ドSワンコとクズ眼鏡

うさき

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 伸びてきた長い指先にふわりと頬を撫でられる。
 見つめられる瞳は優しげだが、どこか狂気を感じる。
 金縛りにあったように身体が固まっていた。

「まさかとは思いましたが、本当に生徒が相手なんでしょうか」

 ドクドクと心臓が鳴っている。
 戸惑って視線を逸らしそうになるが、ハッとして思い留まる。
 これでは神谷の思惑通りじゃないか。

 苛立ちを覚えつつその目を見返す。

「…馬鹿なことを言うな。お前が俺を見てきていると言うのなら、俺の性格は分かっているだろう。生徒に手を出すと思うか」

 気圧されずそう言ったら、どこか面食らったようにその目が瞬いた。
 なぜか照れたようにさっと視線が外される。

「…ああ、ずるいですよその言い方は。すみません、余計なことを言いました」
「くだらないことを言っている暇があったら仕事しろ」
「…はい」
 
 なんでもないように小さくため息を吐くと、再び歩き出す。
 内心心臓がバックバクと早鐘を打っていた。

 なんで俺がこんな噓をつく必要がある。
 それもこれも全部七海が悪い。

「なんだかストーカーを認めて下さったようで嬉しいです」
「…お前教師としてその思考は大丈夫なのか」
「自分が狂っているのは紺野先生のことだけですので。他は教師として問題なく仕事をしているつもりですよ」

 ニッコリとした微笑みと共に何食わぬ顔で言われたが、なにか清々しいほどに割り切っている。
 公認ストーカーとかありえないが、もう反論するのも疲れた。
 それに余計なことを言って、また何かボロを出してしまっても困る。



 ドッと疲れた一日を終えて、自宅へ帰宅する。 
 学校から近い位置に越してきたマンションは、歩いて15分ほどの距離だ。

 一人で住むには少し間取りの広い家で、必要な物以外は置いてないからこざっぱりとした空間が広がっている。
 ただ数学の文献だけは山程あり、部屋の本棚をいくつも圧迫している。

 夕飯や風呂を終え、持ち帰った仕事の全てを終えてから、数学の研究をする。
 もうこれは子供の頃からの俺の趣味で、どうしようもなく楽しい。
 数学とはとても美しく探究心の止まぬもので、答えを導き出した時の爽快感は他ではなかなか味わえないものだ。

 七海のことも神谷のこともその他学校の仕事の一切が頭から抜けて、夢中で取り組む。
 いつもこうして研究しつつ学会に発表する論文の作成をして時間はあっという間に過ぎてしまうのだが、ふと携帯が鳴った。

 あの音は七海がインストールしたアプリだろう。
 電話でもなければいつも集中していて気づかないのだが、ちょうど区切りも良くココアを淹れにいったタイミングなので確認をする。
 
 半ば強制的に七海と連絡先を交換したが、当然だが俺から何か送るようなことはない。
 ただアイツからは、よく日常の画像だかが送られてくる。
 意図が読めないので特に返信はしていない。

 内容を見たら勉強について聞きたいことがあるらしい。
 体力的にきつい運動部を終えた後に勉強をしているなんて、中々感心な奴だ。

 返信しようとしたが、電話を掛けた。
 こっちの方が話は早い。

『あーっ、やっぱ届いてるんじゃないっすかっ。一回も返ってこないから間違って登録しちゃったのかと思ってましたよっ』
「意図の読めないものに返事はしない。で、質問は何だ」
『あ、それは噓です。一回も返事がかえってこないから届いてないのかなーって――』

 電話を切った。
 つまらんアイツの行動に乗せられてしまった。
 が、またすぐに掛かってきた。
 無視しようとしたが、全く鳴り止まない。

「うるさい」
『いきなり切るなんて酷いじゃないですかっ』
「俺は個人的に生徒と付き合うようなことはしないと言っただろう」
『エッチはするのにそれ以外はしてくれないなんて酷いですよっ』

 人を身体目的で付き合ってるダメ男みたいな言い方するな。
 そもそもそれはお前が無理矢理しているんだろう。

 反論しようとしたが、とはいえコイツが全て悪いというわけでもない。
 実際俺にも少しは非がある。ほんの少しだが。

「…一体何だ。話を聞いてやるからさっさと言え」
『今何してたんですか?』
「数学についての文献を読んでいたところだ」
『へー、真面目さんですね。数学ってそんなに面白いんですか?』

 興味があるのか分からないがその分野に関しての質問をいくつかされ、なんなんだと思いながら答える。
 だが自分の興味のある分野を語るというのは別に面倒ではなく、特にこの先未来がある若者に聞かせるには悪くない話題だ。
 
 七海はいつものように茶化しをいれてくるようなことはせず、ちゃんと俺の話を聞いていた。
 あまりに聞く態度がいいから、ついつい熱く語ってしまう。

 しばらく話してから、ふと時計が視界に入った。

「――あ、すまない。つい長く語ってしまった」

 慌ててそう言ったが、電話から聞こえる声はいつもと変わらない快活な声だった。

『いーえ、全く興味ない分野だと思ってたけど、ちゃんと聞いてみたら面白かったです』

 そう言われて、じわりと心が熱くなる。
 そもそも俺が数学者を目指さず教師になったのは、こうやって若い奴に数学の楽しさを教えたかったからだ。
 教師を続けているうちに他のことに気を取られることが多くなり、本来の目的を忘れていたなと思い出す。

『それにみーちゃんがはしゃいでるのも聞けたし』
「…はっ?別にはしゃいでいたわけでは――」

 カッと顔が熱くなる。
 だが言われてみれば確かに夢中で七海に話していたかもしれない。

『遅くにすんませんでしたっ。それじゃあ、また明日。昼休みに』
「…え?ああ」

 そう言ってあっさり電話は切れた。

 アイツは一体何の用で電話をしてきたんだ。
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