料理屋おやぶん

千川冬

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まんぷく竹の子ご飯

まんぷく竹の子ご飯-2

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 ねえおとっつあん、おっかさん。あたし今、みと屋っていう料理屋で料理人やってるんだよ。客はなかなか来ないけど、誰かの道を開ける飯を出せるよう、がんばってるよ。だからね。
 そう言おうとした瞬間。
 舞台の幕が下りたように、急に現実に引き戻された。
 ゆっくりと目を開けると、そこに映るのは薄暗い天井。
 どうやら夢を見ていたようだ。
 家族みんなで店をやっていた頃の記憶がよみがえり、あの頃には戻れないのだと突きつけられた心持ちになる。目尻に涙が浮かんだ。
 二度と会えないおっかさんに、元気にやってるよと伝えたかった。
 たとえ、夢の中だとしても。


 ここはみと屋の二階である。
 お鈴は着の身着のままで江戸に出てきたため、住む場所のあてもなかった。しかし上で暮らしていいと銀次郎が言ってくれたので、二階の部屋に寝泊まりしているのだ。ちなみに銀次郎と弥七は近くの長屋に部屋を持っている。
 少し開いた明障子あかりしょうじに目を滑らせると、空は僅かに白んでいた。もうすぐ夜明けのようだ。
 こんな明け方に目が覚めるのは珍しい。もうひと眠りしようかと夜具の中で身体を動かしかけた時だ。
 がたん。
 どこかで音がした。
 身体が強張る。気のせいだろうか。店の前を誰かが通ったのだろうか。己の身体を抱きしめる。
 がた、がたり。
 また、音がした。
 みと屋の一階だ。店の中か、厨房か。お鈴の足下で何かが起きている。
 もしも盗人だったらどうしよう。どこかに隠れるべきだろうか。とはいえ部屋には大きな箪笥たんすもないから隠れられる場所はない。二階に上がってこないかもしれないし、このまま布団にもぐり込んでいたほうが安全かもしれない。
 だがしかし。本当にそれでいいのか。
 銀次郎も弥七もいない今、みと屋を守れるのは己だけだ。大切なみと屋に悪さをする奴がいるのなら、決して許せない。
 不安と戦いながらしばらく逡巡し、震える手を握り締めて、小さく頷いた。
 音を立てないように夜具から這い出し、机に置いてあった文鎮を手に持ち、そっと階段に足をかける。心の臓が早鐘を打つ。一歩一歩、ゆっくりと階段を踏みしめる。
 一階に辿り着いた時に、奥からまたがたんどしん、という音が聞こえた。間違いない。厨房に何かがいる。
 足が竦み、がたがたする。懐剣のように文鎮を構え、少しずつ厨房に近づいてゆく。逃げたくなる心を奮い立たせ、勇気を振り絞り、柱の陰から厨房を覗いた。

「あれ……」

 思わず間の抜けた声が漏れた。
 柱の隙間から見える厨房には、誰の姿もなかったからだ。
 胸を撫でおろした瞬間、がたんばたんと足元で音がして、「ひゃっ」と悲鳴を上げた。
 厨房の床に広がる白くてねばねばしたもの。それにからめとられてじたばたともがく子どもの姿。
 何が起きているのか理解できず、お鈴は頭の中が真っ白になった。
 子どもは十歳ごろでずいぶん薄汚れており、服は継ぎだらけで髪はぼさぼさ。目だけは爛々らんらんと輝いている。その子がねばねばから逃れようとして、じたばた音を立てていたのだった。

「おい、卑怯なことしやがって、なんだよこれ。早く離せよ」

 立ち竦むお鈴に気づき、悪態をつく。
 何が何やら分からなくなったお鈴は、張り詰めていた気が緩んだのも相まって、その場にへたり込んでしまった。


   *


 みと屋の店内では、縄で縛られた子どもが床几しょうぎにのせられていた。
 あれから気を取り直したお鈴は、ねばねばしたものにからまった子どもを助けようとしたが、なにせ粘着が強くてちっとやそっとでは外れそうにない。弥七が仕かけていたトリモチだそうだが、あまりに大きいし力が強くて、下手をしたらお鈴までからめとられそうな有様ありさまだ。しかも手や服を引っ張ってやろうとすると、そのたびに子どもがひどい悪態をつく。ほとほと疲れ果てて銀次郎と弥七が店に来るのを待ち、二人に引きはがしてもらったのだった。

