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智紀

死は誰の上にも唐突に訪れる

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段ボールに入った子猫が。
川に流されている……だと……!?


子猫を運んでいる段ボールは、水かさの少ない川を引っ掛かりもせずに流れてくる。
漫画やドラマなどでは、昔良く見た光景だが。

実際に、こんな酷いことをする人間がいるのか?
しかし、この悲しげな声は、本物であろう。

僕は決して青春ドラマに出てくるようなナイスガイやヒーローではないが。

他に、気付いた者もいないようだ。
ぼんやりと見ていたら、子猫がどこまで流されてしまうかわからない。


やるしかないか。


*****


どっこいしょ、と手すりを越えて。

コンクリの斜面を、這うように降りていく。
2メートル近くあるコンクリートの地面までひらりと着地できるような身体能力は無い。絶対に骨折する。

うっかり何もない所で転んで、左手首にヒビを入れてしまってから、自分の体力については過信しないことにしている。
年をとると骨が弱くなるのだ。骨粗鬆症まではいかないが。

降りるときに肘を擦ってしまった。
利き手じゃなくてよかった、と思うのは職業病だろう。漫画なんか、もう描く気になってなかったくせに。


川底は浅い。
コンクリートで固められているため、水草が生い茂っていて足を取られることもない、溝のような川である。

とりあえず靴は脱いだが。
裸足で入る勇気は無いので、靴下は穿いたまま、川に入った。

こちらに流れてくる段ボールを待ち構える。

無事キャッチし、持ち上げて。
段ボールの中を覗いてみた。

中にはぼろきれと、可愛らしい子猫が2匹入っていた。

白いのと、サバトラ、というのだったか。ふわふわな毛。
生後2ヶ月くらいだろうか?

こんな可愛らしい、小さな命を川に流して捨てるなんて。
惨い真似をする人間がいるものだ。


しかし、うちのアパートで動物は飼えないし。
獣医に連れて行って、貰い手を探すか?


段ボールを抱えたまま、ぼんやりと悩んでいたら。


*****


どうしましたかー、と。上から声が聞こえた。

大学生らしい青年が数人。
上からこちらを覗きこんでいたのだ。


「え、あの、猫が、」
段ボールを掲げて、あわあわしてしまう。

年下だろうが、見知らぬ人とはまともに会話もできない。
いい年して恥ずかしいが。

もう辺りは薄暗い。
赤面しいててもわからないことを祈る。

しかし、学生達はこちらの様子など気にしてないようで。

「えー、川に子猫が流されてたって」
「捨て猫? ひでえなー」
「おにーさん、その猫飼うのー?」

お兄さん、という年齢ではないが。薄闇では若く見えるのかもしれない。
しかし、おじさんです、と訂正するのも悪い気がする。

「や、いえ、うちは、ペ、ペット禁止で」

一人の学生が手を振って。
「じゃ、うちで引き取るよ。多かったら、貰い手探してあげる。ツテあるし」

あなたが神か……!


「受け取るから。貸してー」

神、いや彼は身軽にひらりと手すりを乗り越えると。

手すりに掴まりながら、こちらに手を出してきた。
段ボールを寄越せ、というのだ。

どうにか背伸びをすれば渡せるだろう高さなので、頭上へ持ち上げた。


*****


無事、猫達は学生の手に渡った。

彼らは段ボールを覗き込んで。
「2匹か。じゃあ大丈夫だ。両方、貰っちゃっていいかな?」

いいと思う。
ぶんぶん頷いてみせる。


「あ、登るなら俺ら手ぇ貸すよ?」
他の学生らも、手すりを乗り越えようとしている。

なんと親切な学生だろう。
日本もまだまだ捨てたものではない。

「だ、大丈夫。この先に、ハシゴあるから」
先方を指差した。

少し歩いたところに、水質などの検査用だろうか、ハシゴが備え付けられているのは知っていた。

そこから降りればよかったのでは、と今頃気づいた。


無駄に擦り傷を作ってしまった。
我ながら要領が悪い。

それに、もしかして、僕が降りていかなくても。
彼らが猫に気付いて、ひらりと身軽に助けに行っていたかもしれない。

時間の問題だったのでは?


「そっか。じゃあ俺、ダッシュでこいつらにゴハンやんないとだから! お兄さん、いい人だね!」


学生達は去っていった。
俺にも触らせて、とか楽しそうな声が聞こえる。

いい人は、君らだよ……。
そう思いながら、無言で見送った。


*****


こんな時に、気の利いたセリフの一つでも出るようなセンスがあれば、売れっ子になれたのかもしれないが。
持って生まれた性分である。

もうこんな年齢じゃ性格など変えられないし、天と地がひっくり返るような事象でもなければ変わらないだろう。


水を吸った靴下は気持ち悪いが。
何となく、いいことをした気分になる。

気持ちのいい学生達に会えたからか。
あんな若者がいるなら、日本の未来もまだ安泰だ。


塞ぎこんでないで、新しいネタでも考えるか。

気持ちが前向きになったところで、歩き出そうとしたが。
コケか何かに滑って、派手に転んでしまった。


「むぐ、」
咄嗟に手が出ないのは、職業病だろう。


僕の頭は、川底にあった、溝のようなものにすっぽりと挟まれてしまっていたのだ。


起き上がろうとしても、がっちりと嵌ってしまっていて、びくともしない。
腕立て伏せくらいできるように鍛えておけば良かった、と思っても後の祭りである。

人間は、運が悪ければ15cmほどの水溜りでも死ぬというが。
今まさに、その状況に陥っている。


息を止めるのも限界で。
鼻から口から、気管に水が流れ込んでくる。


*****


あ、これ、死ぬ。

と思った。
考えてみれば、実りの無い人生だったな。


でも、最後に間接的にだが、子猫たちの命を助けられたし。
この世に未練など。


……いや、死にたくない! こんな死に方はイヤだ!


もがいているうちに、目の前が、真っ暗になって。


恐らく、僕は死んだのだ。
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