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第一章 満州事変〜町田忠治内閣総辞職
第九話 天皇機関説問題
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急速な改革への反発は、国内の政争・動乱という形で現れることとなった。
既存政党によって引き起こされ、最初に問題となったのが天皇機関説問題である。
そもそも、天皇機関説とは1912年3月に憲法学者である美濃部達吉が発表した憲法講話に記されている内容で、天皇主権説を否定し議会が独自の機能を持つことを理論的に基礎づけ、国家が統治権の主体であるべきという主張だと一般的には知られている。
そんな天皇機関説だが、当然不敬であるという意見が出てくるのである。それが爆発したのが、1935年2月18日の貴族院本会議で行われた菊池武夫議員の演説である。
菊池は、この演説の中で当時貴族院議員を務めていた美濃部達吉議員の天皇機関説は国体の背く学説であり、美濃部を学匪・謀叛人などと非難したのである。
同年2月25日に行われた、美濃部の釈明演説で決着したかに見えたこの問題は、3月に入ってまたもや蒸し返され陸軍皇道派や立憲民政党・立憲政友会によってさらに攻撃されることとなる。
1935年頃の帝国陸軍は、石原莞爾・永田鉄山ら統制派が後押しした満州事変の成功や、林銑十郎ら宇垣閥が主導した河豚計画の成功により、統制派と宇垣閥が軍内の勢力を占めており、皇道派は劣勢に追い込まれていた。
それ故に、皇道派の構成員達は「町田忠治率いる挙国一致内閣などという君側の奸を討ち、国体を明徴にし天皇親政を実現すべき」と焦っていたのだ。
そこに、陸軍出身の菊池が天皇機関説を非難したのは彼らにとって救いであった。この問題を強硬に追求し、国民の支持を取り付けることができれば、昭和維新にも近づき陸軍内でも主導権を握ることができると考えたのである。
一方、政党政治を代表する二大政党が美濃部達吉を攻撃したのには、あまりにも愚かな政治的な理由があった。
町田忠治内閣の成立以降、挙国一致内閣の名の下で事実上政党政治は終焉を迎えたのだが、町田内閣の政策が殆どの国民に支持される素晴らしいものすぎた反動により、既存政党にもはや価値はないと国民の間で囁かれるようになったのである。
今の国民の感覚としては、ようやく認められた普通選挙で選出した政党の議員達は政争に明け暮れ国民の味方をせず、現実的でない過剰な政策を行い国家を混乱に貶めている。政党なんぞに次の内閣を渡すのは、非現実的な選択肢だ。という大正デモクラシーの時代には考えられないような事態になっているのである。
それ故に、政党の面々は恐怖していた。何としてでも町田内閣を倒し政党政治に戻さなければ、自分たちの政治生命は断たれてしまうし、国民から第一次護憲運動のような過激すぎるバッシングを受け、真面目に命が危なくなってしまう可能性もあるのだ。
だから、彼らは天皇機関説問題に食いついたのである。これなら勝てると。天皇陛下からかなりの信頼を得ていると言われている町田内閣が天皇機関説を認めたら、天皇陛下を信奉する多くの国民達の手によって天皇機関説ごと内閣が吹き飛ぶ可能性が高いし、認めなかったら昭和デモクラシーなどへの対応などで国民の真の味方などと言われていた町田内閣が揺らぐ可能性は高い。
そんな、冷静なのか狂っているのか分からない判断を下した両政党は、この天皇機関説問題を取り上げて美濃部達吉ならびに町田内閣を攻撃したのだ。攻撃してしまったのだ。
新聞などの主要メディアが報道を始め、国民の関心が町田内閣に集まる中、1935年8月3日に町田首相は「立憲主義に基づく国体明徴に関する政府声明」を高らかに発した。
この立憲国体声明において、町田内閣は天皇機関説は大正から変わることなく国家公認の憲法学説であり、昭和天皇自身も天皇機関説を当然のことと受け入れている。