「それで、あんたの名はなんていうのさ」
「うるせえ、早くほどきやがれ」

 見下ろす弥七に、子どもはわめいて身体をばたつかせた。長らく風呂に入っていないのだろう。垢じみた体臭がした。

「いいから大人しくしなさい。本当にもう」

 身体を激しく動かして縄から逃れようとする子どもに、銀次郎の雷が落ちた。

「名を言えってんだ、ばかやろう」

 小上がりでどっしり座って、ひと睨み。視線だけで人を殺せそうな銀次郎である。子どもは身体を震わせて泣き出しそうになったが、唇をぐっと噛みしめた。

三太さんた

 ふてくされたように言う。

「あんた、なんでみと屋に忍び込んだのさ」
「さあね、夜道がまっくらで、帰るねぐらを間違えちまったんだよ」
「この辺に長屋なんてないし、間違えるはずがないでしょ。あんたが食べ物を持って行ったんでしょう」
「だから知らねえんだって。ちょいと迷っただけだよ」
「もう、そんなわけないでしょう」

 弥七の問いかけにしらを切り、飄々ひょうひょうと受け答えをする。
 そんな最中のことだった。
 ぐうう。
 三太の腹の虫が大きな音を立てた。

「あら、お腹いてるのね」
「う、うるせえ」
「おい、お鈴」

 銀次郎はむっつりした顔で言った。

「こいつに飯、食わせてやれ」


 三太はよく食べた。茶碗に山盛りでよそった白米がまたたく間に消え去り、遠慮もなく無言で器が差し出される。あまりに減るのが速いので、三杯目はどんぶりに盛ってやった。
 朝から気が動転していたし、厨房をトリモチと三太が邪魔していたので飯の準備は何もできていなかった。時がかかることを伝えて新たに飯を炊いたのだが、多めに炊いておいた己を褒めてやりたい。
 漬物に加えて干物をあぶったものを添えて出したが、三太はそちらも数口で食べきってしまった。はじめはどう接していいのか図りかねていたけれど、うめえうめえ、と漏らしながら元気よく食べる姿を見ると、まだ幼い子どもなのだなと思う。

「あんな夜中に何してたのさ」
「ここんとこ、あったかくなって気持ちいいだろ。夜風にあたってたんだよ」
「で、なんでみと屋に忍び込んだの」
「だから言ったろ。住んでる長屋と間違えちまったんだよ。寝ぼけちまってさあ」
「よく言うわよ、どう見てもここは長屋じゃないでしょう」
「暗いとよく分からねえんだよ」
「じゃあ、あんたはこのあたりに住んでるのかい」
「そんなとこだよ」
「そんなとこってどこなんだい」
「うん、まああっちのほうだよ」

 三太は箸で右手のほうを指した。
「まったくもう」と弥七はあきれ顔だ。

「あんた、親はいるのかい」

 そう問いかけた時、人を喰った返答を続けていた三太が、きゅっと眉をひそめた。目に鈍い光が灯る。

「まあ、いるよ」
「そうかい」

 弥七はそれ以上何も問わなかった。三太も口をつぐみ、みと屋に静寂が落ちる。
 と、看板障子がからりと開いた。

「悪いな。今日はやってねえんだ」

 銀次郎がすまなそうに声を上げたが、すぐに「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 店に入ってきたのは、二本差しに黒羽織、袂からは朱房しゅぶさ十手じってを覗かせる若い男。顔はなよっとして頼りなさげな同心・内藤ないとう新之助であった。
 新之助は南町奉行所の定町廻じょうまちまわり同心で、とある事件を通じてみと屋の常連になってしまった。心優しく生真面目で、お鈴達のような町人にも丁寧に話してくれる。ただ堅物すぎて融通が利かないところもあり、奉行所にはあまり友がいないらしい。同心が元やくざのいとなむ料理屋に通うのもおかしな話だが、ちょくちょく顔を出しにやって来るのだった。

「あっ、そういえば暖簾のれんがかかってませんでしたね。失礼しました。ついいつもの癖で」

 申し訳なさそうに頭を掻く新之助だったが、普段と違う空気を察し、「どうかしましたか」といぶかしげな顔をした。

「いや、それがあの」

 どこから話せばよいやらお鈴があたふたしていると、三太はぱっと立ち上がった。
「じゃ」と手を挙げ、開いたままの看板障子から外に駆け出していった。
 一瞬の出来事で止める間もなく、呆然とするお鈴。
 弥七はおもしろい子ねえと笑い、銀次郎は黙って煙管キセルをふかす。
 全員の顔を見回して、新之助は「何があったんです?」と尋ねたのだった。


