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一章 華胥の夢

頂門一針

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「知ってるモノとか、元の世界と変わらないやつはいいけど、歴史とか違うんで、さっぱりだよ」

所変われば、常識も変わる。
だから、記憶喪失ということでいっそ何もわからない振りをした方が楽だと思ったんだ。


『それで、この世界のことを学ばれてるんですか。歴史が全く違うなら、大変でしょうに。勉強熱心ですね』
信季は感心してるが。

むしろ全然違うのが面白い。調べるのは、すでに習い性のようなものだし。
どこで派生して、どういう結果になったのか。興味津々だ。

「後を任されたし。自分の務めを果たさないといけないからな」

などと立派そうなことを言っているが。
実のところ、ただの趣味である。


『ご立派な志です。陛下が認められた陛下ですので、僕の忠義も変わらず貴方に捧げることにします』
信季は深々と礼をした。

「よろしく頼むよ、信季」

がっ、と手を握られて。
『条件は皆同じになったようですし。これからはめちゃくちゃ口説きますね!』

口説かなくていい。


*****


「にぎゃっ!?」
いきなり、脇をくすぐられた。

『隙だらけですよ? ダーリン』
ああ、 伯裕はくゆうか。

「誰がダーリンだ。俺は自分よりもでかい男をハニーとか絶対呼ばないからな」


用事を済まして戻ってきたようだ。
何故かアリババみたいな格好をしている。これは太尉の制服ではなくて、本人曰く、サービスらしい。
誰へのサービスだ。

チッ、いい腹筋見せつけやがって。


『今までの陛下なら、オレの気配に気付いて、拳骨くれたのになー』
悲しそうに俯いた。

マゾなのだろうか。

「そんなの知らないし……」


伯裕は。
後ろから、抱き締めるようにして。
俺の耳元で、囁いた。


『暗殺に対する訓練は、たとえ記憶を失っていても身体に染み付いてるはずですよ? ……陛下の顔をした、貴方はだれ?』


*****


伯裕は俺を見下ろした形で。
『それに、今の自分は、あんたたちの知ってる朱亮じゃない、って言ったよね。記憶が無いはずなのに。”朱亮”なんて名前、誰から、どこで聞いたの?』

……しまった。


皇帝が、名乗ったんだ。
自分は朱亮。姓は朱、いみなは亮、字は劫である、と。

通常、本人は諱を自称し、字を自称しない。
諱で呼ぶのは、親や主君や年長者など、特定の目上の人物だけ。

たとえば諸葛亮なら、”諸葛”が姓で。”亮”が諱。字が”孔明”だ。
諸葛孔明、というのは三国志演義くらいで。通常は”諸葛亮”というものだ。

官職についていれば、官職名で呼ぶことが優先されたから、丞相だったので同僚なら”諸葛丞相”と呼ぶ。
歴史上の人物だから、書物ではそういう表現でも大丈夫だけど。

尊き皇帝の名前を、そんな言い方するなんて。くらいしか、ありえない。


『みんな、”陛下”と呼ぶか、ごく親しい人間が”亮”って呼ぶ以外、そんな言い方はしてなかったはずだよね? 本人がそう名乗ったとしか思えない』
碧の目が、剣呑な色を帯びている。

さすがは軍のトップだ。真面目な顔をしていると、かなり迫力がある。
耀から渡された宝剣は鳴らなかったから、敵ではないんだろうけど。でもこわい。

『影武者かな? そんな大事なこと、オレは報告受けてないんだけど。武師父も知らないようだし。……本当に、顔はそっくりだな……』
頬を撫でられて。


『……陛下の御身にみだりに触れるな』
耀の声。カチリ、と音がした。

伯裕の首に、刃が当てられてるのが見えた。

お茶を取りに行ってたんだけど。
戻ってきたんだ。


『何言ってるの? この人、陛下じゃないでしょ? ……まさか、広陵丞相が、本物の陛下に……何をした? 陛下をどこへやった!?』
尋常でない殺気を感じて。

あ、これも違うと思った。


伯裕も、犯人じゃない。


*****


『いや~、陛下は広陵丞相がお気に入りだったから諦めてたけど、記憶が無いならオレにもチャンスの目があるかなって。つい。テヘッ』

伯裕はかわいこぶってみせたが。
すでに本性を見た後である。かわいくない。


事情を話して。
何であんな嘘吐いた、と問い詰めた末の答えがこれである。


やはり、恋人発言は便乗だった。わかってたけど。そんな理由かよ!
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