戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃

文字の大きさ
上 下
10 / 16
第一章 満州事変〜町田忠治内閣総辞職

第十話 第二次ロンドン海軍軍縮会議の決裂

しおりを挟む
 第二次ロンドン海軍軍縮会議は、1930年10月に発効されたロンドン海軍軍縮条約の改正を目的としてイギリスの首都ロンドンで行われた国際会議のことである。

 まず、1934年6月に米英は第二次ロンドン海軍軍縮会議のをロンドンで行った。

 予備交渉において、アメリカはワシントン・ロンドン両軍縮条約の維持を大前提とした上で、各国のすることを主張、さらに一次対戦後から生じた米英の国力差の拡大から兵力比を従来までの1010108ことを提案したのである。

 当然、この主張にイギリスは猛烈に反発した。英国政府は、自体は考えていたが、本土・植民地間の通商路防衛や地中海での伊・仏海軍、軍備を拡大しつつあるドイツ海軍への対抗の為に、を真剣に考えていたのだ。

 さらに、英国側としてはヨーロッパをめぐる情勢への対応の為に急激に戦力を削減する必要はなく、ドイツの暴走などに対応するも考えていた。それなのにも関わらず、かつてイギリスの植民地であったアメリカに国力差を理由に兵力比を落とされることも屈辱的であった。

 アメリカ側としては、日英同盟の復活とも囁かれる状況で極東方面にあまり戦力を回す必要などないだろうし、現有戦力の二割削減や兵力比の変更など問題ないという比較的論理的な判断だったのだが、あのプライドの高いイギリス人にとってそれは禁句であった。

 これ以降の米英会談では、両者の主張は完全に平行線を辿った。悪化しつつあった欧州情勢への対策として、漫然と軍縮を進めることは出来ないと訴える英・マクドナルド首相と、イギリス側が多少の妥協のためにと要請した欧州で有事が起きた際の介入を完全に否定し、壊れた機械のように頑なに軍備削減を訴える米・ハル国務長官、合意などできるはずがなかった。

 同時に行われていた米英海軍での専門家協議でも双方の意見は対立し、結局米交渉団は一時的に帰国し予備交渉再開は10月へと持ち越された。

 そして、10月8日になると英・サイモン外相と松平恒雄まつだいらつねお駐英日本大使の間での予備交渉が開始された。日英間の交渉は、米英間のものとは比べ物にならないほど順調に進行した。

 町田内閣とそれを支持する昭和天皇の意向によって、独自行動を完全に封じられていた帝国海軍は、金剛型戦艦や天龍型軽巡洋艦を始めとするとそれに伴う質・量的制限の緩和、大筋ではワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の維持を訴えたのである。

 奇跡的に英国側と意見が一致したことにより、日英両国は共同で第二次ロンドン海軍軍縮会議へと臨むことを決意、協力してアメリカ交渉団の説得にあたることとなった。

 しかし、24日・29日の日米・米英間の交渉はどちらも上手くいかず、結局日英両国は予備交渉が不調のまま本会議へと臨むこととなる。

 そして、1936年1月に第二次ロンドン海軍軍縮会議が始まることとなる。エチオピア侵略の為にイタリアが脱退した為、参加国は日本・アメリカ・イギリス・フランスの四カ国のみであった。

 本会議における各国の主張は、予備交渉の時から全く変化していなかった。

 日英両国は、双方の要求を盛り込みワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の基本的維持と、、特例としてを主張した。

 フランスは、事前の予備交渉には参加していなかったものの、元々量的制限や潜水艦廃止に反対の姿勢であった為、現在の欧州情勢の悪化を念頭に日英の主張に大筋で賛意を示した上で、イギリスが建造予定の軽巡洋艦や代替建造艦にはことを主張した。

 そして問題のアメリカだが、予備交渉での主張を一つも取り下げず、逆にを追加で訴えるという、交渉を成功させる意志を感じさせないような対応を行ってきたのである。

 アメリカの暴挙に日英仏は当然激昂したのだが、一応アメリカ側にも理由があった。

 まず、表向きの理由としては、日英関係の改善に伴い日英海軍の戦力が低下しても問題がないだろうという判断があった。

 それに加えてルーズベルト政権が、満州事変以後の東アジア情勢にアメリカ政府が殆ど介入することが出来ず、ルーズベルト大統領が推進したニューディール計画は行き詰まりを見せるという政権の失点を何とか取り戻そうと、軍縮条約において主導権を取ろうと試みたことが原因であった。

 そして、裏の理由としては、ルーズベルト大統領が行き詰まっていたアメリカ経済を刺激する策として陸海軍の増強を画策、ことを目論んでいたのである。

 だが、アメリカの思惑とは異なり日英仏は協力して冷静に軍縮条約継続を訴え続け、国際的な世論も徐々にアメリカへ否定的となり始めた。そもそも、国際連盟に加盟していないアメリカなんかに従う義理があるかという欧州各国人特有のプライドも影響し、欧州に関しては反米的姿勢が強まっていた。

 この予想外の動きに、ルーズベルト政権は当然慌てた。このままでは、正義の国家アメリカの白人の妄想であるアメリカ合衆国が非道な国家という不当な評価を受けてしまうのだ。

 この情勢の変化を受け、ルーズベルトは急遽第二次ロンドン海軍軍縮会議に対する演説を行い、その中で「条約締結はもはや困難であり、軍備増強を企てる各国に対抗する為にも、ワシントン・ロンドン条約を破棄し正義のアメリカとしての責務を全うする」と宣言、堂々と本会議からの脱退を世界に知らしめたのである。

 軍縮提唱国であったアメリカによるワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の破棄は、第二次ロンドン海軍軍縮会議を決裂させWW1以降続いていた軍縮を完全に終わらせたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

【架空戦記】蒲生の忠

糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。 明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。 その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。 両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。 一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。 だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。 かくなる上は、戦うより他に道はなし。 信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

日は沈まず

ミリタリー好きの人
歴史・時代
1929年世界恐慌により大日本帝國も含め世界は大恐慌に陥る。これに対し大日本帝國は満州事変で満州を勢力圏に置き、積極的に工場や造船所などを建造し、経済再建と大幅な軍備拡張に成功する。そして1937年大日本帝國は志那事変をきっかけに戦争の道に走っていくことになる。当初、帝國軍は順調に進撃していたが、英米の援蔣ルートによる援助と和平の断念により戦争は泥沼化していくことになった。さらに1941年には英米とも戦争は避けられなくなっていた・・・あくまでも趣味の範囲での制作です。なので文章がおかしい場合もあります。 また参考資料も乏しいので設定がおかしい場合がありますがご了承ください。また、おかしな部分を次々に直していくので最初見た時から内容がかなり変わっている場合がありますので何か前の話と一致していないところがあった場合前の話を見直して見てください。おかしなところがあったら感想でお伝えしてもらえると幸いです。表紙は自作です。

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

信長の秘書

にゃんこ先生
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。 それは、武家の秘書役を行う文官のことである。 文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。 この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。 などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。

永艦の戦い

みたろ
歴史・時代
時に1936年。日本はロンドン海軍軍縮条約の失効を2年後を控え、対英米海軍が建造するであろう新型戦艦に対抗するために50cm砲の戦艦と45cm砲のW超巨大戦艦を作ろうとした。その設計を担当した話である。 (フィクションです。)

処理中です...