また、国家の安定の為に大日本帝国憲法では天皇大権が認められているが、決断に関する責任の重さを歴代の天皇陛下は常時感じており、天皇陛下の負担を軽減する為にも内閣は天皇陛下の権限の一部を代行していき、最終的には憲法の改正も目指すと訴えたのである。
この声明発表は、国民に大きな衝撃を与えた。天皇陛下が天皇機関説を受け入れていたということも驚きではあったが、歴代の天皇陛下が天皇大権に負担を感じられていたということは、国民にとって寝耳に水の話だった。
日本国民は、ようやく察したのだ。天皇は、現人神であっても神ではないのだと。人間でありながら同時に神でもある天皇陛下にとって、明治維新以来続く激動の時代で天皇大権を有することには、大きな負担があったのだろうと。
多くの国民は、大正天皇があまりにも早く崩御されたということを覚えており、その原因が天皇大権の行使に関する責任の重さなのではなかったのかと痛感したのである。
これにより、天皇機関説問題は完全に吹き飛んでしまった。そもそも、天皇機関説を天皇陛下が受け入れていると分かったなら何も問題はないのである。そんなことよりも、天皇陛下の負担を軽減するために政治改革を行わなければいけないと多くの国民が天皇機関説問題に関心を持たなくなってしまったのである。
結局、陸軍皇道派は天皇陛下のお気持ちを察することができないとしてさらに勢力を削られることとなり、立憲政友会と立憲民政党は国民からの支持を失い、衆議院では党利党略から脱却すると訴えた無所属の議員たちに主導権を握られることとなる。
そして、天皇機関説問題の発端である菊池武夫議員は、天皇陛下のお気持ちを理解できず、無駄な議論を行なってしまったことを謝罪し貴族院議員を辞職、その後二・二四事件の発生の一つの原因を作ってしまったことを死をもって詫びるとして自殺した。
大日本帝国憲法と天皇陛下を巡り国内が動揺している中、1935年12月9日からイギリスのロンドンではロンドン軍縮条約の改正と延長を巡り第二次ロンドン海軍軍縮会議が始まろうとしていた。
既存政党によって引き起こされ、最初に問題となったのが天皇機関説問題である。
そもそも、天皇機関説とは1912年3月に憲法学者である美濃部達吉が発表した憲法講話に記されている内容で、天皇主権説を否定し議会が独自の機能を持つことを理論的に基礎づけ、国家が統治権の主体であるべきという主張だと一般的には知られている。
そんな天皇機関説だが、当然不敬であるという意見が出てくるのである。それが爆発したのが、1935年2月18日の貴族院本会議で行われた菊池武夫議員の演説である。
菊池は、この演説の中で当時貴族院議員を務めていた美濃部達吉議員の天皇機関説は国体の背く学説であり、美濃部を学匪・謀叛人などと非難したのである。
同年2月25日に行われた、美濃部の釈明演説で決着したかに見えたこの問題は、3月に入ってまたもや蒸し返され陸軍皇道派や立憲民政党・立憲政友会によってさらに攻撃されることとなる。
1935年頃の帝国陸軍は、石原莞爾・永田鉄山ら統制派が後押しした満州事変の成功や、林銑十郎ら宇垣閥が主導した河豚計画の成功により、統制派と宇垣閥が軍内の勢力を占めており、皇道派は劣勢に追い込まれていた。
それ故に、皇道派の構成員達は「町田忠治率いる挙国一致内閣などという君側の奸を討ち、国体を明徴にし天皇親政を実現すべき」と焦っていたのだ。
そこに、陸軍出身の菊池が天皇機関説を非難したのは彼らにとって救いであった。この問題を強硬に追求し、国民の支持を取り付けることができれば、昭和維新にも近づき陸軍内でも主導権を握ることができると考えたのである。
一方、政党政治を代表する二大政党が美濃部達吉を攻撃したのには、あまりにも愚かな政治的な理由があった。
