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真夜中の決心
しおりを挟む部屋の奥でカチリと動いた分針が、作戦決行の時刻を示した。
ゆっくりと瞼を開き、机の上の手紙の存在を確認した。そのまま視線を横に移しその隣にあるポプリから漂う草花の香りに心を落ち着かせる。
静かな闇の中でひっそりとベッドから抜け出し、外の侍従に気付かれないよう手早く着替える。
最後に机の上に置かれた半透明の薄青いポーションをガウンのポケットに仕舞う。
軽く深呼吸をして、計画を脳内でひとさらいした。
大丈夫、落ち着いてやれば大丈夫。何度も手順は確認したし、ミスや見過ごしがないか確認だって何度もした。
覚悟はすでに決まっていた。
ただ、全てが終わった後のことを考えると胸にチクリとした痛みが走った。気がした。けれど、そのさざめきを気付かないフリをする。
寮の私に割り振られた個人部屋のドアノブに手を掛ける。おそらく、きっと、もうここには戻ってこない。そう思うと荷造りを終えた後の伽藍堂の部屋でさえ、どこか愛着が切り離せなかった。
一度だけ部屋を振り返り一瞥して、そっとドアノブを押した。
護衛の人たちが私に気付く前に、無詠唱魔法で催眠をかけ音を立てないように扉から抜け出す。
明日は卒業式を控えている事もあり、寮の中は普段よりも数刻早く静まっていた。こんなに静かなのはここに入学して以来初めてじゃないかと思うぐらいだ。
ただいくら普段より静かだと言っても起きてくる生徒がゼロだとは限らないし、巡視の人たちもいるだろうから魔法で気配を消しながら歩いていく。
この寮全体に催眠魔法をかける手段も考えたけど、有事が起きたら、と考えると万が一のために止めた。
寮全体の見取り図は覚えていたし作戦を考えているときに確認したはずなのに、慣れない道のせいか少し戸惑いながら進んでいけば、なんとか無事にたどり着いた。
山場にたどり着く前に迷子だなんて、三文芝居でもあり得ないシナリオになっちゃう。
高まる鼓動を抑えるために深呼吸をしてから、近くにある人の姿を捉え気配遮断の魔法をきった。
「こんばんは、エドワーズさん。」
その人ーー第一王子付きの筆頭執事であるエドワーズさんーーにそっと声を掛けた。
「これはこれはシエル様、いかがなさいましたか?こんな夜遅くに危険でございます。」
エドワーズさんが突然現れた私を、柔らかな表情で見た。
こんな風に訪ねて来たのももちろん初めてだし、仮にも公爵令嬢がこの時間に出歩くなんてあり得ない行為であると、エドワーズさんも心得ているはずなのに、不審さを前面に出すことはしなかった。
流石は王家に代々務める生粋の執事だと思う。
私はなるべく疑心を育てないように落ち着いて、用意したセリフを答える。
「夜分遅くにごめんなさい、でもどうしても、今……マクシミリアン様に逢って、あの……話さなければいけない事があるのです。
その、マクシミリアン様に逢えませんか?」
スラスラ言いたいけど、やはりどこかどもってしまう。それに幼い頃から付き合いのあるエドワーズさんに嘘をつくのは心苦しさを覚えるし、バレないかヒヤヒヤする。
けれどそんな私の不安と裏腹に、エドワーズさんは私の真剣な表情を見て信用をしてくれたらしい。もしかしたら少しどもった感じがリアリティを増させたのかもしれない。
数秒後「承知しました、ただいまレオン様にお声掛けしてまいります。」と言うといつもの柔和な声音で応じてくれた。
訝しさは感じたままだろうに、それを表には出したり理由を尋ねたりもしなかった。私の言葉を疑わず信じてくれるエドワードさんに心苦しさを覚える。
自分の主人の婚約者として以上に、小さい頃から私を見守ってきてくれた人。そんな人を私はーー。
意識するとじくじくと痛み始めた心を無理矢理抑えこもうとした。
そして私に背を向けたエドワーズさんが彼の部屋をノックする寸前、一欠片の罪悪感を抱いたまま私は再び無詠唱による催眠魔法をかけた。
計画のためにはエドワーズさんには起きられていると困るのだ。だから強めの催眠魔法を念入りにかけさせてもらう。
自分に身体強化をかけて倒れ込むエドワーズさんを支え、そのまま転移魔法で寮付属の仮眠室に移動して、執事服のままだけどベッドに横たわらせておく。深夜の廊下に放っておけるほど流石に薄情じゃなかった。
もちろん、そんな罪悪感を拭ったところで私のつみがかるくなるわけでもないけど。
これから私が実行しようと企てている計画は不敬罪もので、下手すると死罪にもなりかねない、そんなシロモノ。
彼を暗殺をしにきたわけでは無いし、誰も怪我させるつもりはない。けれど……、もしかしたら危害を加えるよりタチが悪いかもしれない、そんなワルイコト。
計画を実行に移す前の最後に、何度も練り直し綿密に立てた計画をもう一度頭の中でデモンストレーションし、深呼吸をする。
息を吐ききってそっと目を開く。
シンプルだけど意匠の凝った重厚な扉をノックする。
しかし名乗らずにノックしたせいか返事はすぐには帰ってこなかった。もう一度催促するようにノックをする。この時間帯であれば、彼のことならまだ寝ていないはず。
「……誰だ?」
低く疑念を含んだ声が響く。やや不機嫌そうなその声に出さえキュンと胸が高鳴る。