   *


「なるほど、そんなことがあったのですか」

 お鈴と弥七で事の次第を説明すると、新之助は顎に手を当てた。

「食べ物を盗んでたのは、あの三太で間違いないわね。思った通り、大きな子鼠がひっかかったものだわ」
「お家の事情で、ご飯が食べられていないんでしょうか」
「そうね。お鈴ちゃんもあの子の身なりには気づいたでしょう」

 丈が合わない継ぎだらけの着物に、骨ばった身体。顔は垢じみていて、髪も砂と泥で汚れていた。どうして盗みなんてという腹立ちよりも、三太への心配が勝っていた。

「住んでる長屋と間違えたなんて言ってたけど、まっとうな長屋に住んでたら周りが世話を焼いてくれるもんよ。ちゃんとした寝床があるのかどうかも怪しいわね」
「親はどうしてるんでしょうか。何かわけがありそうでしたけど」
「あの様子だと、子どもの面倒を見ていないことは確かよね。子育てをせずにほっつき歩いてるのかもしれないし、やまいで倒れて働けないのかもしれない。悪事を働いてるろくでもない親かもしれないし、そもそも親がいなくてあの子一人で生きてるのかもしれない」
「でも、近くの大人が助けてあげたりしないんでしょうか。江戸の町だと、身寄りのない子どもは名主なぬしさんや寺が引き取ってくれるんですよね」
「そうね。お鈴ちゃんの言う通り。本当はね」

 含みを持たせる弥七に「どういうことですか」と尋ねようとした。
 そこに銀次郎が口を挟んだ。

「下手に関わると厄介な野郎もたくさんいる。そんな奴のガキにおめえは手を差し伸べられるか」

 言葉に詰まる。困っている子がいたら助けてあげたいけど、もしもそんな状況に直面したら、迷わず手を差し出せるだろうか。己に害が及ぶことをかえりみず、動いてあげられるだろうか。

「それにな。上手く周りが気づいてくれりゃあ引き取り手や助けもあるだろうが、気づいてもらえねえことだってざらにある。長屋に住んでなくて、親がろくでもねえ奴だとしたら、誰が気づいてやれるんだ。仕組みってのは便利だが、穴もたくさんある。そしてその仕組みから抜け落ちてしまってる奴もいるんだ」

 新之助が肩を落とした。

「おっしゃる通りなのです。ひとたび仕組みの狭間はざまに落ちると、とたんに見えなくなってしまう。本当はそこにいるのに、いないことになってしまう。そんな子が実はたくさんいるのだと思います。なんとか救ってやりたいですがそうもいかず、情けない限りです」
「新之助さんは悪くないわよ。でも、三太もそういう子どもの一人なのよ、きっと」

 慰める弥七に問いかける。

「大人が助けてくれないとしたら、どうやって暮らしていくんですか」
「色んなところから食べ物を盗んで、なんとか生き抜いてるんじゃないかしら。うちみたいなところから少しずつ盗んでね」
「どこか働き先はないんでしょうか。子どもでも、丁稚奉公でっちぼうこうみたいな形で」
「この景気で、大人でも働き口が見つからないご時世だからねえ。ましてや、身寄りのない悪ガキを雇ってくれる店なんてそうそうないのさ」
「そう、ですね」

 なんとかしてやりたいが、もちろんみと屋にも人を雇う余裕などない。客が来ないのだから、むしろお鈴が働かせてもらえているだけでありがたい話だ。言葉が出てこず俯いてしまう。

