えてあげたいのだろう。でももうちょっと言い方とかやり方があるでしょうに。坊ちゃんの言いたい事が全く伝わっていないんじゃ、意味がない。

「あの子はウィリアムズ領の事と私達の事となると冷静になれない所があるのです。それにあなたも含まれているという事ですよ」

 私がそう言うと、彼女の目が信じられないといった様に見開いた。

「そんな事はないわ。あの人、私の事が嫌いなのよ」
「いいえ。普通、どうでもいい人間には無関心なものです。そしてそれが一番怖い」

 そこで彼女が口を結んで黙った。思う所があったのだろうか。

「さ、シーツを畳みましょう!それから、ベッドメーキングもお教えします。坊ちゃんにとやかく言われたくないですからね」
「…そうね」

 それから私たちはシーツを一緒に畳んだ。覚束ないし何故か分厚くなってしまったけれど、初めてだからしょうがない。でもあれだけ髪の毛のセットもお化粧も器用に出来るのだ。後は慣れだ。

 その流れで私は夜眠れていないのではないかと聞いてみた。最初は言い淀んでいた彼女だけれど、やはりそうらしい。色々な要因はあるだろうけどまずはシーツから。それから一つ一つ解決してみようという事になった。

「そういえば、先程言っておられた礼とは何でしょう?」
「あ…」

 私が聞くと、お嬢様が口を開きかけてやめた。

「いえ、何でもないわ」

 私はわかってしまった。シーツを畳みながら彼女に伝える。

「礼だなんて…むしろあんな状態できちんと完食して下さった事にこちらが感謝したいくらいですよ」
「…あの時は、ありがとう」

 何だ、きちんとお礼も言えるじゃないか。それにこんなメイドごときの私の提案にも素直に聞いてくれる。この子は良い子ですよ、坊ちゃん。


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