そんなところにでさえときめきを感じてしまうのだから色々と手遅れな気がする。……そもそもこんな行動に出ている時点で手遅れ、だということはもう知らない。
返事をせずに扉の前に佇んでいると、そこまで間を置かずに慎重に扉が開かれた。
彼の綺麗な虹彩の蒼い目が私を捉えた瞬間、見開かれる。
「……ッ!?」
なぜここに!?と叫びかけそうな彼の口を咄嗟に掌で抑える。ここで騒がれると警護の人が来てしまって折角の努力が無駄になってしまう。
手を伸ばして彼の口を抑えると、驚いた顔をしながらも声は抑えてくれたらしく静かに私の言葉を待つ表情になった。
けれど私はその表情に応えることはせず、そっと手を下ろし呟いた。
「ごめんなさい、マクシミリアン様……。」
疑問をまだ抱く彼の身体をそっと押し、僅かに開かれた扉の隙間に滑り込む。流れるように淀みない私の行動に、彼は止める術を持たなかった。
初めて入る彼の部屋は凄かった。豪奢でありながら派手すぎずセンスの良い調度品が適切な配置で並んでいた。
まぁ、それは当然のことといえば当然なのかもしれない。
だって彼はこの国の王位継承権第1位なのだから。
だからこの部屋がこれだけ広々としていて品良くまとめられているのは不思議ではない。それが彼ーーレオン・マクシミリアン様ーーが一国の王子という証明のようなものかもしれない。
もちろん私だって公爵家の長女ということで、最初は学園側にこの部屋と遜色ないくらいの部屋を用意されていたけど、断ったのでこの部屋よりは少しランクを落とした部屋だった。(それでもかなり豪華な一人部屋だったのから驚いたのは懐かしい話だ)
この部屋の主人であるマクシミリアン様は、どうやらシャワーを浴びたばかりだったらしく、綺麗な金髪がしっとりとしていた。
普段よりも色っぽい姿に頬が上気していくのが分かる。
少し色っぽい姿を見ただけでこのレベルなのに、私は本当にこれからあの計画を実行に移せるとかと一抹の不安を覚える。
突然来たのにも関わらず、何も言えないまま立つ私を不思議に思ったのか、静かなテノールが頭上で響いた。
「シエル?いったいこんな時間にどうしたんだ?」
既に幾つかの無礼を働いたにも関わらず、マクシミリアン様の声は優しかった。
その優しさにまたドキドキしてしまいそうになるのを抑えて顔を見上げる。
するとガチリと会う視線に射止められる。その瞳の蒼が私を捉えているという事実にまた胸が高鳴る。
でもこれ以上、うだうだしているわけには行かなかった。
なるべく、これは早く終わらせてあげなければならない。……きっとマクシミリアン様にとっては悪夢で、私にとっては毒を孕んだ甘美な夢。
私の目よりも高い位置ーー背伸びしても彼の口が私の目線の高さぐらいだーーにある彼の顔を見上げる。
唇を薄く噛み、気合いを入れる。
そして彼の首に手を回し、グッとこちらに寄せる。
予想だにしていなかったのか油断していたらしく、グラリと身体が揺れ体勢が崩れた。そのまま私の方によろめいた。
その隙を狙って私はマクシミリアン様の唇に自分のそれを重ねた。
ひゅっ、とマクシミリアン様が息を呑む音がした。
数秒間呆然と口付けをしていたが、マクシミリアン様は正気に戻ったらしく私の肩を押し返そうとした。
しかし、それは叶わなかった。
彼も、押したはずなのに動かない私の身体を見て、疑念を隠せない顔をしている。
「ごめんなさい、マクシミリアン様……。」
私はもう一度との言葉を囁くと、私の肩に置かれた彼の手を握る。
「今、貴方に魔法をかけさせていただきました。命に関わるような魔法ではありません、あくまで少し身体の自由を一時的に奪うだけです。」
あまり詳細は言わないようにしながら説明した。術者よりも魔力が多かったり、どんな魔法式を展開しているか全て見破られたりすると、相手側から解除できてしまうから。
すこし不自然になりながらも彼の手を引っ張り誘導する。
力を入れる制限をかけているために、幼子のように私に手を引かれて歩くマクシミリアン様に胸がくすぐられるような気持ちになる。
「本当はこんな事せずに終わらせる方が一番良かったのでしょう。でも、ごめんなさい。抑えきれなかったのです。」
唐突な私の謝罪に訳が分からないという表情でこちらを見るマクシミリアン様。
そんな彼を目的の場所であるベッドに誘導すると、薄々勘付いたのか驚愕の色を見せた。
その表情に気付かないフリをして彼の厚い胸板を押すと、魔法のおかげかすんなりとベッドに倒れた。
白いシーツに横たわるマクシミリアン様の艶やかさに抑えきれずもう一度触れるだけのキスをする。
そういえば、さっきのキスがファーストキスだったことを思い出し、短期間で一気に大胆になった自分に思わず笑みがこぼれる。
抵抗できないマクシミリアン様の上に馬乗りになると、二人分の体重が上質なシーツに沈み込む。
私の下に敷かれている大好きな彼の困惑した表情を見て、申し訳無さとツンとした痛みが広がる。
けれど今更もう戻れない。
もうここまで来たらやるしかない、なんていう考えは今までの私だったら考えられないほど大胆だ。
本当はこんな形で一夜を越えたくなかった。でも、でも仕方なかったのだ。こういう方法でしか私は彼に思いを伝えられない。
明日、私は彼と別れなければならない運命にあるから。
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