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三章 一陽来復
明目張胆
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陛下は、憂鬱そうな顔をされ。
溜め息を吐いている。
「陛下、お加減がよろしくないのでしたら、休まれたほうが……」
「……頼む」
力なく頷かれたので。
陛下の私室である黄央殿へとご案内した。
黒茶を淹れ、ヤクバターと岩塩を加え、攪拌器で脂肪を分散させる。
慣れた作業。慣れ親しまれた味である。
これで何か、思い出してもらえればいいという、期待も込め。
陛下に酥油茶をお淹れした。
「あ、美味しい……」
ほのかな塩気がいい、と。満足そうに微笑まれた。
「そうですか。陛下はこれを大変好んで飲まれてましたよ」
好みは同じ。
変わられてはいないのだ。
少し、安堵した。
完全に、私の知る陛下が消え去った訳ではないのだと。
*****
「これは元々、広陵一族の出身地……遊牧民が日常的に飲む物なのですが。私と……乳母がよく飲んでいたので、陛下も興味を持たれて。毎日のように淹れるのが日課となったのです。天子が口にするものではないといくら周りが諌めても、何処吹く風で……」
「そうなんだ」
初めて聞いた、という表情は、嘘ではなく。
「本当に、すべて。お忘れになってしまわれたのですね」
私のことも。仁のことも。
生涯、離さず側に置いてくれるという約束も。
黄金の気は、皇帝以外纏えぬもの。
この陛下は、以前の陛下とは違おうと、皇帝陛下であらせられることに間違いはない。
何故、記憶を失われてしまったのかはわからないが。
それも天命なのかもしれない。
ならば。
私は、忘れなければならない。
以前の陛下を。
これからは、丞相として。
ただの一家臣として、誠心誠意、陛下に仕えよう。
「先程は動揺して、とんでもないことを口走ってしまいましたことをどうかお許しください。記憶を失われましても、我が忠義は何一つ変わることなく仕えましょう」
深く、叩頭礼をした。
頭を上げると。
陛下は、深刻な表情で私を見ていた。
「……信じられないだろうけど。聞いてくれるか?」
*****
かれは、語った。
自分は朱亮ではなく、別人である。ここではない、別の世界から来たもので。
火災に遭い、危うく命を落とすところを陛下に救われ、皇帝の代わりを務めるよう言われたのだと。
陛下は寝所に火を放たれ、命を落とす運命だったのだろうこと。
最期の言葉が、司馬遷”史記”の一節だった、と。
「それと、俺と皇帝が同じ魂であれば、秘密の恋人はただ一人だけ。見たところ、耀が本物だろうと思ったんだ。つまり、他の三人は嘘を吐いている」
その中の一人か、もしくは複数が放火犯なのではないか、と。
成程。
それで、誰も信用できなくなり、困っていたのか。
その中で、私を信用して下さったのは嬉しいが。
「呪師の李公はおそらく、以前から陛下を慕っておりました故、私が口を滑らせたのを便乗したものかと思われます。崔公もまた同様かと。武公は意外でしたが……皆、陛下を心から慕われているのは同じことと存じます。まさか、寝所に火など……」
私を害する可能性はあっても、陛下に反旗を翻すような真似は絶対にしない。
それは確実である。
「いや、犯人があの中にいるかは確定じゃないんだけど。嘘を吐いてるわけだしさ、怪しいのは確かかな、と」
全く。
余計な嘘など吐くから、怪しまれるのだ。
見たところ、この陛下はかなり聡い。一度聞いただけの詩を諳んじる頭脳を持っている。
裏の裏を読まれる性格なのだろうことは、話を聞いてわかった。
かわいそうに。
死に瀕し、見知らぬ場所へ来られ、どれほど心細い思いをしたのか。
疑心暗鬼の中、唯一の味方を得たかったのだろう。
だから、私に真実を話してくれたのだ。それは甚だ光栄である。
その信頼に、報いねば。
*****
「とにかく、今まで以上に警備を固めねばならないようですね」
まさか、皇帝陛下の寝所に火を放とうなどとする輩がいようとは。
考えもしなかった。
しかし、時代の変化だろうか?