「今は食い物を盗むくらいだけど、いずれ金を盗むかもしれない。このままだと裏の世界で生きるしかないから、なんとかしてあげたいけどねえ」

 三太が去っていった先を、弥七はどこか遠い目で見つめていた。


「それで、新之助さんはどうしたの。飯を食べに来たの、それともお鈴ちゃんに会いに来たのかしら」

 暗い空気を吹き消すように、弥七が明るい声を出した。

「あ、いや、その。まあ飯を食べに来たわけですが、最近悩んでいることもありまして」
「悩みってなあに」
「いえ大した話ではないので、今日でなくともよいのですが」

 うじうじする様にごうを煮やした銀次郎が「いいからとっとと話せばかやろう」と雷を落とし、新之助はぽつりぽつりと話し始めた。


 新之助の上役である与力よりきのもとに、山谷屋やまたにやという商家のご隠居から人捜しの相談があった。厳しい倹約家として知られていたが年と共に丸くなり、やまいを患ったことを機にめっきり心が弱ってしまったらしい。やまいは回復したが、人間いつ死ぬか分からないから、人生にやり残しがないようにしたいと考えたそうな。
 そんなご隠居は、十年ほど前に命を救ってもらったことがあるらしい。付き人もつけずに一人で出かけていた際に、急に体調を崩して倒れ込んでしまった。そんな折に偶然通りかかった町娘が医者を呼んで、近くの店の一間を借りて介抱してくれたおかげで大事には至らなかった。調子がよくなった頃には娘は去っており、結局礼ができずじまいだったそうな。
 その件がずっと心残りだったため、今こそあの町娘を見つけ出し、恩返しをしたいと言い出しているとのこと。
 これまでご隠居は奉行所に多大な力添えをしてくれており、無下むげにはできない。むしろなんとしても頼み事を聞かねばならない。
 そんなわけで与力よりき配下の同心連中に人捜しの任が命ぜられたのだが、これがなかなか見つからない。同心達が手分けして捜すが消息が掴めず、ついに新之助にもお鉢が回ってきた。できる範囲で調べたが足取り一つ見つからず、ほとほと困り果てているのだという。


「そのご隠居とやらも、面倒なことを奉行所に持ち込んだわねえ。これだから金持ちって奴は困るわあ」
「人ってのはな、年を取ると己の過去を振り返りたがるもんだ」
「そうよね。それで親分なんか、みと屋を始めちゃったんだもんね」

 弥七がからかい、銀次郎がうるせえと怒鳴る。

「それで、何か調べる手がかりはないの」
「娘は当時二十がらみだったそうで、今は三十くらいではないかと。後、助けられた時に名だけは聞いており、店で筆を借りて書き留めていたとか。その紙によると『りさ』という名のようで」
「つまり年ごろと名しか分からないってことね」
「そういうわけなのです」
「三十くらいの女なんて山のようにいるからねえ。それはなかなか大変だわ」
「せめて町に詳しい手下がいれば、もう少し細やかな聞き込みもできるのですが」
「新之助さんも同心なんだから、小者がいるでしょう」
「私の小者は、親の代から仕えてくれている隠居間近のおかきくらいでして、最近は腰の痛みで臥せっている有様ありさまです」

 新之助は深々とため息をついた。



   三


 鳥のさえずりに、風で揺れる葉擦れの音。
 目の前には細い街道が続いているが、人通りがないのであたりの音がよく聞こえてくる。
 お鈴は茶屋の店先に腰かけていた。
 町はずれにちんまりとたたずむ店で、薄汚れたのぼりが目印。構えも質素で、店先に簡素な床几しょうぎが二つ並べてあるだけ。茶店と気づかずに通り過ぎてもおかしくないし、気づいてもわざわざ入らないかもしれない。
 そんな店にお鈴を連れてきたのは、加代だった。隣に座り、にこにこ顔で身体を揺らしている。

「おまちどお」

 腰の曲がった老婆がよろよろとやって来て、震える手で皿を置いた。そこに載っているのは団子が四串。

「さ、お鈴ちゃん、食べてみて」

 串を手に取り、口へ運ぶ。一口噛みしめたとたん、雲を食べているような歯触りに包まれた。ふんわりもっちりして、やがてほろほろと溶けていく。こしが強い団子は以前に食べたことがあるが、こんなにふわふわした団子ははじめてだ。

「加代さん、何これ。すっごく美味しい」
「そうでしょう、凄いでしょう」

 加代は得意げに頷き、団子を口に入れた。目を閉じながら頬に手を当て、「やっぱり美味しいわあ」と呟く。

「こんな団子はじめて食べた。よくこの店知ってたね」
「風のうわさで聞きつけてやって来たら、うわさ以上だったのよ。それで次はお鈴ちゃんを連れてこようと思って」

 加代は呉服問屋である大瀧屋おおたきやのひとり娘だ。結綿ゆいわたの髪に、ちょいとされた品のいいかんざし。娘振袖を着て、頬には愛嬌あいきょうのあるえくぼ。育ちのよさがたたずまいから見て取れる。
 加代がかたりに遭いかけた騒動を銀次郎達が見破ったことから縁ができた。ずいぶんと丸くなったものだが、お転婆てんばむすめであることは変わらず、誰かれ構わず遠慮なくものを言う性分をしている。
 お鈴とは年が近いことから親しい友達となった。今では時折みと屋に遊びに来たり、こうして茶店に団子を食べに行ったりする仲である。


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