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三章 一陽来復
鞠躬尽瘁
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宦官の男は言った。
ここに来て。自分はもはや、人間ではないように思えた。
他の官僚は、自分を人間扱いしなかったから。
だけど、広陵丞相だけは違った。
茶を煎れれば礼を言われ、挨拶もしてくれる。
皇帝の直属、三公。丞相ともあろう方が。はるか雲の上のお方、殿上人であるのに。
嬉しくて、舞い上がった。
憧れが、恋心に変わるのに時間は掛からなかった。しかし。
恋した相手が別の人と愛し合うのを見届なければならない苦しさに耐えられなかった。
更に、その後始末をさせられるのが、どんなに辛かったことか。
だから。
すべて灰にしてやろうと思った。
寝具に香油を染み込ませて。床は、油で磨いた。
毎回、たっぷり使うから。
今更、匂いで気付かれることはないと思った。
そこに火を放ち、自分も死ぬつもりだった。
そう、涙ながらに語った。
*****
宦官の男は刑部尚書が大理寺まで連れて行くそうだ。
これから更に細かく取調べを受け、この男の一族郎党、全て死罪となる。
それほどの大罪であるのに。
何なのだ、そのふんわりとした動機は。
仁は、皇帝の乳母であるが、位としては宦官であった。
乳母が権限を持っては教育的に差し障りがある、という慣習からである。
私も初めは宦官であったが、後に教育係に任じられ、文官の位を授かった。
いわば同僚のようなものだった。
当たり前のように挨拶をし、当たり前のように礼を言った。
それが。
私の行いが、この度の事件を招いたと?
「私に懸想をした男が、陛下を……?」
それでは。
私が原因なのではないか。
「丞相、」
武公が、私の肩を掴んだ。
「皇帝弑逆は、未然に防がれた。……違いあるまい?」
「ああ。事件は、起こらなかった」
崔公も頷き、私の背を叩いた。
何も起こらなかった?
しかし。
陛下は、戻ってこないではないか。
何故。
「これより、現場検証を始める。悪いが邪魔なので、出て行って欲しいのだがね。陛下、今宵は丞相の私室でご就寝ください」
武公は私と陛下の背を押し、黄央殿より追い出した。
*****
丞相の私室である青震殿へ案内し。人が居ないことを確認した後。
私は地に伏せ、陛下に謝罪をした。
「先程は……その、面目次第もなく……」
演技などではなく。
危うく、陛下に不埒な真似を。
「いーよ、俺が無神経な計画立てたのが悪い。でも、寝ずの番は続行だからな?」
陛下は軽く流し、私の寝台に横になった。
何と、度量の広いお方だろう。
あのような不埒な真似をした私を。責めぬ上に、自分の咎とされるとは。
……あの、床単や枕を匂われても。
ここで香油を使うような行いはしていないので、発火の危険はないと思われるが。
念のため、他に危険はないか、部屋中点検しておくことにしよう。
「皇帝……朱亮はさ。あんたのこと、どうしても助けたかったんだよ。だから最期の力を振り絞って、俺をここに連れて来たんだ」
陛下は。
私を優しい目で見ていた。
「亮が……、私を……?」
「朱亮は、あんたには生きていて欲しいって願ったんだ」
私は。
来世も共に、と誓ったはず。
しかし。
陛下は。亮は……共に死ぬことを選ばなかった。
天子の力で、かれを呼び寄せて。事象を捻じ曲げ、未来を変えてみせたのだ。
自分は消えても。
私を、生かそうと?