町田忠治内閣の成立以降、挙国一致内閣の名の下で事実上政党政治は終焉を迎えたのだが、町田内閣の政策が殆どの国民に支持される素晴らしいものすぎた反動により、既存政党にもはや価値はないと国民の間で囁かれるようになったのである。
今の国民の感覚としては、ようやく認められた普通選挙で選出した政党の議員達は政争に明け暮れ国民の味方をせず、現実的でない過剰な政策を行い国家を混乱に貶めている。政党なんぞに次の内閣を渡すのは、非現実的な選択肢だ。という大正デモクラシーの時代には考えられないような事態になっているのである。
それ故に、政党の面々は恐怖していた。何としてでも町田内閣を倒し政党政治に戻さなければ、自分たちの政治生命は断たれてしまうし、国民から第一次護憲運動のような過激すぎるバッシングを受け、真面目に命が危なくなってしまう可能性もあるのだ。
だから、彼らは天皇機関説問題に食いついたのである。これなら勝てると。天皇陛下からかなりの信頼を得ていると言われている町田内閣が天皇機関説を認めたら、天皇陛下を信奉する多くの国民達の手によって天皇機関説ごと内閣が吹き飛ぶ可能性が高いし、認めなかったら昭和デモクラシーなどへの対応などで国民の真の味方などと言われていた町田内閣が揺らぐ可能性は高い。
そんな、冷静なのか狂っているのか分からない判断を下した両政党は、この天皇機関説問題を取り上げて美濃部達吉ならびに町田内閣を攻撃したのだ。攻撃してしまったのだ。
新聞などの主要メディアが報道を始め、国民の関心が町田内閣に集まる中、1935年8月3日に町田首相は「立憲主義に基づく国体明徴に関する政府声明」を高らかに発した。
この立憲国体声明において、町田内閣は天皇機関説は大正から変わることなく国家公認の憲法学説であり、昭和天皇自身も天皇機関説を当然のことと受け入れている。
また、国家の安定の為に大日本帝国憲法では天皇大権が認められているが、決断に関する責任の重さを歴代の天皇陛下は常時感じており、天皇陛下の負担を軽減する為にも内閣は天皇陛下の権限の一部を代行していき、最終的には憲法の改正も目指すと訴えたのである。
この声明発表は、国民に大きな衝撃を与えた。天皇陛下が天皇機関説を受け入れていたということも驚きではあったが、歴代の天皇陛下が天皇大権に負担を感じられていたということは、国民にとって寝耳に水の話だった。
日本国民は、ようやく察したのだ。天皇は、現人神であっても神ではないのだと。人間でありながら同時に神でもある天皇陛下にとって、明治維新以来続く激動の時代で天皇大権を有することには、大きな負担があったのだろうと。
多くの国民は、大正天皇があまりにも早く崩御されたということを覚えており、その原因が天皇大権の行使に関する責任の重さなのではなかったのかと痛感したのである。
これにより、天皇機関説問題は完全に吹き飛んでしまった。そもそも、天皇機関説を天皇陛下が受け入れていると分かったなら何も問題はないのである。そんなことよりも、天皇陛下の負担を軽減するために政治改革を行わなければいけないと多くの国民が天皇機関説問題に関心を持たなくなってしまったのである。
結局、陸軍皇道派は天皇陛下のお気持ちを察することができないとしてさらに勢力を削られることとなり、立憲政友会と立憲民政党は国民からの支持を失い、衆議院では党利党略から脱却すると訴えた無所属の議員たちに主導権を握られることとなる。
そして、天皇機関説問題の発端である菊池武夫議員は、天皇陛下のお気持ちを理解できず、無駄な議論を行なってしまったことを謝罪し貴族院議員を辞職、その後二・二四事件の発生の一つの原因を作ってしまったことを死をもって詫びるとして自殺した。
大日本帝国憲法と天皇陛下を巡り国内が動揺している中、1935年12月9日からイギリスのロンドンではロンドン軍縮条約の改正と延長を巡り第二次ロンドン海軍軍縮会議が始まろうとしていた。
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