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しおりを挟む「本当に来られないのですか」
俺は何も神谷に言っていないのだが。
週末前の放課後、山のような仕事を片付けていて随分と遅い時間になってしまった。
部活を受け持つ職員がちらほら戻ってきて、同じように仕事を片付けては一人ずつ帰っていく。
気付けば神谷と二人だけの職員室になっていた。
「結城が紺野先生を誘ったのに来てくれないと寂しがっていたので」
「ああ、アイツか。別にアイツの引退試合じゃないだろう」
「七海の引退試合ということは知っているんですね」
ギクリとする。
が、すぐにもうそんな気持ちになる必要はないと気付く。
「俺は七海から誘われていたんだ。だが断った。教師はお前一人見に行けば何も問題はないだろう。そもそも俺はバスケのルールも知らないしな」
下手に嘘を付くこともない。
七海は生徒であって、それ以上ではない。
なんでもないように言ってのけた俺に、神谷は少し驚いた顔をした。
「…そうですか」
何か言いたげな視線が向けられたが、どこか苦く眉を寄せてからコクリと一つ頷いた。
「分かりました。あなたは正しいことをしています。間違ってはいませんよ」
「ああ。心配掛けたな」
「…いえ」
神谷が七海とのことを疑ってくることももうないだろう。
きっと俺に対して読心術を心得ているコイツなら、今の俺の気持ちも分かってくれるはずだ。
来たる週末。
「…よし、完璧だ」
鏡に映る自分の姿に、一人ごちる。
パーカーを深くかぶりマスクにサングラス。
生徒指導員だったら間違いなく声を掛ける変質者的見た目ではあるが、誰にもバレるわけにはいかない。
七海と結城と神谷には行かないと言ったが、正直に言うが七海の最後の試合を見たい。
行かないこともほんの少しは考えたが、圧倒的に行きたいという意志のほうが強かった。
場所は県の総合体育館で大勢の客が来ると聞いたし、それだけ人がいるならバレないだろうと考えてのことだ。
七海とは学校内であれ以来会っていないし、メッセージにはもう返さないと決めた。
アイツの最後の試合を見て、それ以降もうアイツと関わるのはやめる。
生徒だからどうだと長いこと思い悩んでいたが、それが一番正しいんだという確信がようやく持てた。
七海が時間だの場所だのを細かく送ってくれていたこともあって、それを見ながらその場所を目指す。
たどり着いた多目的公園内にある総合体育館は思ったより大きな建物で、既にわいわいとたくさんの人で賑わっていた。
圧倒的に女子が多い気がするのは気のせいだろうか。
もしや満員で入れないのではと危惧しながら、なんとか中に入り込む。
既に空いている席は一つもなく、通路もたくさんの人で賑わっている。
これだけ人がいれば間違いなく俺に気付く奴はいないだろうが、よくもまあこんなに人が集まったものだ。
もちろん七海の引退試合だから、というだけでなく試合自体は普通の大会だから人が多いのは当たり前なのだが。
それでも明らかに七海の話をして騒いでいる女子を見ると、やはり七海目当ての客も少なくなさそうだ。
アイツは本当にたくさんの人に愛されている。
誰に対しても元気で愛想が良く、いつ見ても太陽のような笑顔をしている。
まさかその笑顔の対象に俺が入るとは思わなかったが、何度突き放してもいつも変わらぬ笑顔を向けてくれた。
変態気質なところはあるが、ハッとするほど大人びて見える表情や、かと思ったらあっという間に甘えたようになる子供の顔。
生徒には散々嫌われ毎日苛々と過ごしこの歳で愛想笑いの一つも出来ない俺を、七海はたくさん好きだと言ってくれた。
そんな奴を、愛しいと思わないはずがない。
――わっ、と歓声があがる。
コートへ視線を降ろすと、我が校のバスケ部員がぞろぞろと中へ入り込んできていた。
贔屓目にしていることを差し置いても、やはり目を惹くのは七海でハッとその姿を見つめる。
白地に水色のラインが入ったジャージを肩に引っ掛け、白黒を基調としたユニフォーム姿で歩いているその表情には、ありありとした自信が見て取れた。
黄色い声を上げて盛り上がる女子に、いつもの無邪気な笑顔で手を振って応えている。
トクトクと心臓が速まっていくのを感じる。
なんだか七海に会うのが久しぶりな気がした。
自然と体温が上がっていく。
試合前に各校練習時間が設けられるらしく、軽くウォームアップをする選手達を見つめる。
なんだかんだ言って、七海がバスケする姿を見るのはこれが初めてだ。
風のように走って結城を捕まえたり、球技大会のバレーも初心者のわりに器用にやっていた事を思い出すと運動神経はいいのだろう。
そういえば球技大会でもバスケを見てほしいと言われたのに、あの時も行かなかった。
今回は見に来ているが、アイツからすれば一番得意なものを好きな人に断られるのは寂しかっただろう。
ウォームアップでは七海は楽しげに他の部員と話しながら、ふざけたようにボール遊びをしていた。
部内でもきっとムードメーカーなんだろうなというのが見て取れる。
ふざける時も全力らしく、クスッと笑ってしまう。
「ななみん超可愛いんだけどー。ボールとじゃれてる」
「キャプテン困ってるじゃん。あ、カミヤンに怒られた」
応援に来ている観客も楽しげに笑っていて、見れば相手チームの応援席もクスクスと笑っている。
もともと目立つのもあるが、こんな舞台だというのにその場の雰囲気をあっという間に自分のものにしてしまうのはアイツの長所だ。
こうやって三年間の部活を楽しく過ごしてきたんだろう。
そう思えば、俺が見るこの最初で最後の一日がすごく惜しいことをしたと思えてしまう。
観客は続々と入ってきて、館内の興奮も高い。
相手チームのウォームアップも終え、ジャージを脱いだ両選手たちが各ポジションへと入っていく。
ピーッという試合開始の笛の音が響いた。
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