戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃

文字の大きさ
上 下
7 / 16
第一章 満州事変〜町田忠治内閣総辞職

第七話 町田改革(2)昭和デモクラシー

しおりを挟む
 町田内閣による列島改造五カ年計画が進んでいく中、国内情勢も大きく動き出そうとしていた。

 1934年から始まった、である。

 満州特需及び朝鮮特需によって日本経済が好転する中、人々は町田内閣に対しかなりの期待を抱くようになっていた。考えてみれば当然のことではあるが、それ故に現状に不満を持っていた人々は立ち上がったのである。町田首相ならなんとかしてくれると信じて。

 まず、地方自治拡大運動だが、これは廃藩置県以来中央政府の影響力が強かった地方自治体において、更なる自由を求める形で行われた大正デモクラシー時の普通選挙運動の延長線上のようなものであり、列島改造が進む中で現状の地方議会では決められないことがあまりにも多かったことが引き金となって始まったものである。

 ただ、普通選挙運動とは違い、中央政府の権限が強いことが行政上の手間となっている所が多分にあると考えていた地方自治体の公務員たちも、この自治拡大運動を陰ながら支持していた。

 一方、台湾自治拡大運動は、1914年の台湾同化会設立以来続いていた台湾総督府の中央集権的な特権の撤廃を求める運動が再燃するような形で始まったものである。運動の中核となったのは、であり台湾の地方自治実現を求める右派の政治団体であった。

 朝鮮自治政府では弾圧されていたはずのこの運動は、台湾経営が黒字で推移していたことと朝鮮人と異なり日本人と類似した真面目な姿勢が評価されていた為、現地の日本人も好意的にこの運動を受け止めていた。

 台湾総督を務めていた中川健藏なかがわけんぞうも、この運動には不可侵を貫くよう総督府に通達しており、逆に日本政府に対し台湾の地方自治を認めても良いのではないかと相談していたほどである。

 これらの運動を受け、1935年5月3日にが制定された。

 道州法では、これまで地方公共団体の最上位とされてきた道府県の上に、樺太州・北海道・東北州後の奥羽州・関東州・中央州・近畿州・瀬戸州・南西州・台湾州・南洋州後の大洋州の9つの州・道が設置された。

 また、東京府・大阪府はその人口・経済規模を理由にとされ、東京都・大阪都と改称され州から独立した存在とな理、行政上の問題点解消の為特別区の設置などの権限が認められた。

 地方自治法では、市区町村の首長の直接公選制や地方議会の権限拡大が認められ、中央政府からも多くの権限が委譲された。また、今まで官選であった府県知事を直接公選で選出することが可能となり、地方自治がさらに進むこととなった。

 ただ、道州知事については政略に走ることのない健全な地方政治実現の為、従来と同じ官選によって選出されることとなり、諸外国とは少し異なる形で地方自治の拡大が認められるようになる。

 また、大戦景気以来の好景気と国内改革による列島改造に期待を寄せた労働者・農民達も、大正デモクラシーをもう一度と再び立ち上がった。の始まりである。

 以前にもまして大規模となった労働運動において、労働者達は労働組合の合法化や労働者待遇の改善、労働者の権利の容認・拡大を要求し大々的に運動を行った。

 一方、全国的に行われるようになった農民運動において、農民達は小作農からの脱却の為にを展開し、地主制度の破壊を訴えた。

 これらの運動に、当初日本政府はあまり立場を明確にしていなかったものの、労働運動については財閥の弱体化や日本企業の健全な成長につながると考えられた為、比較的早く権利を認めても良いと方針が決まった。

 農民運動については、今まで手をつけていなかった地主制度との対決を意味しかねない事態に政府は方針も対応も示せずにいたが、農民運動を指導する左派が社会主義的姿勢を全面的に押し出し始め、農村出身の兵士達にも運動の影響が出始めていることが発覚したことで事態は動き出した。

 政府は、社会主義運動を予防する為に労働者・農民達の権利をある程度認めることとしたのだ。

 こうして、1935年5月22日にが制定された。

 労働基本法は、1911年制定の工場法を見直す形で制定されており、当時の国際基準をかなり満たすものとなっていた。

 条文には、労働条件の最低基準や労働時間などの制限、労働者の権利などが記されており、これによって労働者達はようやく大々的に労働運動に成功することとなる。

 余談だが、この法律に反対する議員及び財閥幹部の汚職事件が法律審議中に発覚したことで世論の多くの賛同を得る形で制定されており、町田内閣に更なる賞賛が寄せられることとなる。

 また、6月2日には調が制定された。

 農地調整法の制定に伴い、国家による地主小作地の買収が行われ低価格で小作人に対し売却されることとなり、事実上地主制度は破壊されることとなった。

 また、農業の機械化・大規模化を支援する為に、JAO日本農業機構が設立され低金利ローンによる融資や農業用機械の供与、栽培に関する提言などが行われることとなった。

 一方、小作人への適切な給与支払いや待遇改善、機械化の推進などを行い自ら地主制度の改革を推し進めた地主に対しては、強制買収は行われないということになり、農業運動の激化に危機感を覚えていた地主を中心に改革が行われた。

 結局地主制度は半壊し、残る半分の地主は地主改革に成功するという命運が分かれる結果に終わり、後世ではヨーロッパで起きた革命に準えてフランス式農業革命王政破壊・共和政イギリス式小作革命王族存続・議会の権利拡大と揶揄されることとなる。

 一見、順調に進んだ改革だが社会主義勢力の拡大や地主・財閥・一部議員からの強烈な反発を招くことになってしまった。当然、町田内閣も黙って見てるだけではない。飴と鞭を使い分けることで、彼らは問題を封じ込めようとしたのである。 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

連合艦隊司令長官、井上成美

ypaaaaaaa
歴史・時代
2・26事件に端を発する国内の動乱や、日中両国の緊張状態の最中にある1937年1月16日、内々に海軍大臣就任が決定していた米内光政中将が高血圧で倒れた。命には別状がなかったものの、少しの間の病養が必要となった。これを受け、米内は信頼のおける部下として山本五十六を自分の代替として海軍大臣に推薦。そして空席になった連合艦隊司令長官には…。 毎度毎度こんなことがあったらいいな読んで、楽しんで頂いたら幸いです!

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬
歴史・時代
一九四一年十二月八日。 日本海軍による真珠湾攻撃は成功裡に終わった。 さらなる戦果を求めて第二次攻撃を求める声に対し、南雲忠一司令は、歴史を覆す決断を下す。 「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ……。

処理中です...