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三章 一陽来復

五里霧中

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「何か証拠でもあるなら、出してみて欲しい」

「証拠、ですか」
恋人である証拠……?


「あっ、陛下の太股の付け根に、三つ並んだホクロがあります」

私に跨る際、発見して。
珍しいので注視していたら、あまり見るなと怒られたことがあった。

「え、マジで?」

本人が驚かれている。記憶が無いのなら、当然だが。
鏡を探しているご様子だ。

まさか、ここで確かめると? それは全力でお止めせねばなるまい。


*****


「陛下の乳兄弟ならば、それくらい知ってて当然では?」

李公は、自分も検査で見た、と言う。
何の検査で、そのような場所を診るのだ。

「オレも知ってたし」

崔公はあからさまに虚偽だとわかる様子だが。
何を考えているのか。


慌しい足音。

「陛下の一大事とは、何事か!?」
武公が駆けつけてきた。

この状況を収めて欲しいと思ったが。

「陛下が、記憶を失ったと……? 何ということだ……!」
と、陛下に歩み寄り。
椅子の背に、ドン、と手を突いた。

「……俺と、二世の愛を誓ったのも忘れたと?」


「武公もか……!」

まさか唯一の良心と思われた武公まで、この悪巫山戯に加わるとは!
裏切られた気分である。

皆、表立って態度に出さなかっただけで。
陛下の御相手を務めている私を、憎んでいたのだろうか。

虚偽妄言を吐いてでも、陛下を我が物にしたいと願っているのか。


*****


「じゃ、こちらの記憶もないことだし、すべて白紙に戻すってことで」

「却下!」
決して、白紙には戻させない。
私達の絆は、そのように軽いものでは無い筈である。


「だって、知らない人から突然自分は恋人だとか言われても困るよ。記憶が無いってことは、共通の思い出もゼロ。今の俺は、あんたたちの知ってる朱亮じゃないんだよ? 全然違う人なんじゃない? それでも好きだって言えるの?」

朱亮?
誰か、陛下の名をお教えしたか? 亮、とは呼んだ覚えはあるが。

李公は、首を傾げていた。


「話し方に威厳が無くなった以外は、あまり変わりなく見えますが」
私の言葉に陛下は、あからさまに嫌そうな顔をされた。

このような表情、今までの陛下はされたことがない。
感情を表立たせるのは、天子のすることではない、というお考えなのだ。

「ええ、王オーラが消えてるくらいで、だいたい同じですかね?」

覇気以外、同じ。
主治医である李公が言うのなら、本人に間違いはないのだろう。

しかし、この拭えない違和感は?

目は離さなかった。
入れ替わる時間など、無かった筈だ。

これまでの記憶を失くされただけではないのでは?


*****


 はなはまどう。しくは所謂いわゆる天道、是か非か……」

諳んじるその姿は、陛下そのものであった。
記憶が、戻ったのだろうか?


しかし。
「……って、今、頭に浮かんだんだけど。心当たりない?」

また、先程の覇気の無い陛下に戻られてしまった。

李公も崔公も武公も首を傾げている。
……何と情けないことか。大学試験の基本問題であろうに。


「司馬遷、ですよね。古代より伝わっているとされる歴史書なのですが。そのような歴史は存在しないため、偽書とされてます。陛下は大変嫌ってました」

嘘の話を、何故学ばねばならぬ、と。お怒りであった。
しかし、実に勉強になる逸話ばかりなので、大学の試験問題にも選ばれているものである。

天道是非。義を貫いた末に餓死したという兄弟の伝記を例に、この世の秩序や運命は果たして、正しい者に味方しているのか。そう問いかけるものである。

それを何故、今?


しんと静まった乾正殿に、振動音が響いた。
誰だ、智能手机けいたいの電源を落としていなかった不埒者は。

「失礼、」
武公が胸元を探り、智能手机を取り出した。

武公……。


「陛下。幽州にて問題が起きたようです。すぐに対処せねばなりませんので、失礼をお許しください」

仕事ならば仕方ない。
どの道、陛下の記憶喪失に、御史大夫が出来ることもないだろう。

この場では、かえってことをややこしくしているともいえよう。


「スミマセン、オレも呼び出しが!」
崔公も手を挙げて。

二人は拝礼をし、足早に去っていった。
嵐の如く、慌しい二人である。
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