天子の力を失いかけていたとはいえ、皇帝に毒を盛ろうとした賊も居たのだ。
決して油断は出来ない。
溜め息を吐いている。
「陛下、お加減がよろしくないのでしたら、休まれたほうが……」
「……頼む」
力なく頷かれたので。
陛下の私室である黄央殿へとご案内した。
黒茶を淹れ、ヤクバターと岩塩を加え、攪拌器で脂肪を分散させる。
慣れた作業。慣れ親しまれた味である。
これで何か、思い出してもらえればいいという、期待も込め。
陛下に酥油茶をお淹れした。
「あ、美味しい……」
ほのかな塩気がいい、と。満足そうに微笑まれた。
「そうですか。陛下はこれを大変好んで飲まれてましたよ」
好みは同じ。
変わられてはいないのだ。
少し、安堵した。
完全に、私の知る陛下が消え去った訳ではないのだと。
*****
「これは元々、広陵一族の出身地……遊牧民が日常的に飲む物なのですが。私と……乳母がよく飲んでいたので、陛下も興味を持たれて。毎日のように淹れるのが日課となったのです。天子が口にするものではないといくら周りが諌めても、何処吹く風で……」
「そうなんだ」
初めて聞いた、という表情は、嘘ではなく。
「本当に、すべて。お忘れになってしまわれたのですね」
私のことも。仁のことも。
生涯、離さず側に置いてくれるという約束も。
黄金の気は、皇帝以外纏えぬもの。
この陛下は、以前の陛下とは違おうと、皇帝陛下であらせられることに間違いはない。
何故、記憶を失われてしまったのかはわからないが。
それも天命なのかもしれない。
ならば。
私は、忘れなければならない。
以前の陛下を。
これからは、丞相として。
ただの一家臣として、誠心誠意、陛下に仕えよう。
「先程は動揺して、とんでもないことを口走ってしまいましたことをどうかお許しください。記憶を失われましても、我が忠義は何一つ変わることなく仕えましょう」
深く、叩頭礼をした。
頭を上げると。
陛下は、深刻な表情で私を見ていた。
「……信じられないだろうけど。聞いてくれるか?」
*****
かれは、語った。
自分は朱亮ではなく、別人である。ここではない、別の世界から来たもので。
火災に遭い、危うく命を落とすところを陛下に救われ、皇帝の代わりを務めるよう言われたのだと。
陛下は寝所に火を放たれ、命を落とす運命だったのだろうこと。
最期の言葉が、司馬遷”史記”の一節だった、と。
「それと、俺と皇帝が同じ魂であれば、秘密の恋人はただ一人だけ。見たところ、耀が本物だろうと思ったんだ。つまり、他の三人は嘘を吐いている」
その中の一人か、もしくは複数が放火犯なのではないか、と。
成程。
それで、誰も信用できなくなり、困っていたのか。
その中で、私を信用して下さったのは嬉しいが。
「呪師の李公はおそらく、以前から陛下を慕っておりました故、私が口を滑らせたのを便乗したものかと思われます。崔公もまた同様かと。武公は意外でしたが……皆、陛下を心から慕われているのは同じことと存じます。まさか、寝所に火など……」
私を害する可能性はあっても、陛下に反旗を翻すような真似は絶対にしない。
それは確実である。
「いや、犯人があの中にいるかは確定じゃないんだけど。嘘を吐いてるわけだしさ、怪しいのは確かかな、と」
全く。
余計な嘘など吐くから、怪しまれるのだ。
見たところ、この陛下はかなり聡い。一度聞いただけの詩を諳んじる頭脳を持っている。
裏の裏を読まれる性格なのだろうことは、話を聞いてわかった。
かわいそうに。
死に瀕し、見知らぬ場所へ来られ、どれほど心細い思いをしたのか。
疑心暗鬼の中、唯一の味方を得たかったのだろう。
だから、私に真実を話してくれたのだ。それは甚だ光栄である。
その信頼に、報いねば。
*****
「とにかく、今まで以上に警備を固めねばならないようですね」
まさか、皇帝陛下の寝所に火を放とうなどとする輩がいようとは。
考えもしなかった。
しかし、時代の変化だろうか?
天子の力を失いかけていたとはいえ、皇帝に毒を盛ろうとした賊も居たのだ。
決して油断は出来ない。
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