「もし。後を追おうなんてしてみろ。ぶっ飛ばされるぞ。だから、……せいぜい長生きしろよな」
陛下は寝返りを打つように、私に背を向けた。
「……はい……」
*****
見抜かれていたか。
ことの顛末を見届け次第、亮の後を追おうとしていたことを。
私の浅い考えなど、この陛下の前ではすべて詳らかにされてしまうのだな。
さすがは皇帝の器を持つだけの方だ。
……私は、これより人生全てを貴方に捧げましょう。
音を立てないようにして、部屋中を点検する。
やはり、危険物も毒物も仕掛けられていなかった。懐剣も鳴っていない。
丞相である私を狙う者がいても、この部屋は荷物置き程度にしか使われていないことは暗黙の了解であった。
ここに来て。自分はもはや、人間ではないように思えた。
他の官僚は、自分を人間扱いしなかったから。
だけど、広陵丞相だけは違った。
茶を煎れれば礼を言われ、挨拶もしてくれる。
皇帝の直属、三公。丞相ともあろう方が。はるか雲の上のお方、殿上人であるのに。
嬉しくて、舞い上がった。
憧れが、恋心に変わるのに時間は掛からなかった。しかし。
恋した相手が別の人と愛し合うのを見届なければならない苦しさに耐えられなかった。
更に、その後始末をさせられるのが、どんなに辛かったことか。
だから。
すべて灰にしてやろうと思った。
寝具に香油を染み込ませて。床は、油で磨いた。
毎回、たっぷり使うから。
今更、匂いで気付かれることはないと思った。
そこに火を放ち、自分も死ぬつもりだった。
そう、涙ながらに語った。
*****
宦官の男は刑部尚書が大理寺まで連れて行くそうだ。
これから更に細かく取調べを受け、この男の一族郎党、全て死罪となる。
それほどの大罪であるのに。
何なのだ、そのふんわりとした動機は。
仁は、皇帝の乳母であるが、位としては宦官であった。
乳母が権限を持っては教育的に差し障りがある、という慣習からである。
私も初めは宦官であったが、後に教育係に任じられ、文官の位を授かった。
いわば同僚のようなものだった。
当たり前のように挨拶をし、当たり前のように礼を言った。
それが。
私の行いが、この度の事件を招いたと?
「私に懸想をした男が、陛下を……?」
それでは。
私が原因なのではないか。
「丞相、」
武公が、私の肩を掴んだ。
「皇帝弑逆は、未然に防がれた。……違いあるまい?」
「ああ。事件は、起こらなかった」
崔公も頷き、私の背を叩いた。
何も起こらなかった?
しかし。
陛下は、戻ってこないではないか。
何故。
「これより、現場検証を始める。悪いが邪魔なので、出て行って欲しいのだがね。陛下、今宵は丞相の私室でご就寝ください」
武公は私と陛下の背を押し、黄央殿より追い出した。
*****
丞相の私室である青震殿へ案内し。人が居ないことを確認した後。
私は地に伏せ、陛下に謝罪をした。
「先程は……その、面目次第もなく……」
演技などではなく。
危うく、陛下に不埒な真似を。
「いーよ、俺が無神経な計画立てたのが悪い。でも、寝ずの番は続行だからな?」
陛下は軽く流し、私の寝台に横になった。
何と、度量の広いお方だろう。
あのような不埒な真似をした私を。責めぬ上に、自分の咎とされるとは。
……あの、床単や枕を匂われても。
ここで香油を使うような行いはしていないので、発火の危険はないと思われるが。
念のため、他に危険はないか、部屋中点検しておくことにしよう。
「皇帝……朱亮はさ。あんたのこと、どうしても助けたかったんだよ。だから最期の力を振り絞って、俺をここに連れて来たんだ」
陛下は。
私を優しい目で見ていた。
「亮が……、私を……?」
「朱亮は、あんたには生きていて欲しいって願ったんだ」
私は。
来世も共に、と誓ったはず。
しかし。
陛下は。亮は……共に死ぬことを選ばなかった。
天子の力で、かれを呼び寄せて。事象を捻じ曲げ、未来を変えてみせたのだ。
自分は消えても。
私を、生かそうと?
「もし。後を追おうなんてしてみろ。ぶっ飛ばされるぞ。だから、……せいぜい長生きしろよな」
陛下は寝返りを打つように、私に背を向けた。
「……はい……」
*****
見抜かれていたか。
ことの顛末を見届け次第、亮の後を追おうとしていたことを。
私の浅い考えなど、この陛下の前ではすべて詳らかにされてしまうのだな。
さすがは皇帝の器を持つだけの方だ。
……私は、これより人生全てを貴方に捧げましょう。
音を立てないようにして、部屋中を点検する。
やはり、危険物も毒物も仕掛けられていなかった。懐剣も鳴っていない。
丞相である私を狙う者がいても、この部屋は荷物置き程度にしか使われていないことは暗黙の了解であった。
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