戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃

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第一章 満州事変〜町田忠治内閣総辞職

第二話 国民政府連盟を退場す

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 関東軍による満州の武力制圧開始満州事変の報を受けた日本政府は、突然の事態に混乱しつつも動き始めていた。

 関東軍の上層部たる陸軍省と参謀本部は、臨時で開催した合同会議において関東軍の行動を「至極当然の物」と認定、閣議へ部隊の増派を要求すると決定した。また、海軍省と軍令部に対して朝鮮及び満州への兵力派遣の為、日本海への艦隊派遣を要請した。

 海軍省と軍令部は、演習という名目であればと日本海への艦隊展開を容認し、関東軍への増援部隊の護衛については、閣議において部隊増派が承認された場合、艦隊を追加で派遣すると内密に決定、通達した。

 陸海軍がひそかに連携をとる中、9月20日に満州事変後初の閣議が開催された。そして当然のごとく紛糾した。

 南次郎みなみじろう陸軍大臣と安保清種あぼきよかず海軍大臣を中心とする関東軍・朝鮮軍への増派の主張と、幣原喜重郎しではらきじゅうろう外務大臣を中心とする関東軍即時撤退の主張で閣内が完全に割れたのである。

 本来ならば、内閣の長たる若槻礼次郎わかつきれいじろう首相が決断・説得を行い場を収めるべきではあったが、軍部の主張にある程度納得できる点があるものの、立憲政友会総裁として幣原外交対中融和外交を続けてきたことが、若槻の決断を迷わせていた。

 意見が真っ二つに割れ、閣議決定から程遠かった状況を変えたのは、閣議開始から一時間が経過した午後二時のこと。陸相秘書官が、血相を変えた様子で会議室内に飛び込んできたのだ。

 「り、陸軍大臣!大変なことが!」

 「落ち着け、何があった!」

 南は、慌てている秘書官を何とか落ち着かせ、報告をするよう促した。閣議中の秘書官の入室は、本来は咎めるべきことなのだが、この状況での緊急報告に全員が何かあったと確信しており、秘書官の言葉を静かに待っていた。

 「はい。朝鮮軍が第19師団を越境させました!朝鮮軍司令部からの緊急電によりますと、国境付近で中国軍に襲われた居留民を保護し、在満州邦人が襲われるような事態を防ぐための措置ということで、司令官の林中将は『帝国臣民ヲ護ル為ナラバ軍人トシテ全テヲ投ゲダス覚悟アリ』と…」

 「なっ、何だと!」

 秘書官から伝えられた報告は、閣議に参加していた全員に衝撃を与えた。そしてこの報告は、増派を主張する一派に対する追い風となった。

 「総理!先の報告にも合った通り、満州における中国軍の行動は限度を超えているものです。陸軍は朝鮮軍の行動を認め、朝鮮軍へ本土から増援を派遣することを要求します!」

 「海軍としては陸軍の意見に賛成です。我々帝国陸海軍は、国際協調や外交姿勢に縛られ、有事の際に自国民を守れないような組織に成り下がったつもりはないと断言させてもらう!」

 南・安保の両名の力強い主張は、閣議に参加した多くの者を納得させ、遂に首相の若槻も覚悟を決めた。

 「分かった。日本政府は、関東軍・朝鮮軍の独断行動、増援派遣を容認する」

 「総理!それは…」

 「外務大臣。国際協調はもちろん大切だ。しかし、今回の中国軍の行動は限度を超えていると言わざるを得ない。君は、目の前で溺れている人がいても、周りの人が反対していたら助けない薄情者ではないだろう?」

 「…はい」

 幣原もさすがに反論はできず、若槻内閣は関東軍・朝鮮軍の行動を容認し、行動の正当性を国際社会にも認めさせるために動き出した。

 1931年9月21日、国際連盟日本代表兼駐仏大使の芳澤謙吉よしざわけんきちは、国際連盟事務総長エリック・ドラモンドに対し満州及び日中国境で発生した事態を説明、その上で「国際連盟規約第十一条に基づき、中国東北軍の行動について事務総長は即時理事会を開き、速やかに明確且つ有効な方法を講ずるべき」とほぼ要求に近い要請を行った。

 また外務省は、松平恒雄まつだいらつねお駐英大使・芳澤謙吉駐仏大使・吉田茂よしだしげる駐伊大使に各国へ秘密交渉を行うよう指示、事態収拾後の満州経済への優先的参加を条件に交渉が行われた。

 この秘密交渉は、満州国臨時軍事顧問に就任していた石原莞爾いしわらかんじによって伝えられた「石油資源湧出の可能性大」の情報が功を成し、イギリス・イタリア両国は連盟において日本への協力を約束、フランスも中国側に偏らず中立的判断を行うことを誓った。

 同年12月10日、国際連盟理事会は国際連盟日支紛争調査委員会リットン調査団の設置を決議し、委員長のヴィクター・ブルワー=リットンを含む五人を委員として選出した。

 調査団は、1932年1月19日に横浜港に到着すると、東京・上海・南京・漢口・北京を視察、2月に満州地域を訪れ1か月間に渡り調査を行った。調査団は、満州王国独立記念式典への参加や愛新覚羅溥儀あいしんかくらふぎへの謁見を行い、東京で報告書を作成すると8月にイギリスに帰国した。

 9月1日、連盟理事会に報告書が提出され、翌日には全世界に公表された。

 報告書では、中華民国東北部の現状として、
 『ただの荒野であった地元住民の大半がいまや支那人になっており、これは日本の地域経営の成果である』
 『満州の主要軍閥勢力であった張作霖はこの地域の独立を目指していたのではなく、あくまでも支那の正当な政権であると宣言していた』
 『支那中央政府の権力が脆弱であり、日本人が保護されていない』  
 『支那東北部政府は、権力争い・政治腐敗の進行の結果、地元住民に対し重税や正当性に欠ける強制逮捕・物資供出を行わせている』
 と述べられている。

 そして事変の経過について、
 『柳条湖事件及びそれに伴う日本軍の行動は、中国軍からの自衛的行為と言える部分が多く、また地元住民の多くが日本軍の行動を支持していた』
 『満州王国は、日本軍の関与は確かにあったものの地元住民や王国内に存在していた中小軍閥の多くが自発的に独立運動へ参加していた』
 と論じられ、
 『民族自決の観点とソビエト連邦の南下阻止という点から、国際連盟は満州王国を承認し完全なる独立国となるように連盟から政治・軍事顧問団を派遣し指導を行うべきである』
 『建国したばかりの満州王国防衛の為、有事の防衛戦闘などに行動を制限したうえで、日本軍の満州駐屯を容認すべきである』
 と結論付けた。

 この報告書提出に伴い、1932年11月24日の国際連盟総会において「日支紛争に関する国際連盟特別総会報告書」の採択が行われた。

 総会報告書に対する同意確認で、賛成43票・反対1票中華民国投票不参加1票チリの結果が判明し、国際連盟規約第15条の条件が成立、日本政府の主張は名実ともに認められたのである。

 中華民国代表団首席代表の顔恵慶がんけいけいは、これを不服としてその場で退場、中国政府は12月27日に脱退を決定した。

 日本政府の素早い行動と根回しは、国際連盟の満州王国承認と中華民国の孤立という結果を生んだのであった。
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